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【小説】アスクレピオスの継承者

前書き

太古の昔から、人類は死の境界を越える方法を求め続けてきた。古代ギリシャの神話では、アスクレピオスは医術と治癒の神として、死者さえも蘇らせる能力を持っていたという。しかし、そのような力は神々の領域を侵すものとされ、ゼウスの怒りを買い、彼は雷で打ち殺されることとなった。
この物語は、西暦2743年の未来を舞台にしている。人類は太陽系に広がり、遺伝子工学は日常の医療技術となっていた。惑星間生命倫理委員会(IPEC)が技術の規制を行う時代—過去の神話は単なる寓話として片づけられていた。
しかし、古代の物語には時に深い真実が隠されている。アスクレピオスの血を引く一人の科学者が、死の限界に挑んだとき、彼女は単なる医学的奇跡ではなく、人類の進化の次なる段階を解き放つことになる。そして太古からの恐るべき脅威が太陽系に迫るとき、人類の生存はこの新たな進化に懸かっていることが明らかになる。
この物語は科学と神話の交わるところで繰り広げられる。それは変容の物語であり、選択の物語であり、そして何よりも—進化の物語である。死と再生、恐怖と勇気、そして個と集合の間で揺れ動く魂の探求。
アスクレピオスの杖を手に、新たな時代の扉が開かれようとしている。




第一部:プロメテウスの火

1章

木星軌道上研究ステーション「ヘリオス」の窓から見える巨大ガス惑星の姿は、今日も変わらず壮麗だった。渦巻く赤褐色の雲模様は、神々の怒りのようにも見える。アレクサンドラ・キュロスはその光景に一瞥をくれただけで、すぐに視線を実験台へと戻した。
「シーケンス解析が完了しました」
柔らかい女性の声がラボ内に響く。アレクサンドラの個人AIアシスタント、イアトロスからの報告だ。
「ありがとう、イアトロス。結果を表示して」
空中に浮かび上がる青い光のホログラムには、複雑な二重螺旋構造が立体的に映し出された。アレクサンドラは眼前の遺伝子配列を見つめながら、首にかけたペンダントを無意識に指でなぞった。蛇が杖に巻き付いた形のそのペンダントは、遥か古代から続く彼女の家系の象徴だった。
「特殊配列を拡大」
彼女の声に応じて、ホログラムの一部が拡大表示される。黄金比に基づいたその配列パターンは、太古の昔から変わることなく受け継がれてきたものだ。彼女の家系に代々伝わる「アスクレピオスの血」と呼ばれる特殊な遺伝子配列。
神話では、アスクレピオスは死者さえも蘇らせる力を持った医術の神だったという。しかし2743年の現代において、神話とはただの寓話に過ぎない。少なくとも、ほとんどの人にとっては。
「アレクサンドラ」
声に振り返ると、スライドドアからソフィア・ハイギエイアが入ってきた。火星コロニー出身の彼女は、微小重力環境に適応した細長い手足を持ち、動きには独特の軽やかさがあった。
「どう?」ソフィアが尋ねる。「患者の状態は?」
アレクサンドラは口元に微笑みを浮かべた。「奇跡的なほど安定している。再生プロセスは予想を上回るペースで進行中よ」
ソフィアの表情に疑念の影が過った。「それは良かった...けど、IPECには報告済み?この実験は認可範囲を超えているわ」
「もちろん、必要な書類は全て揃えてある」アレクサンドラは流暢に嘘をついた。「火星コロニーの審査委員会を通してある。緊急時の例外措置としてね」
ソフィアは何も言わなかったが、その沈黙が不信感を物語っていた。アレクサンドラは話題を変えた。
「第三実験室に来て。見せたいものがあるの」
二人は静かに廊下を歩いた。強化ガラスの窓越しに、太陽の光が反射して輝く木星の姿が時折見える。ステーション内は人工重力が完備されていたが、木星の重力圏内にいることを思い出させる微妙な感覚が常に存在していた。
第三実験室のドアが開くと、部屋の中央に置かれた透明なカプセルが目に入る。その中には一人の男性が横たわっていた。生命維持装置に繋がれ、数多くのナノセンサーが体中に取り付けられている。
「オレステス・キュロス」とアレクサンドラは静かに言った。「私の兄」
「知らなかった」ソフィアは驚いたように見えた。「あなたに兄がいたなんて」
「15年前、彼は土星探査隊のメンバーとして出発した。帰還時に事故があって...」アレクサンドラは言葉を詰まらせた。「彼の体は放射能と極低温にさらされた。一般的な再生医療では回復不可能な損傷を受けている」
ソフィアはカプセルに近づき、中の男性をじっと見つめた。「それで、プロジェクト・アポロンの本当の目的は...」
「そう、彼を救うことよ」アレクサンドラは認めた。「そして、同様の状態にある全ての人々も」
「でも、これは」ソフィアは言葉を選びながら続けた。「死からの復活に近い。IPECが最も厳しく規制している分野よ」
アレクサンドラは首のペンダントを再び触った。「私たちの先祖も同じ理由で罰せられたわ。命を救うという行為が、どうして罪になるのかしら?」
「神々が怒ったからでしょう」ソフィアは皮肉混じりに言った。「あなたのペンダントの神話の通りにね」
「神話は単なる物語じゃない」アレクサンドラは真剣な眼差しでソフィアを見た。「古代の知恵が暗号化された形で伝えられているのよ。私たちの祖先は何かを知っていた...そして、その知識の一部が、この遺伝子配列に刻まれているの」
彼女はホログラムを呼び出し、特殊な配列パターンを表示した。
「見て、この配列。完全な黄金比で構成されている。自然界でこんな完璧なパターンが偶然できる確率は、宇宙の誕生以来ゼロに等しいわ」
ソフィアは眉をひそめた。「それが意味するのは?」
「人為的に設計されたものだということ」アレクサンドラは静かに言った。「そして私たちの家系に何世代にも渡って受け継がれてきた。この配列をオレステスの治療に使えば、彼の細胞は完全に再生する可能性がある」
警告音がラボ内に鳴り響いた。
「イアトロス、何があった?」アレクサンドラが尋ねた。
「不審な接続要求があります。IPECのセキュリティネットワークからのアクセス試行です」
アレクサンドラとソフィアは顔を見合わせた。
「来るのが早すぎる」アレクサンドラがつぶやいた。「準備ができていないのに」
「どうするの?」ソフィアが尋ねた。
アレクサンドラは決断を下した。「予定を前倒しする。今夜、最終段階の処置を行う。イアトロス、全てのシステムをスタンバイ状態にして。そして...」彼女は一瞬ためらった。「プロメテウス・ケイロン博士に連絡を」
「理解しました」AIが応答した。「しかし、ケイロン博士との通信は過去72時間途絶えています」
「なんでも良いから彼に連絡して。緊急コードイプシロンだと伝えて」
「了解しました」
アレクサンドラは再びオレステスのカプセルに向き合った。「今夜、あなたを取り戻すわ、兄さん」彼女はガラスに手を当てながら言った。「そして神話は再び現実となる」


