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特別な飲み物:ショウガ紅茶

 誰もが心待ちにする季節ではあれど、それはそれとして春というのはどうしても忙しい季節だと思う。
小学生にとっては学年が変わるし、学生にとっては学校さえ変わるし、大人にとっても新しい年度が始まって、とにかく自分の立場が変わってしまう季節だ。人は自分の立場から世界を見ているのだから、立場が変わると世界がまるっきり変わってしまう。だから春は落ち着かない。たぶん心許ないのだ。浮かれることも不安に思うことも、足がなんとなく宙に浮いている感じがする。

 気持ち落ち着かないまま忙しくしていたせいか、最近突然身体を壊した。
壊したと言っても別に何かの名前が付くような病気や感染症ではなく、本当に体調を悪くしただけ。けれどこれがびっくりするほど堪えた。

 そもそも私はそんなに丈夫ではない。しょっちゅう頭を痛くしたりお腹を痛くしたり、身体のどこかを傷めたり…というのが情けないことにたくさんある。でも今まではずっと誰かと暮らしていたので、なんとなしに平気だったのだ。

 独り暮らしの部屋の中で、ベッドで毛布にくるまったままぜいぜいと咳をすると、すごく寂しい気持ちになる。咳をしても一人、とは、なかなかどうして妙である。まだ夜なんかは肌寒いので、しんとした中でひんやりとし床に足をつけると、どうしようもなく心細い。そんな自分のたよりなさにちょっとびっくりしてしまう。

 子供の頃、風邪を引くといつも特別な飲み物を飲まされた。そういうの、みなさんもありませんでしたか?お湯で割ったポカリスエットとか、玉子酒とか、なんだかそういう不思議な、普段飲まないようなやつ。
 我が家では、それははちみつレモンだった。病院の自動販売機に売ってあったのだ。プーさんのイラストが描いた、ほんのり甘いお砂糖水。でもやがて小学生にもなると、紅茶が出てくるようになった。紅茶にショウガをたっぷりと、はちみつを入れた紅茶。ひやしあめのような独特の味がして、小さい頃は嫌いだった。だけれどこれがてきめんに効く。それで、いやいやながらよく飲んだ。

 それで昨日はしょうが紅茶を作って飲んだ。今はすごく便利なものが出ていて、なんと紅茶パック一つでも作れるらしい。


 でも私はやっぱり古典的なものが好き。それで紅茶パックにチューブのすりおろししょうがを入れて、そこにはちみつを入れて飲んだ。飲むとあまからい味がして、ああやっぱり苦手、と思った。でも子供の頃にのんだより、嫌な味だと思わなかった。あの頃の、「おいしくないなあ」という気持ちには、きっと甘ったれた子供特有のなにかがあったんだと思う。おいしくない、と顔をしかめて見せたら、がまんして飲みなさい、と言ってくれる母のあたたかさを期待した甘え。

 ところで、母が作ってくれたショウガ紅茶にはショウガの砂糖漬けと、それからマヌカハニーが入っていた。今思えばずいぶん手の込んだ紅茶だ。てきめんに効いたのはそのせいだったのかもしれない。

ちなみにこの手のショウガの砂糖漬けは、そのままかじるとグミみたいな味と触感がした。昔は寺社仏閣の参道沿いでよく売っていた。母も確かそんな通りで買っていたのに、今ではもうすっかり見かけない。そういうことも相まって、なんだか母のショウガ紅茶はすごく懐かしい、特別な記憶である。

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