暇人が自らフィルターバブルの中へ篭っていく様子と最終的にメタ認知に至るまで
書きたいことが頭の中で渋滞するようになってきた。
日々いろんな本や音声配信やSNSの書き込みなどを追っていると、種々雑多な情報の中からある一定のつながりが見えてくることがある。そのつながりの元というのは以前から私の頭の中にあるぼんやりとした仮説のようなものだったり、他者の言説の中で引っかかる部分として心に残っていたものだったりするのだけれど、そういう一見バラバラな点と点がある時ふっと、か細い線でつながることがある。そのか細い線を注意深く言語化しようとすると、これまた膨大な時間を要するため、私はインプットとアウトプットの速度に大幅なギャップがある。私が自分のことを「遅ちゃん」と名乗っているのは、このアウトプットの遅さのことを意味しているのであって、頭の中は別にそこまでぼーっとしているわけではない。ただ、入ってくる情報量に対してアウトプットの速度があまりに遅すぎるために、頑張って言語化したものがそこまでのあらすじをギュッと縮めたダイジェスト版のようなものになってしまったりしている。私の話が周りの人に通じないのはそういうことも一因のような気がする。なのでそのアウトプットの遅さという弱点を克服するため、少しずつこのnoteで私の考えていることを吐き出していきたいと思う。日頃、人としゃべらなすぎてアウトプットがめちゃくちゃヘタクソになっている可能性があるためだ(もともとヘタクソだと言われればそれまでなのだが)。
もちろん私の中にも興味関心の偏りがあって、日々摂取する情報のジャンルはかなり限られているとは思う。それは主に地域のことであったり、教育のことであったり、産業のトレンドであったりするのだが、共通するのは時代の流れを捉えようとする意識がどこかにあるということだ。それは私がこれまでの人生においてずっと何らかの生きづらさを抱えてきたことに起因すると思う。生きづらさの原因はその時々によって違う。子どもの頃は親に愛されていないのではないかという不安を抱えていたし、学生の頃は友達と気が合わない、集団に馴染むことができないといった悩みを抱えていた。社会人になってからはやりたいことができていないというジレンマを抱えていたし、人並みに稼げてもいないというコンプレックスもあった。そして結婚してからは、どうにか伴侶を得たにもかかわらず、まだ子どもも家も持てていないという焦燥感があった。思い返してみれば私の半生は、常に何らかの欠乏感によって不穏な空気に支配されていたのである。だから私は、これから自分がどの方向を向けば幸せになれるのかを、常に意識しながら社会のことを観察し続けてきたように思う。その結果が今の過疎地での生活なのだが、こちらに来たら来たでまた新たな問題に頭を悩まされている。それが今巷で騒がれているような、「喰われる自治体」とか、地方創生の闇みたいな話なのである。要するに、世の中全体が衰退の一途を辿っているので、どこへ逃げても行く先々でその衰退の影が私に迫ってくるのである。いや、たまたま私だけがダメな所へ流され続けているだけかもしれない。けれど、自分自身がその流れを客観的に注視できていなければ、今後もまた大きな潮流に押し流されて自分を見失ってしまう可能性があることを、私はいつも危惧している。その流れというのは震災後の復興ポエムのようなものだったり、コロナ後の学びと成長ポエムのようなものだったりするのだけれど、大衆の心を動かすものの裏側には何かしら破滅の危険みたいなものが見え隠れしていると思う。そして、どちらも今現在進行形で私の身の回りを取り囲んでいる。とくに前者についてはそれこそが地方創生の闇と直結しているように私には見えるのだ。
昨日、前回書いた記事にちなんで私は電動トゥクトゥクについて調べていた。新しい時代の簡易な移動手段として、特に過疎地における自宅と駅などの拠点間を結ぶ二次的な交通手段として非常に有効ではないかと考えているからだ。トゥクトゥクはバスなどと違い、1〜2人に対して1人のドライバーを要するためかえって非効率なようにも思えるが、そこは住民同士助け合い、手の空いている人がその時々でドライバーの役割を担えばいいのではないかと、コミュニティ運営の仕組みも含めて検討の余地はあるような気がしてぼんやり妄想を膨らませているのだ。
そんな考えからトゥクトゥクについて調べていると、とあるニュース記事が目に留まった。法政大学で、大学〜最寄駅間の通学に電動トゥクトゥクを使う取り組みが始まったというのだ。
これ、めちゃくちゃ楽しそうではないか。利用者本人も「アトラクションのよう」だと言っている。自動車と違って壁がないので風があって涼しく、気持ちいいらしい。こういうのは都会よりも、自然あふれる田舎の方が楽しいだろうなと、過去にタイやカンボジアのトゥクトゥクに乗った経験のある私は思うのである。当然、私ごときが思いつくのだから同じようなことを考える人は他にもいるだろうと思った。その検索結果がこのタイムリーなニュースなのであった。