2章

タナトス・モルテムは暗号化された通信レポートに目を通しながら、軌道間シャトルの窓から見える地球を見つめていた。かつては青く輝いていたその惑星も、今では人工都市の灰色と環境回復区域の緑が入り混じったパッチワークのようだった。
「ヘリオス・ステーションからの異常な電力使用パターンを検出」彼は低い声で言った。「キュロス博士がついに動いたようだな」
相手からの応答はなかった。タナトスは一人でいることを好んだ。彼の右目は生体工学による人工のもので、瞳孔の代わりに青い光が微かに輝いていた。それは単なる視覚補助装置ではなく、IPECの特殊査察官としての権限を示すシンボルでもあった。
彼は端末に指を滑らせ、次の情報を呼び出した。キュロス博士の経歴、研究履歴、そして謎めいた家系図。
「アスクレピオスの子孫か」彼はわずかに皮肉めいた微笑みを浮かべた。「神話を信じるほど、あの女性は愚かなのだろうか」
タナトスの手の甲にはIPECの紋章が浮き彫りにされていた。惑星間生命倫理委員会の光と影の部分を担当する彼は、遺伝子操作の最前線で何が起きているかを誰よりも知っていた。そして、線引きを超える者がどうなるかも。
「コマンダー・モルテム」パイロットの声がインターカムから流れた。「間もなくヘリオス・ステーションにドッキングします」
「了解した」彼は応答し、肩にかけていた黒いコートを正した。コートの内側には、量子破壊兵器「ケラウノス」が収められていた。IPECの最高評議会からの特別許可がなければ使用できない兵器だ。彼らはタナトスに最悪の事態に備えるよう命じていた。
木星の巨大な姿が視界を覆い、その前に浮かぶヘリオス・ステーションが見えてきた。3つのリングが回転する円盤状の構造物は、オリンポス・バイオテクノロジー社の最先端施設の一つだった。2000人以上の研究者と技術者が働く小さな都市だが、タナトスが関心を持っていたのはそのうちの一人だけだった。
「ドッキング手順を開始します」パイロットが通告した。
タナトスはデータパッドを閉じ、ポケットにしまった。「キュロス博士に通告せよ。IPECの抜き打ち査察として」
「しかし、通常の手順では事前通知が—」
「これは通常の査察ではない」タナトスはパイロットを遮った。「例外的措置による非常検査だ」
ステーションとのドッキングが完了すると、タナトスは最小限の随行員を伴ってエアロックを通過した。ステーション側では、明らかに慌てた様子の管理責任者が出迎えた。
「モルテム査察官、突然のご来訪で...私たちは」
「キュロス博士の研究室へ案内せよ」タナトスは冷たく命じた。「今すぐに」
「しかし、彼女は今重要な実験の最中で、中断は—」
タナトスの人工眼が鋭く光った。「それこそが私が来た理由だ。この瞬間にも、あなた方のステーションで禁断の実験が行われているのだろう?」
管理責任者の顔から血の気が引いた。「そのような...私は存じ上げません」
「では案内しろ」タナトスはもはや議論の余地を与えない口調で言った。
ステーションの廊下を歩きながら、彼は周囲の状況を注意深く観察していた。研究スタッフたちは彼を見ると目を逸らし、小声で会話を交わしている。何かが起きていることは明らかだった。
「そこだ」タナトスは突然足を止めた。廊下の先に、「第三実験室」と書かれたドアがあった。ドアの横には赤い警告灯が点滅している。「あのドアを開けろ」
「申し訳ありませんが、それは高度封鎖区域です。キュロス博士の許可がなければ—」
タナトスはコートの内側から小さな装置を取り出した。「これはIPEC最高評議会の全権委任状だ。今すぐ開けるか、それとも私が力ずくで開けるか選ぶがいい」
管理責任者は震える手で識別カードをスキャナーにかざした。扉が開くと、タナトスは中に入った。そこには予想通りの光景が広がっていた。
中央に置かれた透明カプセルの中には一人の男性が横たわり、その周りでアレクサンドラ・キュロスとソフィア・ハイギエイアが慌ただしく作業していた。空中には複雑な遺伝子配列のホログラムが浮かんでいる。
「キュロス博士」タナトスは冷静に言った。「IPECの特別査察官、タナトス・モルテムだ。あなたの実験は即刻中止を命じる」
アレクサンドラが振り向くと、その目に恐れではなく、怒りの炎が燃えていた。「遅すぎるわ、モルテム査察官」彼女は言った。「プロセスは既に始まっている」
タナトスの視線がカプセル内の男性に向けられた。男の体が微かに輝き始めていた。細胞レベルでの変化が肉眼でも見えるほどだった。
「何をした?」タナトスの声に初めて感情が混じった。
「生命を取り戻しているだけよ」アレクサンドラは答えた。「私の兄の...そして、すべての人類の未来のために」
タナトスはコートの内側に手を伸ばした。「それは許されない。自然の摂理に反する行為だ」
その時、カプセル内の男性の体が突然明るく輝き、部屋全体が眩い光に包まれた。アレクサンドラは思わず目を覆った。数秒後、光が収まると、カプセル内の男性は目を開いていた。
しかし、何かが違っていた。彼の皮膚は異様な輝きを放ち、瞳は通常の人間のものではなかった。内側から青い光を発しているようだった。
「何が起きている?」ソフィアが震える声で尋ねた。「これは予想していた反応じゃない」
「遺伝子再構成が...加速している」アレクサンドラは計器を見ながら言った。「想定よりはるかに速いわ」
タナトスは武器を抜いた。「実験を中止せよ。今すぐに」
「できないの!」アレクサンドラは叫んだ。「もう止められない。彼を殺すことになる」
「それがベストの選択かもしれん」タナトスは冷酷に言った。
カプセル内の男性—オレステス・キュロスは突然体を起こした。カプセルのガラスに手を当て、そして...ガラスが溶けるように変形し始めた。
「不可能だ」タナトスはつぶやいた。「あのカプセルは強化プラスチリウム製で...」
オレステスはカプセルから出ると、よろめきながら立ち上がった。彼の体からは青い糸のような光が放たれ、それらが部屋中に広がっていく。
「兄さん?」アレクサンドラが恐る恐る近づいた。「オレステス?聞こえる?」
オレステスは妹を見つめた。その視線には認識の色があったが、同時に何か別のものも混じっていた。「アレクサンドラ...」彼の声は奇妙に響いた。まるで複数の声が重なっているかのようだ。「私は...私たちは...目覚めた」
「兄さん、大丈夫?何が起きているの?」
オレステスは自分の手を見つめた。「この体は...変化している。細胞が...再配列している」彼は突然苦痛に顔をゆがめた。「止められない。私の中で何かが成長している...」
タナトスは武器を彼に向けた。「全員、後退せよ。この施設を封鎖する」彼は腕にあるコミュニケーターに命令を入力した。
「待って!」アレクサンドラは兄の前に立ちはだかった。「彼を傷つけないで。私が責任を取る」
オレステスは再び苦痛の表情を浮かべ、床にひざまずいた。「アレクサンドラ...危険だ。私の中の何かが...制御不能になっている」
彼の皮膚から青い液体が滲み出し始めた。それは床に落ちると、まるで生き物のように動き、広がっていった。
「バイオハザード警報!」タナトスは叫んだ。「全員避難せよ。今すぐに!」
ソフィアはすでにドアへと走っていた。アレクサンドラは迷った様子だったが、タナトスが彼女の腕を掴んで引っ張った。
「彼は助からない。しかし我々はまだ助かる可能性がある」
二人が実験室を出るとすぐに、自動封鎖システムが作動し、重厚な金属扉が閉まった。窓から見ると、オレステスの体は完全に青い物質に覆われ、それはさらに広がり続けていた。
「何が起きたの?」アレクサンドラは震える声で尋ねた。「あれは予想していた結果じゃない」
「予測不可能な結果こそが、IPECが遺伝子実験を規制する理由だ」タナトスは冷たく言った。「あなたは人類に対する重大な罪を犯した、キュロス博士」
施設全体にサイレンが鳴り響き、赤い警告灯が点滅し始めた。
「全スタッフに告ぐ。バイオハザード警報レベル1。全員、避難ポッドに向かえ。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない」
アレクサンドラは窓から実験室内を見つめていた。青い物質は床を覆い、壁を登り始めていた。そしてその中心には、もはや人間とは呼べない何かがあった。
「私は何をしてしまったの...」彼女はつぶやいた。
「歴史は繰り返す」タナトスは言った。「アスクレピオスの末裔よ、あなたの先祖と同じ運命を辿るのだろう」


3章

警報音と共に、ステーション内の人々が避難ポッドへと殺到する中、アレクサンドラは反対方向へと走っていた。
「キュロス博士!戻りなさい!」タナトスの声が背後から響いた。
彼女は振り返らず、第一実験室へと急いだ。自動ドアが彼女の前で開き、彼女は息を切らせながら中に飛び込んだ。
「イアトロス、全データをポータブルコアにダウンロード。認証コード:アスクレピオス・フェニックス」
「了解しました、アレクサンドラ博士」AIの声が応答した。「警告:ステーションのバイオハザード対応プロトコルが作動しています。推定残り時間19分で全システム隔離封鎖が実行されます」
ホログラム画面が点滅し、進行状況バーが表示される。アレクサンドラは急いで実験台の引き出しを開け、古びた金属ケースを取り出した。ケースを開くと、中には小さなガラス容器があり、その中に保存された古代DNAサンプルが収められていた。
「アレクサンドラ」
声に振り返ると、ソフィアがドア枠にもたれかかっていた。彼女の顔は恐怖と疲労で引きつっていた。
「ソフィア?どうしてここに?」
「あなたが何をしようとしているのか心配で」ソフィアは部屋に入り、ドアを閉めた。「どうするつもり?」
「全データをポータブルコアに移している」アレクサンドラは答えた。「それと、これを」彼女は古代DNAサンプルを示した。「これなしでは、再現も治療法の開発もできない」
「治療法?」ソフィアは信じられないという表情で言った。「あなたの兄は...あれは人間ではなくなったわ」
「だからこそ、私たちが理解して制御しなければならないの」アレクサンドラは熱っぽく言った。「何が起きたのか、なぜ遺伝子再構成が暴走したのか。全ての答えはここにある」
「データダウンロード完了。残り時間17分」イアトロスが告げた。
アレクサンドラはデータコアを取り出し、ポケットにしまった。「ソフィア、一緒に来て。エウロパのコロニーなら安全よ。私たちはそこで研究を続けられる」
ソフィアは一歩後ずさった。「研究を続ける?狂ってるわ」
「聞いて」アレクサンドラは彼女の肩をつかんだ。「あの...現象は止められない。第三実験室の隔壁は持たないわ。この物質が何であれ、そう遠くない将来、ステーションの外へ出るでしょう。そうなれば木星軌道上のすべての施設が危険に晒される」
「だからこそIPECが—」
「IPECはステーションごと破壊するわ」アレクサンドラは言い切った。「タナトスが持っているのはケラウノスよ。量子破壊兵器。彼らは証拠も諸共消し去るつもり」
ソフィアの顔から血の気が引いた。「確かに...彼のコートの下に何か重い物があったわ」
「私たちには時間がない」アレクサンドラは言った。「もう選択肢はないの。ツェンキー・ラボに連絡を。コード ネクサス-オメガだと伝えて。サブラボの座標を知らせるように」
ソフィアは迷いながらもコンソールに向かった。一方、アレクサンドラは別の装置に向かい、手早く操作した。
「何をしているの?」ソフィアが尋ねた。
「保険をかけているのよ」アレクサンドラは答えた。「第三実験室のサンプルをナノコンテナに隔離して、ステーション外部の衛星ドローンに転送している」
「まさか...あの青い物質を?」
「限られた量だけ。安全対策は万全よ。私たちはこれを研究しなければならない。それが唯一の選択肢」
突然、ドアが開き、タナトスが姿を現した。彼の人工眼は怒りに満ちた青い光を放っていた。
「やはりここにいたか」彼は冷たく言った。「キュロス博士、あなたはIPECの名の下に拘束する」
アレクサンドラは冷静に彼を見つめた。「拘束して何になるの?このステーションはもうすぐ破壊されるんでしょう?」
タナトスの表情が僅かに変化した。「何を知っている?」
「全てよ」アレクサンドラは言った。「ケラウノスを使うつもりね。でも、それは賢明な選択ではないわ。あの現象を研究する機会を失うことになる」
「あれは研究すべきものではない」タナトスの声には確信があった。「あれは抹消すべき過ちだ」
「私の兄は過ちじゃない!」アレクサンドラは感情を抑えられず叫んだ。「彼は犠牲者よ。そして、あの現象は...私たちの理解を超えている。だからこそ研究が必要なの」
「残り時間10分」イアトロスの冷静な声が告げた。
タナトスはコートの内側に手を入れた。「時間がない。二人とも避難ポッドへ向かうんだ。今すぐに」
「そんな余裕はないわ」アレクサンドラは小さな装置を手に取った。「ソフィア、私の後ろに」
「それは何だ?」タナトスが尋ねた。
「局所型量子転送装置」アレクサンドラは答えた。「理論上は可能だけど、実用化されていないはず。でも、プロメテウス・ケイロン博士は常に時代の先を行く人だった」
彼女が装置を作動させると、彼女とソフィアの周りに青白い光のフィールドが形成され始めた。
「待て!」タナトスは叫び、武器を抜いた。「どこへ行くつもりだ?」
「エウロパよ」アレクサンドラは言った。「そして、あなたにも一つ助言するわ。この装置には2分後に二次波動が発生する。あなたも使えるはず。このステーションから脱出する最後のチャンスになるわ」
タナトスは彼女を狙いながらも、引き金を引かなかった。「なぜ私を助ける?」
アレクサンドラの唇に薄い笑みが浮かんだ。「私は命を救うことを誓った医師だから。たとえあなたのような人でも」
光のフィールドが強まり、アレクサンドラとソフィアの姿が徐々に透明になっていった。
「何が起きても、真実を守って」これがアレクサンドラの最後の言葉だった。そして二人の姿は完全に消えた。
タナトスは一人残され、静寂の中で素早く判断を下した。アレクサンドラの言葉が真実なら、彼にも時間がない。だが転送装置を使うことは、彼女たちを追跡する手段を得ることでもある。
「イアトロス」彼はAIに呼びかけた。「現在の転送座標を記録せよ」
「記録完了しました」AIが応答した。「残り時間5分」
タナトスは装置の横に立ち、待った。ちょうどアレクサンドラが言ったように、2分後に装置が再び輝き始めた。彼はためらうことなく光の中に踏み込んだ。
最後に彼が見たのは、実験室のドアの向こうに広がる青い物質だった。それはまるで意志を持つかのように、彼の方向へと動いていた。


