元地元で地元の友人家族とお食事
私が元地元と言うのは埼玉県K市。中学の3年生から、地元の高校に進学し、そこを卒業して、仕事をしながら2年くらいはK市に住んでいた。ある時、ここは私には合わない土地だな って感じて、さっと、身を引くように、横浜の母が住むアパートに引っ越しをし、K市とお別れした。w
そこからの人生は、山あり谷ありが続くものの、若い時期にバブル期で呑気に暮らせた為、一応楽しい時期を生まれ故郷の横浜で過ごした。母が絶好調で幸せだった日々を目撃する機会に恵まれた。あの時の母の笑顔は、たぶん人生で最大級に楽しい時間を過ごしていたに違いないと私は思う。
さて、このお友達家族は、赴任地がいっしょだったお友達で、今回は一番上のお嬢さんも来られた。その当時はまだ中学生だった気がする。いいよね、日本人って、老けなくって。。。若い!全く変わってない!そのまんまで、当時4歳くらいだった息子も、覚えてる!って言える程変わってない。羨ましい。笑
友人の彼女からは、娘にと着物を頂いた。作り帯を手で縫って加工をしてくれたそうで、その装着の仕方を習った。けど、もう覚えていない。私の記憶力は確実に衰えてる。笑
まだ、娘のところには持って行ってないけど、夫と一緒に車で出かける時に持って行こうかと思う。その時にYoutubeを見ながら、着させてみる予定。そして、その写真を友人に送ろうと思う。感謝。
まあ、いつも思うけど、うちの息子は良くしゃべるね。夫ソックリ。しかも日本語は全然衰えてないし、逆に上手くなってる気がする。もちろん、ビジネスの日本語は怪しいけど、普通に話す分なら、全く問題ない。
うちの子供達の日本語の基本を手伝ってくれたのが、この一家なので、本当に心から感謝してる。あんた中国人か?って英語でしょっちゅう聞かれる、日本人なんて数えるくらいしかいない東ヨーロッパの国で、希少な日本語を話す人たちに巡り合えて、しかも、私の元地元に住んでいたと聞いてご縁を感じた。
うちは、娘も息子も、日本語を流暢に話せるのだが、娘曰く、英語が得意じゃないのがコンプレックスで、大学まで仲間づくりが大変だったと言っていた。今は、大学で生徒のサポートをするくらい、自信が持ててるので心配ないけど、高校のAP英語は、そんなコンプレックスが重なって、え?なんで?というスコアーをとって来た。これには私も驚いた。
言語のコンプレックスは私にもあるけど、あれって、自分で出来ないと思ったら、本当に話せなくなるってだけのもので、ヘタクソでも出来るって思ったら、上手くなるもんだと思う。要は、自信がある人が得なのよね。その点では、子供時代からのコンプレックスが、言語の習得に影響すると言っても過言ではないかも。育ち方って大事。w
私も英語圏の人と話す機会を無理やり設けないといけないと反省している。でもさ、難しいよね、文化の違い。笑 なかなか、現地人で気の合う人が見つからない。特にここは。。。ww
私のうちの中は、日本語が通じる環境なので、話す部分が劣ると同時に最近は、読みもしないので、これって何だったけ?と思う単語がめっちゃ増えてるし、伸びもしてない。(要するに語彙力減ってる)一応こんな私でも、ドイツに居たときに、ケンブリッジの英検を受けて、サティフィケ―トを持っている。アドバンス(英語圏・ビジネス/大学英語)まで取ればよかったんだけど、その下のレベル(英語圏・大学入試資格程度)を10年以上前にとって、それっきりになっている。
でも、このレベルで、日本のホテルのフロント業務は出来るそうなんで(AI曰く)、それが少し私の自信を保ってくれてるかもな。笑 やっぱり、大学に行くことは大事だね。それも頭が固まらない若いうちに。
と言う事で、もう一度、英語を鍛えようと思ってる、今日この頃。
つづく
次は生まれ故郷の横浜へ。
トップの写真、暗いよ!って思った方、わざと暗いのを掲載したのよ。うふふ。顔が分かりにくい様に。