ただし、「実証実験」という言葉に私は引っ掛かりを感じた。実験というからには目的があり、さらには実験主体となる組織があるはずなのだが、一体背後にどんな組織が隠れているのだろうか。私の住むK町でも、この「実証実験」という名のもとに怪しげな事業が行われ、何がどう実証されたのかロクに報告もされないまま無駄に公金だけが消えていった実態があるので、そこは注意が必要だ(ちなみに私の町で行われたのはトゥクトゥクではなくMaaSの実証実験だったのだが、この件についてはまた機会があれば触れてみたい)。
というわけで、私は同じ話題についてもう少し深く掘り下げている記事を探すことにした。すると以下のような記事が見つかった。
この記事の下の方に、この実証実験に関わる法政大学の教育プログラムについてのリンクがいくつか記載されており、私は手っ取り早く概要が知りたかったので一番下のダイジェスト版を見た。すると、冒頭30秒くらいでプログラム紹介をしている人物の下に、見覚えのある法人名が表示されていた。私は思わず再生の手を止めた。NPO法人◯◯◯◯。ここにも関わっているんだーと私は思った。この法人のことを私は何も知らない。どのくらい有名なのかとか、社会とどのような関わりがあるのかとか、詳しいことは何もわからない。けれど私はその名前を、自分が住むK町の一連のゴタゴタの中で偶然目にしたことがあったのだ。
「一連のゴタゴタ」というのは、ここ1〜2年くらいで徐々に表沙汰になりつつある「企業版ふるさと納税」に関連した官民連携事業のことである。詳しく説明すると長くなるのでここでは省くが、気になる方は「過疎ビジネス」でググってみてほしい。簡単にいうと、私の住むK町はとある民間企業との官民連携事業において行政機能を乗っ取られ、いらない救急車を12台も買わされた上に違法すれすれのマネーロンダリングに利用されたのだ。
その「過疎ビジネス」の共犯者の疑いがある組織として、私はこのNPO法人の名を記憶していた。K町の行政機能を乗っ取っていた疑惑の企業(仮にブンドル社としよう。一連の騒動の中で「行政ぶんどる」というパワーワードがこの企業の社長の口から飛び出し、世間をざわつかせたからだ。ちなみに社長はこの発言が原因で現在は代表の座から退いている)が設立した「官民なんたらコンソーシアム」という共同企業体の中に、このNPO法人◯◯◯◯も名を連ねていたからだ。調べてみると、ブンドル社の元社長は東日本大震災当時からこのNPO法人と関わりがあるらしい。もしかしたらもっと前からなのかもしれないが、そこらへんのことはあまり深掘りしていないので詳しいことはわからない。
それにしてもこのNPO法人◯◯◯◯という組織は、一体何者なのだろうか。何を目的としていて、誰が代表なのだろうか。純粋な興味関心から、私は団体概要のページを見た。見たのだが、代表者名の記載がない。役員名は載っているのだが、トップについては「特定の個人に権限・責任を集中させず、新たに設置された自主経営会議を中心とした自治に移行します。」とのことで、特定の代表者名の記載がないのである。このことを「新しいガバナンスや組織運営のあり方へのチャレンジ」と謳っているのだが、どうも何かが怪しい気がする。何が怪しいと感じるのかは、うまく言葉にするのが難しいのだが、単に私のカンである。
元代表の名は、調べればすぐに出てきた。Mという人物らしい。プロフィールを漁ってみると、2011年に世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ」に選出されたと書いてある。なんじゃそれは。全然私の知らない世界である。調べてみると…「ダボス会議」という単語が私の目に飛び込んできた。
私はガクッと脱力し、机に伏せたまま動けなくなった。ダボス会議。。。どこかで聞いたことはあるけれど、多分これ以上は深掘りしない方がいい。この名前を聞くと、事態は一気に陰謀論めいた様相を呈してくる。素人は手を出さない方がいい。心のセンタリングがブレてしまう可能性がある。。。
私は2階から降りてきた夫に「ダボス会議って知ってる?」と尋ねてみた。夫は私とは目を合わせず、下を向いたまま不気味な薄ら笑いを浮かべていた。やっぱり、そういうことなのだ。「一周遅れてるよ」夫はバカにして、それ以上何も教えてくれなかった。いや、いいのだ。私もこれ以上何も知りたくない。震災の時もコロナの時も、「そういう」真偽不明な情報からは距離を置いてきたのだ。知ったところで、私にはどうする術もない。
私は世界規模にまで拡大してしまった自分の興味関心を、いったん足元のこの過疎の町へと引き戻すことにした。あぶなかった。これだから、アホは良くない。ヒマがあったらネットサーフィンなんかしてないで、黙って働けというものである。それが一番世のためであり、自分のためだ。
「いつから仕事するの?今月はもう桃のバイトないんでしょ」
夫が私をつついてきた。
「6月からします…」
私は黙ってPCを閉じた。
おわり
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?