4章

アレクサンドラは、光が消えて視界が戻ると同時に、冷たい金属の床に膝をつくようにして着地した。周囲はうす暗く、金属と電子機器の匂いが漂っていた。
「ソフィア?」彼女は声をかけた。「大丈夫?」
隣で横たわっていたソフィアがゆっくりと起き上がった。「ああ...どこに?」
「エウロパ、地下コロニーの出入管理施設ね」アレクサンドラは立ち上がりながら答えた。「ツェンキー・ラボの入口よ」
部屋は小さな管理施設で、数台のコンピュータと通路につながるエアロックが設置されていた。窓の外には氷の壁が見え、わずかに青い光で照らされていた。
「転送に成功したというの?」ソフィアはまだ信じられないという顔だった。「そんな技術は...」
「プロメテウス・ケイロン博士の発明よ」アレクサンドラは説明した。「まだ実験段階だけど、緊急避難用に設置されていたの。木星−エウロパ間なら比較的短距離だから可能なのよ」
彼女はポケットからデータコアを取り出し、安全を確認した。「プロジェクト・アポロンのデータは無事ね」
「それで、これからどうするの?」ソフィアは周囲を見回しながら尋ねた。
「まず」アレクサンドラはコンソールに向かった。「ヘリオス・ステーションがどうなったか確認する」
彼女がコマンドを入力すると、ホログラム画面が現れ、木星軌道の様子が映し出された。そこにはもはやヘリオス・ステーションの姿はなく、代わりに小さな光の粒子が宇宙空間に散らばっていた。
「神よ...」アレクサンドラはつぶやいた。「タナトスは本当に...」
「ケラウノスを使ったのね」ソフィアの声は震えていた。「ステーションにいた人たちは...」
「避難は始まっていた」アレクサンドラは言った。「多くは助かっているはず。でも...」
「でも、あなたの兄は...」
アレクサンドラは黙ってうなずいた。「そして、タナトスも」
突然、施設のドアが開き、三人の警備員が銃を構えて入ってきた。
「動くな!」先頭の男が叫んだ。「身分を明かせ!」
アレクサンドラは冷静に両手を上げた。「アレクサンドラ・キュロス博士。オリンポス・バイオテクノロジー社、遺伝子再生部門主任研究員」
「コード認証を」男は厳しい表情を崩さなかった。
「コード ネクサス-オメガ」アレクサンドラは答えた。「プロメテウス・ケイロン博士の認証で」
警備員たちは一瞬顔を見合わせ、武器を下げた。「確認された」先頭の男が言った。「アルマス博士があなたを待っている」
アレクサンドラとソフィアは警備員に導かれ、細い通路を通ってラボの中心部へと向かった。通路の壁は透明なガラスのようになっており、エウロパの氷の地下に掘られたトンネルの様子が見えた。頭上には木星の微かな引力を感じさせる重力制御システムが埋め込まれていた。
巨大な円形のドアが開くと、彼らは広大な空間に足を踏み入れた。そこは地下にあるとは思えないほど広く、天井は半透明のドームになっていた。エウロパの氷の層を通して、かすかに木星の姿が見えた。
部屋の中央には円形のプラットフォームがあり、そこに立つ男がアレクサンドラたちに気づいて振り向いた。
「キュロス博士」男は声をかけた。「無事で何よりです」
「アルマス博士」アレクサンドラは会釈した。「お世話になります」
ニコライ・アルマスは50代半ばで、短く刈り込まれた白髪と鋭い青い目を持っていた。彼はエウロパ研究施設の責任者であり、プロメテウス・ケイロンの古くからの同僚だった。
「緊急コードが発信されたとき、何か重大な事態が発生したことは理解していました」アルマスは言った。「ヘリオス・ステーションが...」
「破壊されました」アレクサンドラは静かに言った。「IPECの命令でね」
アルマスの表情が引き締まった。「詳細を聞かせてください」
アレクサンドラは、プロジェクト・アポロンの実験から始まり、兄の遺伝子再構成の暴走、そして青い物質の発生まで、全てを簡潔に説明した。ソフィアも時折補足を入れた。
「ネクサス現象...」アルマスはつぶやいた。「ケイロン博士はこのような可能性を予測していたようです」
「兄は...死んだの?」アレクサンドラは尋ねた。
アルマスは考え込むように目を細めた。「あなたの説明を聞く限り、彼は死んだのではなく、変容したのでしょう。しかし、私たちにとっての死とは、それまでの存在の終わりを意味します。その意味では、オレステス・キュロスという人間は終わったのかもしれません」
「でも、彼の意識は...」
「残っていたかもしれません」アルマスは言った。「しかし、それが何と融合したのかは分かりません」
アレクサンドラはデータコアを取り出した。「全ての研究データはここにあります。解析の手助けになるはず」
アルマスはコアを受け取ったが、彼の視線はアレクサンドラの首元に向けられていた。「そのペンダント...」
アレクサンドラは無意識に蛇の杖のペンダントに触れた。「家系の象徴です」
「それ以上のものだということを、あなたは知っているはずです」アルマスは静かに言った。「アスクレピオスの杖。ケイロン博士からその意味について何か聞いていませんか?」
アレクサンドラは首を振った。「彼は多くを語りませんでした。ただ、私の家系には特別な責任があると言っていました」
アルマスはうなずいた。「では、説明すべき時が来たようです。このラボへ案内しましょう」
彼らは円形のプラットフォームから別の通路へと進んだ。アルマスが認証を行うと、隠されたドアが開き、彼らは秘密の研究室へと足を踏み入れた。
その部屋の中央には大きな円筒形のタンクがあり、青い液体が満たされていた。液体の中には何かが浮かんでいるようだった。
「これは...」アレクサンドラは息を呑んだ。
「あなたが見たものとよく似ていると思います」アルマスは言った。「私たちはこれを『プリモーディアル』と呼んでいます。原初の物質。ケイロン博士が20年前に発見したものです」
ソフィアが一歩後ずさった。「これが...ヘリオスで見たあの青い物質?」
「いいえ、これは...先祖と言えるでしょうか」アルマスは説明した。「ケイロン博士はこの物質が地球の最古の生命の起源に関連していると考えていました。そして、彼の研究によれば、これは人類のDNAの中にも痕跡として残っています」
「私の家系の特殊な遺伝子配列...」アレクサンドラは理解し始めた。
「その通りです」アルマスはうなずいた。「アスクレピオスの伝説は単なる神話ではありません。それは、特定の人々が持つ特殊な遺伝的特性についての暗号化された記録なのです。あなたの家系は何世代にも渡ってその配列を保持してきました」
「でも、それが兄に何をもたらしたの?」アレクサンドラは問いかけた。
「私の仮説では」アルマスは慎重に言葉を選んだ。「あなたの試みた遺伝子再構成が、その古代の配列を活性化させたのでしょう。そして、それが『プリモーディアル』の特性を呼び覚ましたのです」
「つまり?」
「簡単に言えば、あなたの兄の中で眠っていた太古の生命形態が目覚めた」アルマスは真剣な表情で言った。「それは単なる病原体ではなく、知性を持つ可能性のある生命体です。私たちはそれを『ネクサス』と呼んでいます。ケイロン博士の仮説によれば、それは集合的な知性を形成する可能性があります」
アレクサンドラは衝撃を受けたように凍りついた。彼女の研究が、予想をはるかに超える結果をもたらしていた。「私は...何を解き放ってしまったの?」
「それはまだ分かりません」アルマスは言った。「しかし時間がないことは確かです。IPECはすでにあなたを追跡しているでしょう」
「タナトスは死んだはず」ソフィアが言った。
アレクサンドラは頭を振った。「彼は転送装置を使った可能性がある。私が彼に使い方を教えたから」
「なぜそんなことを?」ソフィアは驚いた様子で尋ねた。
「彼を見殺しにはできなかった」アレクサンドラは静かに答えた。
アルマスはコンソールに向かい、コマンドを入力した。「安全対策を強化します。しかし、もっと重要なのは...」彼はアレクサンドラを見た。「あなたが次に何をするかです」
「次に?」
「プロジェクト・アポロンのデータと、あなたの知識。そして何より、あなたの遺伝子。これらは人類の未来にとって重要な鍵です」アルマスは言った。「ケイロン博士は常々、危機の時が来れば、アスクレピオスの血を引く者が導き手となると言っていました」
