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美人姉妹の姉、香港に笑顔はいつ戻る?

香港は仕事や取材や遊びやらで年に2〜3回訪れる場所なのですが、昨今の情勢不穏により足が遠のいてしまいました。好きな場所だけに一刻も早く落ち着くことを願っています。

さて、ちょっと前のことですが、某新聞社の香港駐在の方にランチに誘っていただき、「希望はあるか」と訊かれたので、「チムシャーツイで香港島を一望できる店を」とリクエストしました。

リクエストの理由は、拙著『カレンシーウォー 小説日中通貨戦争』の中で、イギリスの財務官、エドマンド ホール=パッチがペニンシュラの最上階の部屋で香港島を眺めながら独白する場面があり、その模写を正しく書いたかどうか確認しておきたかったから。

それは以下のような場面です。ホール=パッチが香港と上海を双子の美人姉妹にたとえ、近隣の乱暴息子(日本・日本軍)に純潔を汚されそうになっていることを憂いています。

カレンシーウォー 小説日中通貨戦争
第一部 一九三八年四月 香港 より

 南からの海風を抱くように、ザ・ペニンシュラは「コ」の字型に建っている。エドマンド・レオ・ホール=パッチは、その南東端最上階の部屋の窓辺に立ち、太陽光線をきらきらと反射しているビクトリア・ハーバーの上を忙しそうに行き来するフェリーを飽きることなく眺めていた。
 眼下のフェリーが向かう先の香港島は、海面から背中を覗かせる巨大な動物のようである。
 1841年にイギリス海軍がこの島を占領したとき、バラン・ロック、すなわち不毛の岩山と呼んだと言うが、それは嘘か見間違いに違いない、とホール =パッチは思った。山肌は緑で覆われ、広い庭園を有する白亜の邸宅が斜面一帯に広がっている。
 香港には太陽があり、海があり、山があり、緑がある。ここには上海に無いものが全て揃っているのだ。そのうえ香港には上海にはない開放感がある。香港も広くはないが、上海の旧イギリス租界は南北に一キロちょっとしかない。南に歩けばすぐに電気コンセントの形状すら異なるフランス租界に入ってしまうし、北側を隔てる蘇州河の対岸からは、日本からの押し潰されるような圧迫を常に感じていなくてはならない。しかし香港は、どこまで歩いてもイギリスである。
 とはいえ、香港が全ての面で上海を上回っていると言えば、それは言い過ぎである。太陽や海や山や緑に負けず劣らず重要な〝安全〟という面においてはどちらも大して変わらない。上海租界の周囲は日本軍によって包囲されているが、香港の後背地である広東省も、ごく近い将来に日本軍に占領され香港は孤立するのだろう。そしてもしイギリスと日本との間に戦争が始まれば、両市に対して日本軍は全く同時に兵を侵入させるだろう。香港のほうが駐留部隊の層は圧倒的に厚いが、陥落までの時間に大差はないに違いない。上海租界はおそらく抵抗なくすぐに日本軍の手に渡る。香港は、イギリス政府を信じてここに逃げ込んできている人々の手前、一応の抵抗はしなくてはならない。しかしそれも長くはもたない。香港には井戸がないので、日本軍が貯水池をおさえれば、すぐに全島が干上がってしまう。それに香港の食糧のほとんどは大陸など外部から入ってくるので、封鎖されれば餓えるのもすぐである。
 ホール=パッチが思うに、香港と上海は、姉のほうが少々美人で、妹のほうがちょっと活発な双子の姉妹である。
 一八四二年、アヘン戦争後の南京条約によって香港島はイギリスに割譲され、上海の港が開かれた。つまり両市は全く同じときに生まれた。姉は割譲地で妹は租界という法的位置づけの違いはあるが、中国の中の欧州、という外国人好みのそっくりの器量でカネをもった男たちを惹きつけた。そして今や、アジアになくてはならないよく似た国際貿易都市へと成長したのである。
 姉妹の隣の家には、以前はずいぶんと弱々しかったのに、いつのまにかに筋肉隆々になった乱暴息子がいる。その乱暴息子が姉妹の美しさに目をつけた。近隣の人たちは、乱暴息子も姉妹にだけは手を出さないだろうと思って財産を彼女たちに託しているが、姉妹の純潔が汚されるのも、もはや時間の問題となっている。
……

***

 それで、連れていっていただいたのは、チムシャーツイのiSquare(国際広場、ネイザンロード63号)29階、阿一海景飯店。リクエストどおりのすばらしい景観のレストランで飲茶をいただけました。
 店からとった写真が冒頭の写真です。「バラン・ロック」と呼ばれた山肌は確かに緑で覆われていましたが、広い庭園を有する白亜の邸宅ではなく、林立する高層ビル群により山肌のかなりの部分が隠れていました。ビクトリア・ハーバーについては、フェリーが忙しく往来しており、これはまさにイメージしたとおりでありました。
『カレンシーウォー 小説日中通貨戦争では、「香港と上海は、姉のほうが少々美人で、妹のほうがちょっと活発な双子の姉妹」と表現しているわけですが、その後妹は、しゅうとめが厳しい家に嫁ぎ自由を失い、一時貧乏を経験したけれども、最近になって家業が成功し大いに裕福になった。一方で姉は自由な家にいて妹よりはるかに豊かな暮らしをしていたのに、夫と離縁して実家に戻り、暮らしぶりはほとんど変化していないものの、自由をエンジョイしていた頃をずっと懐かしんでいて、美しく輝いていた顔からは笑顔が消え、ついには気持ちを抑え切れなくなり爆発した、というところでしょうか。 


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