001:駒沢給水所の双塔を眺る
ずっと、駒沢給水所の双塔を眺めたいと思っていた。かれこれ30年ぐらいだろうか。その理由は全く思い出せない。にもかかわらず、ずっと心に残っている。
今日こそは駒沢給水所に行こう。まだ梅雨が始まらない6月の初めに思い立って出かけることにした。駒沢大学駅から、大きな通りを離れて住宅地へ進む。久しぶりに歩く世田谷の空気は変わらない。ただ心なしか建ち並ぶ家が小さくなっただろうか。相続で手放された土地に2棟、3棟と建てられているからかもしれない。
ここ・・・か?マンションの狭間、奥に鬱蒼とした樹々が見える。近づいて見ると確かに樹々の後ろに塔が見える。見えるのだが、伸び盛りの枝と高い壁に阻まれて全容どころか、半分も見えない。壁づたいに、時折やむをえず壁を離れながら、ぐるりと周回する。まわりながら、自分の30年に思いを馳せる。何もしない30年は当然のことながら何も残さない。終いには人生に悲観しながら、それでも一縷の望みを打ち砕く道を歩む。
見えなかった。
2周ほどして、何かを納得する。そして元来た道ではなく、桜新町駅に向かって歩き始める。
間隙より見えた駒沢給水所の双塔を改めて思い起こす。藤城清治さんの影絵のようなメルヘン。あるいは大正浪漫、アールデコの造形物のノスタルジー。ヨーロッパ中世のおとぎ話のロマンチック。いつしか想像力で補完して、物語性の高い存在へと昇華させている。
物語を胸に振り返り、再び諦観する。そして帰る方向へと踵を返すと「水道週間 駒沢給水塔 点灯」の文字。点灯されても給水塔は見えないのは百も承知。それでも双子におよばれした気持ちになり、4日後にまたお邪魔することになる。
住宅街から桜神宮の横から大通りへと進む。次は逆側から桜新町駅から駒沢給水所へ、そして駒沢大学駅へと向かうことだけは決めている。
駒沢給水塔今年で100年を迎えるという。そんな年に相見えることができたことを嬉しく思う。生きている間に、もう少し近くで見られると・・・