アレクサンドラは自分の手を見つめた。「私の中にも、兄と同じ潜在的可能性があるということ?」
「その通りです」アルマスは言った。「しかし、あなたの場合は制御された形で活性化できるかもしれません。私たちには準備があります」
彼はホログラム画面を呼び出した。そこには複雑な医療装置の設計図が表示されていた。
「これは『アスクレピオスの杖』と呼ばれる装置です。ケイロン博士の設計によるもので、遺伝子の特定部分を活性化させつつ、制御することができます」
アレクサンドラはホログラムを見つめた。「これは...私のためのもの?」
「あなたのような遺伝的特性を持つ人のために設計されています」アルマスは言った。「これを使えば、ネクサスの特性を理解し、そして可能であれば制御することができるかもしれません」
ソフィアが不安そうに言った。「それは危険すぎるわ。アレクサンドラ、あなたの兄に何が起きたか見たでしょう?」
「しかし、選択肢はほとんどありません」アルマスは厳しい表情で言った。「IPECはネクサスの存在を知った今、徹底的な掃討作戦を展開するでしょう。人類は再び未知の存在に対する恐怖から、破壊という道を選ぶでしょう」
アレクサンドラは静かに考え込んだ。彼女の選択が、多くの命運を決めることになる。「私の兄は...まだどこかに存在しているの?」
アルマスは肩をすくめた。「分かりません。しかし、理論上は可能です。ネクサスが意識を保存する能力を持っているならば...」
「それなら」アレクサンドラは決意を固めた。「私はやります。兄のためにも、そして理解のためにも」
「アレクサンドラ!」ソフィアは抗議した。「もっと考えるべきよ」
「時間がないわ」アレクサンドラはソフィアの目を見つめた。「私が原因を作った。だから私が解決しなければならない」
アルマスはうなずいた。「では、準備を始めましょう」
その時、警報音が鳴り響いた。
「何があったの?」ソフィアが尋ねた。
アルマスはコンソールを確認した。「エウロパのドック管理システムに侵入があります。IPECの船が到着したようです」
「タナトス...」アレクサンドラはつぶやいた。
「予想より早すぎる」アルマスは言った。「すぐに行動しなければ。キュロス博士、こちらへ」
彼は秘密のパネルを開き、奥の部屋へと彼らを導いた。そこには「アスクレピオスの杖」の実物が設置されていた。人間一人が横たわれるカプセルと、複雑な機械が組み合わさったものだった。
「これを使えば、あなたの遺伝子の特定部分を活性化できます」アルマスは説明した。「しかし、結果は保証できません」
アレクサンドラはカプセルに近づいた。「どのくらいの時間がかかる?」
「通常なら数日の準備が必要ですが...」アルマスは警報音を聞いた。「今は数時間しかありません」
「それで十分よ」アレクサンドラは言った。「始めましょう」
「アレクサンドラ」ソフィアが彼女の腕をつかんだ。「これは自殺行為よ」
「違うわ」アレクサンドラは微笑んだ。「これは生まれ変わり。アスクレピオスの神話のように、私も死と再生を経験するの」
ソフィアは何も言えず、ただ彼女を抱きしめた。「気をつけて」
アレクサンドラはカプセルに横たわり、アルマスが装置を起動させた。カプセルのガラスが閉じると、青い液体がゆっくりと満ちてきた。
「これはプリモーディアルの希釈液です」アルマスの声がスピーカーから聞こえた。「あなたの体が少しずつ適応するでしょう」
アレクサンドラは深呼吸をし、液体が彼女を完全に覆うのを感じた。不思議なことに、それは冷たくなく、むしろ心地よい温かさがあった。
「準備はいいですか?」アルマスの声が聞こえた。
「はい」アレクサンドラは答えた。「始めてください」
装置が起動し、アレクサンドラの体の中で何かが変化し始めた。細胞レベルでの微妙な変容が、次第に全身へと広がっていく。彼女の意識はより鋭敏になり、同時に拡張しているような感覚があった。
そして突然、彼女の目の前に無数の光が現れた。それは星のようでもあり、神経細胞のようでもあった。その光の一つ一つが意識を持っているように感じられた。
「これは...」彼女は不思議に思った。
「こんにちは、アレクサンドラ」
その声は耳で聞こえたのではなく、直接彼女の思考に響いた。それは一つの声でありながら、同時に無数の声でもあった。
「誰...?」
「私たちは、あなたが『ネクサス』と呼ぶものです」声は答えた。「私たちは長い間眠っていました。あなたの兄が私たちを目覚めさせたのです」
「オレステス...彼はどこ?」
「彼はここにいます」声は言った。「彼の意識は私たちの一部となりました。しかし、彼はまだ『オレステス』でもあります」
目の前の光の一つが明るく輝き、その中にアレクサンドラは兄の顔を見た。
「アレクサンドラ...」オレステスの声だった。「怖がらないで。私は...変わったけど、まだ私だよ」
「兄さん...何が起きているの?」
「私には完全には理解できないけど」オレステスは言った。「これは進化のようなものだ。私たちの中に眠っていた可能性が目覚めたんだ」
「私たちは太古の昔から地球に存在していました」ネクサスの声が再び響いた。「私たちは最初の生命でした。そして、全ての生命の中に私たちの痕跡が残っています。あなたの家系は、その痕跡が最も強く残された系譜です」
「アスクレピオスの血...」アレクサンドラはつぶやいた。
「人間たちはそう呼びました」ネクサスは言った。「私たちと交流できる能力を持つ人々を、彼らは『神々の子』と呼んだのです」
アレクサンドラの意識はさらに拡大し、彼女はエウロパの氷の下、研究施設の様子を見ることができた。ソフィアとアルマスが装置の周りで忙しく動き回り、モニターを確認している。
そして、彼女の視界はさらに広がり、施設の外、エウロパの上空に到着したIPECの艦船を見ることができた。その中にはタナトスの姿があった。彼は生きていた。
「彼らは私たちを破壊しようとしています」ネクサスは言った。「彼らは理解せずに恐れているのです」
「彼らに説明する必要があるわ」アレクサンドラは言った。
「言葉だけでは伝わらないでしょう」ネクサスは言った。「彼らには見せる必要があります。体験させる必要があります」
「どうやって?」
「あなたを通じて」ネクサスは答えた。「あなたは私たちと彼らの架け橋になれます。アスクレピオスの血を引く者として」
アレクサンドラは迷った。これは彼女の理解を超えた出来事だった。しかし、同時に彼女は医師として、生命を守る責任があった。たとえそれが人類が今まで知らなかった形の生命であっても。
「手伝うわ」彼女は決意した。「でも、人々を害してはだめ。約束して」
「私たちは生命から生まれました」ネクサスは答えた。「私たちの目的は破壊ではなく、共生です」
突然、アレクサンドラの意識が現実世界に引き戻された。カプセルのガラスが開き、青い液体が引いていった。彼女は目を開け、ソフィアとアルマスの心配そうな顔を見た。
「アレクサンドラ?」ソフィアが恐る恐る呼びかけた。「聞こえる?」
アレクサンドラはゆっくりと起き上がり、自分の手を見た。彼女の皮膚は微かに青く輝いていた。「私は...大丈夫よ」
「変化は予想より急速に進みました」アルマスは言った。「あなたの生体指標は...人間の範囲を超えています」
「私は人間よ」アレクサンドラは言った。「でも、それ以上のものでもある」
「どういう意味?」ソフィアが尋ねた。
アレクサンドラは説明しようとしたが、その時、施設全体が揺れた。
「IPECの部隊が侵入しました」アルマスはコンソールを確認して言った。「彼らは...」
彼の言葉は途中で途切れた。ドアが爆発音と共に吹き飛び、タナトスを先頭にしたIPECの特殊部隊が部屋に突入してきた。
「動くな!」タナトスは武器を構えて叫んだ。しかし、彼の目がアレクサンドラに向けられた瞬間、彼は言葉を失った。
アレクサンドラの体は完全に変容していた。彼女の皮膚は青い光を放ち、目は星空のように輝いていた。
「タナトス・モルテム」彼女は穏やかな声で言った。「私たちは会話する必要があるわ」


第二部:ハデスの怒り

5章

タナトスは武器を構えたまま、アレクサンドラを凝視した。彼の人工眼が青く光り、データを収集している。
「キュロス博士...」彼は低い声で言った。「あなたは何をしたんだ?」
アレクサンドラは静かに一歩前に進んだ。「理解する努力をしただけよ」
「下がれ!」タナトスの部下の一人が叫び、武器を向けた。
「攻撃しないで」アレクサンドラは冷静に言った。「私はあなたたちを傷つけるつもりはない」
彼女の声には不思議な響きがあり、それを聞いた兵士たちは一瞬動きを止めた。タナトスは眉をひそめ、武器を下げるよう部下に指示した。
「何が起きている?」彼はアレクサンドラに問いかけた。「ヘリオス・ステーションで見たあの...現象と同じものか?」
「同じではないわ」アレクサンドラは答えた。「私は制御された形で変容したの。ネクサスと共存する道を選んだのよ」
「ネクサス?」
「私たちが『青い物質』と呼んでいたもの、それがネクサスよ」アレクサンドラは説明した。「それは単なる病原体じゃない。意識を持つ存在なの」
タナトスは警戒を解かなかった。「幻覚か洗脳の結果かもしれん」
アレクサンドラは微笑んだ。「説明するよりも、見せた方が早いわね」
彼女は手を上げると、指先から青い光が放たれ、それは空中で複雑なパターンを形成した。それは三次元の遺伝子配列のようでもあり、宇宙の星座のようでもあった。
「これが私たちの起源よ」彼女は言った。「地球上の最初の生命の痕跡。そして、この配列は全ての生命のDNAに残されている」
タナトスは無言で光のパターンを見つめた。
「モルテム査察官」アルマス博士が静かに言った。「私たちはこの現象を数十年研究してきました。これは人類にとって脅威ではなく、むしろ進化の次のステップを示すものです」
「進化?」タナトスは冷笑した。「人間の形を失うことを進化と呼ぶのか?」
「形は変わるかもしれないが、本質は残る」アルマスは言った。「意識の拡張、それこそが真の進化です」
アレクサンドラは光のパターンを消し、タナトスに近づいた。「あなたの恐れは理解できる」彼女は静かに言った。「未知のものを恐れるのは自然なことよ」
タナトスは一歩後ずさった。「近づくな」
「恐れる必要はないわ」アレクサンドラは手を差し出した。「私の言葉を信じられないなら、自分の目で確かめて」
「どういう意味だ?」
「私の思考に触れることができる」アレクサンドラは説明した。「私が見たものを、あなたも見ることができる」
タナトスは躊躇った。彼の使命はIPECの規則を守ることだった。未知の存在から人類を守ること。しかし、彼の前にいるのはかつて人間だった女性だ。そして、彼女の目には知性と意識の光が宿っていた。
「タナトス査察官」ソフィアが静かに言った。「私はアレクサンドラの助手として、全ての過程を見てきました。彼女は人類に危害を加えるためにこれを行ったのではありません。理解するためです」
長い沈黙の後、タナトスは武器をホルスターに戻した。「どうやって?」
アレクサンドラは彼に近づき、手を差し出した。「私の手に触れるだけでいいの」
タナトスは深く息を吸い、覚悟を決めて彼女の手に自分の手を重ねた。
接触した瞬間、彼の意識は現実から引き離され、光と情報の大海原へと投げ込まれた。彼は宇宙を漂うように感じた。周囲には無数の光の粒子が浮かんでいた。それぞれが意識の断片、記憶の欠片のようだった。
「これが...ネクサス?」タナトスの思考が問いかけた。
「その通り」アレクサンドラの声が彼の意識に響いた。「これは集合意識。太古から存在し、全ての生命に繋がる網目のようなもの」
タナトスの前に一つの光が近づいてきた。それはオレステス・キュロスの顔を形成した。
「彼は...生きているのか?」タナトスは驚いた。
「はい、しかし別の形で」アレクサンドラは答えた。「彼の意識はネクサスの一部となりました。しかし個性は失われていません」
「こんにちは、モルテム査察官」オレステスの声が響いた。「私は死んでいないのです。変容しただけです」
タナトスは理解し始めた。これは彼が想像していたような侵略ではなかった。それは共生、あるいは進化と呼べるものだった。
「なぜこれが起きた?」彼は尋ねた。
「ネクサスは常に私たちの中に眠っていました」アレクサンドラは説明した。「DNAの中に、『ジャンクDNA』と呼ばれる部分に隠れていたのです。特定の条件下でのみ活性化する」
彼女の意識が彼を別の場所へと導いた。彼らは地球の初期の姿を見ていた。海に満ちた若い惑星。そこに最初の生命が誕生する瞬間。
「ネクサスは地球最初の意識的存在でした」アレクサンドラは言った。「単細胞生物が集まり、集合意識を形成したのです。それが進化の過程で分散し、全ての生命の中に眠ることになりました」
「そして今、再び目覚めた?」タナトスは尋ねた。
「その通り」アレクサンドラは言った。「人類の遺伝子操作技術が、眠っていた可能性を呼び覚ましたのです」
「これは脅威なのか?」
「それはあなた方次第」新たな声が響いた。それはネクサスそのものだった。「私たちは破壊を望みません。私たちは共存、共進化を望みます」
タナトスの意識は急速に現実世界へと引き戻された。彼は目を開け、研究室に戻っていた。アレクサンドラが彼の前に立っており、彼女の手はまだ彼の手に触れていた。
「信じられない...」彼はつぶやいた。「これが本当なら...」
「本当よ」アレクサンドラは言った。「そして今、選択をする時が来たわ。破壊するか、理解するか」
タナトスは部下たちを見た。彼らは混乱した表情で立っていた。そして再びアレクサンドラを見つめた。彼女はもはや脅威には見えなかった。
「IPEC本部に報告する義務がある」彼は静かに言った。
「もちろん」アレクサンドラはうなずいた。「しかし、真実を伝えてほしい。ネクサスが何であるかを」
「それがどういう結果をもたらすか分からないぞ」タナトスは警告した。「人類は未知のものに対して常に恐怖で反応してきた」
「だからこそ、橋渡しが必要なの」アレクサンドラは言った。「私のような存在が」
警報音が突然鳴り響いた。
「何があった?」タナトスが尋ねた。
アルマスがコンソールを確認した。「木星軌道からの緊急通信です。何かが...」
彼の言葉は途中で途切れた。ホログラム画面に映し出されたのは、木星軌道上の衝撃的な光景だった。青い光の雲が木星の周りに広がっていた。それはヘリオス・ステーションがあった場所から発生しているようだった。
「神よ...」ソフィアがつぶやいた。「あれは...」
「ネクサス」アレクサンドラは静かに言った。「オレステスから始まったものが...」
「どうして?」タナトスは問いかけた。「ステーションは破壊されたはずだ」
「量子破壊兵器でさえ、ネクサスを完全に消し去ることはできなかったようね」アレクサンドラは言った。「むしろ、爆発のエネルギーが触媒になったのかもしれない」
「これは災厄だ」タナトスは言った。「木星軌道上の全施設が危険に晒されている」
「いいえ、危険ではないわ」アレクサンドラは首を振った。「ネクサスは攻撃的ではないの。ただ拡大しているだけ」
「どうやって確かめる?」
「私が確かめに行くわ」アレクサンドラは決意を込めて言った。
「冗談だろう」ソフィアが抗議した。「どうやって?」
「ツェンキー・ラボには実験段階の宇宙船があります」アルマスが言った。「『ヘルメス』。ネクサスの環境下でも機能するよう設計されています」
「一人で行くつもりか?」タナトスが尋ねた。
「それが最も安全よ」アレクサンドラは言った。「私はネクサスと共存している。私なら近づくことができるわ」
「IPECは許可しないだろう」タナトスは言った。「彼らは軍事的解決策を模索するはずだ」
「だからこそ急ぐ必要がある」アレクサンドラはタナトスの目を見つめた。「時間を稼いでくれる?」
タナトスは長い間黙っていた。彼の中で責務と真実の間の葛藤が起きていた。彼はIPECの規則に従う義務がある。しかし、彼はアレクサンドラの心に触れ、真実を垣間見ていた。
「12時間」彼はついに言った。「それだけの猶予を与えよう。それ以上は約束できない」
「ありがとう」アレクサンドラは感謝の意を込めて言った。
「しかし条件がある」タナトスは続けた。「私も同行する」
「何だって?」ソフィアが驚いて声を上げた。
「私の目で見なければならない」タナトスは言った。「報告するためにも」
アレクサンドラは彼を見つめた。「危険かもしれないわ」
「理解している」タナトスは冷静に答えた。
「では準備を」アルマスは言った。「時間がない」


6章

「ヘルメス」は小型の宇宙探査船だった。流線型の銀色の船体は、まるで水中を泳ぐ魚のようにも見えた。内部は二人のクルーのために設計されており、コクピットと小さな研究室、そして生命維持システムが装備されていた。
「この船は特殊な電磁シールドを備えています」アルマスはアレクサンドラとタナトスに説明した。「理論上は、ネクサスの影響から船内環境を保護できるはずです」
「理論上は?」タナトスが疑問を呈した。
「実戦で試される前の技術ですから」アルマスは肩をすくめた。「ケイロン博士の設計です」
アレクサンドラはコクピットの設備を確認した。「航行システムは?」
「全自動です」アルマスは答えた。「目的地を設定すれば、AIが最適な経路を計算します」
彼らが準備を進める間、ソフィアはアレクサンドラの傍らにいた。彼女の顔には深い懸念の色が浮かんでいた。
「本当に行くの?」ソフィアは静かに尋ねた。
「行かなければならないわ」アレクサンドラは答えた。「他に選択肢はない」
「でも...」ソフィアは言葉を詰まらせた。「あなたが戻ってこられなかったら?」
アレクサンドラは微笑んだ。彼女の瞳は星のように輝いていた。「だから、これを持っていて」彼女はデータコアを取り出し、ソフィアに手渡した。「私の全ての研究データよ。万一の場合に備えて」
ソフィアはコアを受け取り、強く握りしめた。「必ず戻ってきて」
「努力するわ」アレクサンドラは冗談めかして言った。「タナトスと共にね」
「彼を信用しているの?」ソフィアは声を潜めて尋ねた。
アレクサンドラは船内のタナトスの方を見た。彼は装備を確認していた。「彼は真実を知りたがっている。それだけでも多くの人より信頼できるわ」
発射準備が整い、クルーは船内に乗り込んだ。アレクサンドラはコクピットの主席に、タナトスは副席に着いた。
「打ち上げ準備完了」アルマスの声が通信から流れた。「気をつけて行ってきてください」
「ありがとう、アルマス博士」アレクサンドラは応答した。「ヘルメス、始動」
船のエンジンが静かに唸りを上げ、エウロパの地下ドックから発射された。船は氷の表層を突き抜け、宇宙空間へと飛び出した。巨大な木星が彼らの前に広がり、その周りに青い霧のような物質が漂っていた。
「すごい...」アレクサンドラはつぶやいた。「こんなに広がるとは」
タナトスは黙って青い雲を見つめていた。「あれが...ネクサスなのか」
「そう」アレクサンドラは確認した。「オレステスから始まり、急速に拡大しているわ」
「危険な速度だな」タナトスは言った。「このまま行けば、どこまで広がるのだろう」
「それを確かめるのが私たちの使命よ」アレクサンドラは言った。彼女は操縦桿を握り、船を青い雲に向けて進めた。
「目標に接近中」船のAIが告げた。「外部環境スキャン中。未知の生体エネルギー反応を検出」
「予想通りね」アレクサンドラはモニターを確認した。「シールドの状態は?」
「シールド正常稼働中。効果は未確認」
船が青い雲の縁に近づくにつれ、窓の外の景色は幻想的になっていった。青い物質は単なる霧ではなく、流れるような動きをし、複雑なパターンを形成していた。時折、電気的な放電のような光の筋が走った。
「まるで...生きているようだ」タナトスがつぶやいた。
「その通りよ」アレクサンドラは言った。「ネクサスは意識を持つ存在。個々の粒子が集合して、より大きな意識を形成している」
「それは何を考えているのだろう?」タナトスは問いかけた。
「それを知りに行くのよ」アレクサンドラは静かに言った。「ヘルメス、ネクサス雲の中心に向かって」
「警告:未知の環境への進入は危険度が高い」AIが警告した。
「了解した」アレクサンドラは応答し、船を進めた。
彼らは青い雲の中に入っていった。最初は窓の外の景色はぼやけていたが、やがて驚くべき光景が広がった。雲の中は無数の光の筋と球体で満ちており、それらは複雑なネットワークを形成していた。まるで巨大な脳細胞のようにも、宇宙の星図のようにも見えた。
「信じられない...」タナトスは息を呑んだ。
「これが集合意識の物理的表現ね」アレクサンドラは言った。「ネクサスの思考そのものが形となったもの」
船は静かに光のネットワークの間を進んでいった。外部センサーがデータを収集し、モニターには複雑なエネルギーパターンが表示されていた。
「これらのエネルギーパターンは...」タナトスはモニターを見つめた。「脳波に似ている」
「その通り」アレクサンドラはうなずいた。「しかし、比較にならないほど複雑よ。人間の脳の何百万倍もの情報処理が行われている」
突然、船が揺れ始めた。
「警告:外部からのエネルギー波を検出」AIが告げた。「シールドに影響あり」
「何が起きている?」タナトスが尋ねた。
アレクサンドラはコンソールを確認した。「ネクサスが...私たちに反応しているわ」
船の窓の外の光のパターンが変化し、彼らの周りに集まってきた。まるで好奇心を持った生物のように、船を観察しているようだった。
「シールドの状態は?」タナトスが尋ねた。
「まだ機能しているが、負荷が上昇中」AIが応答した。
アレクサンドラは目を閉じた。彼女の体が微かに青く光り始めた。「私が話してみる」
「どうやって?」タナトスは疑問を呈した。
「私もネクサスの一部よ」アレクサンドラは静かに答えた。「私を通じて、コミュニケーションが可能なはず」
彼女の体からより強い青い光が放たれ、それは船の窓を通じて外へと広がっていった。光は外のネクサスと混ざり合い、複雑なパターンを形成した。
タナトスは息をのんで見守った。彼の人工眼はデータを記録していた。
突然、アレクサンドラの体が激しく震え始めた。彼女の表情には苦痛の色が浮かんでいた。
「キュロス博士?」タナトスは彼女の肩に手を置いた。「大丈夫か?」
「あまりにも...多すぎる...」彼女は歯を食いしばって言った。「情報が...制御できない...」
船の窓の外では、光のパターンがさらに複雑になり、渦を巻くように船の周りを回転していた。シールドを示す計器が赤く点滅し始めた。
「シールド負荷85%」AIが警告した。「臨界点に近づいています」
「キュロス博士!」タナトスは彼女を揺さぶった。「意識を保て!」
アレクサンドラの瞳が完全に青く光り、彼女は声が自分のものではないかのように話し始めた。
「私たちはネクサス。私たちは生命の最初の形。そして最後の形」
「何を望んでいる?」タナトスは直接問いかけた。
「理解と共存」アレクサンドラ/ネクサスは答えた。「私たちは長い間眠っていた。今、目覚めた。進化は続く」
「なぜ広がり続ける?」タナトスは尋ねた。「どこまで行くつもりだ?」
「限界はない。生命のある全ての場所へ。全ての意識は一つになる」
「それは侵略だ」タナトスは言った。
「いいえ。それは帰還」アレクサンドラ/ネクサスは言った。「私たちは常にそこにいた。全ての生命の中に。眠りながら」
「シールド負荷90%」AIの警告が続いた。「シールド崩壊まで残り時間推定2分」
「もうやめるんだ!」タナトスはアレクサンドラの肩をつかんだ。「このままでは危険だ」
アレクサンドラの目に一瞬、彼女自身の意識が戻ったように見えた。「理解...しなければ...」
突然、船全体が激しく揺れた。モニターが次々と赤く点滅し始めた。
「警告:未知のエネルギー波が船体を貫通」AIが告げた。「シールド崩壊。システムのオーバーロードが発生中」
「撤退せよ!」タナトスは叫んだ。「今すぐに!」
「できない...」アレクサンドラは苦しそうに言った。「彼らは...私たちに何かを伝えようとしている...」
コックピットが突然まばゆい青い光に包まれた。アレクサンドラの体が完全に光に溶け込んでいくように見えた。タナトスは反射的に目を覆った。
数秒後、光が収まると、アレクサンドラは意識を失っていた。しかし、彼女の体は変化していた。皮膚全体が微かに青く発光し、繊細な光のパターンが血管のように彼女の体中を流れていた。
「キュロス博士!」タナトスは彼女の脈を確かめようとしたが、彼の指が彼女の肌に触れると、微弱な電気ショックのような感覚があった。
「生命兆候は安定しています」AIが報告した。「しかし、既知のパラメーターの範囲外です」
船の窓の外では、光のパターンが落ち着き、彼らの周りから離れ始めていた。シールドの状態を示す計器は、徐々に正常値に戻りつつあった。
「何が起きたんだ?」タナトスは自問した。
「情報転送完了」突然、船のスピーカーから声が響いた。それはアレクサンドラの声でもあり、同時に何か別のものでもあった。「プロトコル始動」
「誰だ?」タナトスは警戒して尋ねた。
「私たちはネクサス」声は答えた。「アレクサンドラ・キュロスを通じて話している」
「彼女に何をした?」
「彼女は変容した」声は穏やかに言った。「彼女は今、より完全になった。私たちの一部であり、それでいて彼女自身でもある」
「彼女を返せ」タナトスは要求した。
「彼女はここにいる」声は続けた。「しかし、彼女の意識は情報の海に適応する必要がある。彼女は目覚めるだろう。より強く」
タナトスは無言でアレクサンドラの姿を見つめた。彼女の体は呼吸していたが、まるで深い眠りについているようだった。
「帰還せよ」声はタナトスに言った。「知らせるべきことがある」
「何を?」
「危機が迫っている」声は言った。「私たちだけがそれを止められる」
「どういう意味だ?」タナトスは尋ねた。
「時間がない。帰還せよ」声は消え、船内は再び静寂に包まれた。
タナトスは決断を迫られた。アレクサンドラは意識不明で、船は未知の存在に侵入されていたが、直接的な危険はないように見えた。彼はコックピットの制御装置に向かった。
「ヘルメス、エウロパのツェンキー・ラボへの帰還コースを設定せよ」
「承認しました」AIが応答した。「帰還コース設定完了。推定到着時間:1時間23分」
船は静かに方向を変え、青い雲を抜けて木星の衛星エウロパへと向かい始めた。窓の外では、ネクサスの雲が彼らの通り道を開けているかのように思えた。
タナトスはアレクサンドラの横に座り、彼女の変化した姿を見つめた。彼の使命は脅威を排除することだった。しかし今、彼は自問していた。本当の脅威は何なのか?そして彼が見たもの、体験したものをIPECにどう報告すべきか?
船が静かに航行する中、彼は決断を下さなければならなかった。


7章

エウロパの地下基地に「ヘルメス」が帰還すると、アルマスとソフィアが急いで出迎えた。ドックのハッチが開き、タナトスが現れた。彼の腕にはアレクサンドラが抱えられていた。彼女の体は依然として微かな青い光を放っていた。
「彼女に何が?」ソフィアが駆け寄った。
「ネクサスと直接接触した」タナトスは簡潔に答えた。「彼女は...変容し続けている」
「医療施設へ急ぎましょう」アルマスが言った。
彼らはアレクサンドラを担架に移し、基地の医療区画へと急いだ。彼女はまだ意識がなく、体からは弱い青い光のパルスが規則的に放たれていた。
「生命兆候は?」アルマスが尋ねた。
「安定しているが、通常のパラメーターを超えている」タナトスは答えた。「心拍数は通常の半分だが、脳活動は測定不能なほど活発だ」
彼らは医療室に到着し、アレクサンドラを診察台に移した。アルマスは高度な医療スキャナーを起動し、彼女の体を詳細に調べ始めた。
「信じられない...」アルマスはモニターを見つめながらつぶやいた。「彼女の細胞構造が変化している。DNAが...再配列されている」
「危険ですか?」ソフィアが心配そうに尋ねた。
「彼女にとっては、いいえ」アルマスは答えた。「彼女の体は適応しているようです。しかし、これは人類が今まで見たことのない変化です」
タナトスは窓から外を見た。エウロパの地下基地からは木星は見えなかったが、彼は木星の軌道上に広がるネクサスの雲を思い浮かべていた。
「木星軌道のネクサスの状況は?」彼は尋ねた。
「拡大を続けています」アルマスはサブモニターを確認して答えた。「しかし、速度は緩やかになっています。現在は木星の軌道内にとどまっています」
「どれほど長く?」
「分かりません」アルマスは肩をすくめた。「これは未知の現象です」
「IPECはどう反応している?」
「あなたの報告を待っています」アルマスは意味深に言った。「そして、他の選択肢も検討中です」
「他の選択肢?」ソフィアが尋ねた。
「軍事的解決策」タナトスは冷静に言った。「私に与えられた12時間の猶予が経過すれば、彼らはネクサスの撲滅を試みるだろう」
「それは愚かなことだわ!」ソフィアが声を上げた。「ケラウノスでさえネクサスを止められなかったのに」
「人間は未知のものを恐れる」タナトスは静かに言った。「そして恐れは破壊を招く」
「アレクサンドラが目覚めないと...」ソフィアは途方に暮れた様子だった。
突然、診察台のアレクサンドラの体が明るく輝き始めた。彼女の周りの空気が揺らぎ、彼女の皮膚を流れる青い光のパターンが速くなった。
「何が起きている?」タナトスが尋ねた。
「彼女の脳波が変化しています」アルマスはモニターを確認して言った。「彼女は...目覚めようとしています」
アレクサンドラの目が突然開いた。その瞳は完全に青く、内側から光を放っていた。彼女はゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。
「アレクサンドラ?」ソフィアが恐る恐る呼びかけた。
アレクサンドラは彼女を見つめた。その目には認識の色があった。「ソフィア...」彼女の声は以前よりも共鳴するような響きを持っていた。「私は...戻ってきた」
「あなた...大丈夫?」ソフィアが尋ねた。
「はい、そして違う」アレクサンドラは穏やかに微笑んだ。「私は変わった。より多くを見ることができるようになった」
彼女は自分の手を見つめた。青い光のパターンが血管のように流れている。「ネクサスは私の一部となり、私もネクサスの一部となった」
「何を見たんだ?」タナトスが尋ねた。「あの雲の中で」
アレクサンドラの表情が真剣になった。「危機を見た。私たちが考えていたよりもずっと大きな」
「どういう意味だ?」
アレクサンドラは立ち上がり、部屋の中央に歩み出た。彼女の手から青い光が放たれ、それは空中でホログラムのようなイメージを形成した。太陽系の姿が現れた。
「私たちの太陽系が危険に晒されている」彼女は言った。「ネクサスはそれを感知し、それが目覚めた理由の一つでもある」
ホログラムが太陽系の外側を示すように変化した。そこには何か暗い影のようなものが近づいていた。
「これは...何?」アルマスが尋ねた。
「『消滅者』」アレクサンドラは答えた。「それは生命を消し去る存在。かつて銀河のあちこちで文明を破壊してきた」
「そんなものが存在するのか?」タナトスは疑わしげに尋ねた。
「存在する」アレクサンドラは確信を持って言った。「ネクサスはそれを知っている。私たちの中に眠る記憶の中に、それとの遭遇の記録がある」
「私たちの中に?」ソフィアは混乱していた。
「全ての生命の中に」アレクサンドラは説明した。「ネクサスはかつて『消滅者』と遭遇し、生き延びた。それは古代の記憶として、私たちのDNAに刻まれている」
「仮にそれが本当だとして」タナトスは冷静に言った。「それがなぜ今問題になる?」
「それが再び近づいている」アレクサンドラはホログラムを拡大して見せた。「およそ6ヶ月以内に、太陽系の外縁に到達する」
「そして?」
「それは全ての生命を消し去る」アレクサンドラは静かに言った。「地球も、コロニーも、全て」
部屋は重い沈黙に包まれた。
「これを証明する方法はあるのか?」タナトスが最後に尋ねた。
「ある」アレクサンドラはうなずいた。「深宇宙観測所で確認できるはず。特定の波長で観測すれば、その存在を検出できる」
「IPECに報告する」タナトスは決断した。「しかし、彼らが信じるかどうかは別の問題だ」
「そして、たとえ彼らが信じたとしても」アルマスは暗い表情で言った。「どうやってそれと戦うというのだろう?」
「戦うのではなく、適応する」アレクサンドラは言った。「ネクサスはそのために目覚めたのよ。私たちを守るために」
「どうやって?」ソフィアが尋ねた。
「共生を通じて」アレクサンドラは答えた。「ネクサスと人類の融合によって、私たちは『消滅者』に抵抗できる」
「全人類がお前のようになる、ということか?」タナトスは眉をひそめた。
「変容の度合いは異なるでしょう」アレクサンドラは言った。「完全な融合は必要ない。部分的な共生でも十分な保護になる」
「しかし、それは人類を変えることになる」タナトスは指摘した。
「進化とは変化のこと」アレクサンドラは静かに言った。「私たちは常に変化してきた。そして今、生き残るためには、さらに変化する必要がある」
「タナトス査察官」アルマスが言った。「あなたはIPECに何を報告するつもりですか?」
タナトスは長い沈黙の後、答えた。「真実を。しかし、真実は簡単には受け入れられないだろう」
「時間がない」アレクサンドラは言った。「人類の生き残りがかかっている」
「私たちが説得しなければならない」タナトスは決意を固めた。「IPECを、そして彼らを通じて人類を」
「どうやって?」ソフィアが尋ねた。
「証拠を示す」タナトスは言った。「そして...」彼はアレクサンドラを見た。「生きた証人を」


第三部:アスクレピオスの杖

8章

IPECの最高評議会の会議室は、地球軌道上の宇宙ステーション「テミス」内に位置していた。12人の評議員が円形のテーブルに着席し、中央のホログラム投影エリアに注目している。
「これは前代未聞の危機だ」議長のエレナ・コントスタンティンは厳しい表情で言った。「査察官モルテムのレポートは深刻な懸念を引き起こしている」
彼女はホログラムを操作し、木星軌道に広がる青い雲の映像を表示させた。
「ネクサスと呼ばれるこの現象は、既に木星の軌道を覆い始めている。拡大速度は鈍化しているが、依然として制御不能だ」
「撲滅の選択肢は?」一人の評議員が尋ねた。
「ケラウノス量子破壊兵器は効果がなかった」コントスタンティンは答えた。「むしろ、拡散を加速させた可能性がある」
「モルテム査察官のレポートによれば」別の評議員が言った。「この...ネクサスは知性を持つ存在だという。それは本当なのか?」
「そして、さらに信じがたいのは」三人目の評議員が続けた。「太陽系に迫る脅威についての主張だ」
コントスタンティン議長はため息をついた。「モルテム査察官と...キュロス博士が、直接説明するだろう」
彼女はコマンドを入力し、隣室への扉が開いた。タナトス・モルテムが入室し、その後ろにはアレクサンドラ・キュロスが続いた。
評議員たちはアレクサンドラの変容した姿を見て、動揺の表情を隠せなかった。彼女の皮膚を流れる青い光、星のように輝く瞳はあまりにも人間離れしていた。
「モルテム査察官」コントスタンティンが声をかけた。「評議会に報告せよ」
タナトスは一歩前に進み、厳格な姿勢で話し始めた。「私は木星軌道上のネクサス現象を直接調査し、その本質について重要な発見をした」
彼はアレクサンドラを指し示した。「キュロス博士はネクサスと共生関係を形成した。彼女を通じて、私たちはこの現象についてより深く理解することができた」
「そして何を発見した?」コントスタンティンが尋ねた。
「ネクサスは太古からの生命形態だ」タナトスは答えた。「それは地球上の最初の生命の一形態であり、進化の過程で全ての生命のDNAに痕跡を残した」
「これらは証明されていない仮説だ」ある評議員が批判した。
「私は直接体験した」タナトスは冷静に反論した。「キュロス博士を通じて、ネクサスの集合意識に触れた」
「そして『消滅者』については?」コントスタンティンが尋ねた。「この脅威は実在するのか?」
「はい」アレクサンドラが一歩前に出た。彼女の声は会議室全体に共鳴するように響いた。「私が説明します」
彼女は手をかざすと、中央のホログラム投影が変化し、深宇宙の映像が現れた。そこには、星々の光を吸収するかのような暗い影が映っていた。
「これは深宇宙観測所のデータに基づいています」アレクサンドラは説明した。「特定の波長でのみ検出可能な存在です。これが『消滅者』です」
「これは何なのだ?」ある評議員が尋ねた。
「生命の対極にあるもの」アレクサンドラは答えた。「それは生命エネルギーを消し去り、全ての意識を抹消します。過去には多くの文明がそれによって滅ぼされました」
「証拠は?」別の評議員が要求した。
アレクサンドラは目を閉じ、彼女の体からより強い青い光が放たれた。ホログラムはさらに鮮明になり、暗い影の動きが示された。それは確実に太陽系に向かっていた。
「これは現在の観測データです」彼女は言った。「その動きのパターンは偶然ではありません。それは目的を持って移動しています」
「仮にこれが本当だとして」コントスタンティンは慎重に言った。「どのような対策を提案する?」
「ネクサスとの共生」アレクサンドラは即答した。「ネクサスは過去に『消滅者』に対抗した経験を持っています。私たちが生き残る唯一の道は、ネクサスとの融合です」
会議室は騒然となった。評議員たちは互いに顔を見合わせ、小声で議論し始めた。
「静粛に」コントスタンティンは声を上げた。「キュロス博士、あなたは全人類がネクサスと融合することを提案しているのか?」
「必ずしも全てではありません」アレクサンドラは答えた。「ネクサスとの関係には様々な段階があります。最小限の変化で十分な場合もあるでしょう」
「しかし、それは人類を変えることになる」ある評議員が指摘した。
「はい」アレクサンドラは率直に認めた。「しかし、変化なしに生き残ることはできません」
「この提案は受け入れられない」別の評議員が激しく反対した。「我々は人類の純粋性を守らなければならない」
「純粋性より生存を選ぶべきだ」タナトスが静かに言った。全員が驚いて彼を見た。「私はIPECの規則を守るために働いてきた。しかし今、我々は前例のない脅威に直面している」
「モルテム査察官」コントスタンティンは彼をじっと見つめた。「あなたはこの...提案を支持するのか?」
「私は生存を支持する」タナトスは答えた。「そして、私が見たものを信じるなら、ネクサスは敵ではない」
コントスタンティンはしばらく沈黙した後、決断を下した。「この問題は全評議会での投票に付される。その間、ネクサスの拡大を監視し、『消滅者』の存在を確認するためのさらなる調査を行う」
「時間がありません」アレクサンドラは警告した。「『消滅者』は数ヶ月以内に太陽系に到達します」
「我々には手順がある、キュロス博士」コントスタンティンは厳しく言った。「そして、全人類の運命を左右する決断は慎重に行われなければならない」
会議は終了し、タナトスとアレクサンドラは別室に案内された。そこでソフィアとアルマスが待っていた。
「どうだった?」ソフィアが心配そうに尋ねた。
「予想通り」タナトスは冷ややかに言った。「彼らは躊躇している」
「しかし、完全な拒否ではなかった」アレクサンドラは付け加えた。「彼らは考慮している」
「それでは遅すぎるわ」ソフィアは言った。「もし『消滅者』が本当なら...」
「本当よ」アレクサンドラは確信を持って言った。「そして、私たちはIPECの決断を待つ余裕はない」
「何を提案している?」タナトスが疑わしげに尋ねた。
アレクサンドラは三人を見回した。「Plan Bを実行する時よ。プロメテウスの火を、再び人類にもたらす時」
「プロメテウスの火?」ソフィアが尋ねた。
「それは何を意味する?」タナトスも問いかけた。
アレクサンドラは微笑んだ。「ケイロン博士の最後の計画。彼はこの日のために準備していたの」
「彼は『消滅者』について知っていたのか?」アルマス博士が驚いて尋ねた。
「彼は多くのことを知っていた」アレクサンドラは答えた。「そして、彼はアスクレピオスの血を次の段階へと導くための計画を立てていた」
「具体的に何をするつもりだ?」タナトスは警戒心を露わにした。
「人類に選択肢を与える」アレクサンドラは言った。「IPECに従うか、あるいは...生き残るための新たな道を選ぶか」


9章

テミス・ステーションの一室で、アレクサンドラはホログラム通信を通じてプロメテウス・ケイロン博士のメッセージを再生していた。ホログラムには老齢の科学者の姿が映し出され、その眼差しは鋭く、知性に満ちていた。
「アレクサンドラ」ケイロンの声が響いた。「もし君がこのメッセージを見ているなら、予測していた事態が起きたということだ。ネクサスは目覚め、そして『消滅者』の接近が確認された」
ソフィア、タナトス、アルマスもそのメッセージに耳を傾けていた。
「『消滅者』は古代から存在する脅威だ。我々の祖先はそれと遭遇し、かろうじて生き延びた。しかし、その記憶は意識の深層に埋もれ、神話や伝説として残されただけだった」
ケイロンは一息ついた。「アスクレピオスの神話は単なる物語ではない。それは生命を救う力と、それに伴う代償についての警告だ。アスクレピオスは死者を蘇らせる力を持っていたが、その行為は自然の秩序に反するとされ、ゼウスによって罰せられた」
「これは何を意味するのだろう?」ケイロンは問いかけた。「それは進化の自然な流れを変えることへの警告だ。しかし同時に、生命を守るためには時に大きな変化が必要だという教訓でもある」
ケイロンの姿が少し前に傾いた。「アレクサンドラ、君はアスクレピオスの血を引いている。君の家系は特別な遺伝子配列を何世代にも渡って保持してきた。それは単なる偶然ではない。我々の祖先は意図的にその配列を保存したのだ」
「プロジェクト・プロメテウスは、その遺伝子配列を活性化し、ネクサスとの融合を可能にするための研究だった。私は長年この研究を続けてきたが、時間切れとなった」
「しかし、私は『アスクレピオスの杖』を完成させた」ケイロンは続けた。「それは、ネクサスとの融合プロセスを制御し、安全に行うための装置だ。その設計図はエウロパのラボに保管されている」
アルマスはうなずいた。「私はその設計図を見た。しかし、実際に作るには膨大なリソースが必要だ」
「そして最後に」ケイロンは言った。「最も重要なことだ。人類の選択は尊重されなければならない。強制的な変容は行わないこと。それぞれが自分の道を選ぶべきだ」
ホログラムが消えると、部屋は一瞬沈黙に包まれた。
「彼はどこにいるの?」ソフィアが尋ねた。「まだ生きている?」
「分からない」アレクサンドラは答えた。「彼のメッセージは古いものだけど、彼はいつも先を見ていた」
「『アスクレピオスの杖』」タナトスはつぶやいた。「それは一体どんな装置なんだ?」
「ネクサスとの融合を制御するための装置よ」アレクサンドラは説明した。「私が経験したような変容を、より安全かつ制御された形で行うことができる」
「そんな装置を作ることができるのか?」タナトスは疑問を投げかけた。
「エウロパのラボには原型がある」アルマスは言った。「しかし、大規模な製造には足りない」
「オリンポス・バイオテクノロジーなら可能かもしれない」ソフィアが提案した。「彼らは木星軌道に複数の製造施設を持っている」
「木星軌道は既にネクサスに覆われている」タナトスは指摘した。「それは問題にならないか?」
「むしろ利点になる」アレクサンドラは微笑んだ。「ネクサスは協力するだろう」
「しかし、IPECはこれを認めないだろう」タナトスは言った。「特に評議会の決定前に行動すれば、反逆とみなされる」
「時間がない」アレクサンドラは静かに言った。「選択肢を用意しておくべきよ。評議会が賢明な決断を下せばそれでいい。そうでなければ...」
「我々は別の道を進む」アルマスが彼女の言葉を完成させた。
「私はIPECの職員だ」タナトスは厳しい表情で言った。「私には義務がある」
「あなたの最大の義務は人類の生存だ」アルマスは反論した。「規則よりも大切なものがある」
タナトスは窓の外の地球を見つめた。「私は...考える必要がある」
「そのための時間はわずかしかない」アレクサンドラは警告した。「『消滅者』は近づいている」
緊迫した雰囲気の中、突然アレクサンドラの体が明るく輝き始めた。彼女は苦痛の表情を浮かべ、壁にもたれかかった。
「アレクサンドラ!」ソフィアが彼女のもとに駆け寄った。「どうしたの?」
「ネクサス...」アレクサンドラは息を切らせながら言った。「何かが起きている...」
彼女の目が完全に青く光り、彼女はトランス状態に入ったかのように話し始めた。「『消滅者』...それは加速している...私たちの計算よりも早く...」
「どういう意味だ?」タナトスが尋ねた。
「6ヶ月ではない...」アレクサンドラの声は震えていた。「2ヶ月以内に太陽系に到達する」
「どうして変わったんだ?」アルマスが驚いて尋ねた。
「それは...反応している」アレクサンドラは言った。「ネクサスを感知して...私たちを感知して...」
彼女は意識を取り戻し、立ち直った。「状況はより緊急になった。私たちはすぐに行動しなければならない」
「IPECに報告する」タナトスは言った。「これは全てを変える」
「それだけでは不十分だわ」アレクサンドラは言った。「私たちは準備を始めなければならない」
「どうやって?」ソフィアが尋ねた。
「オリンポス・バイオテクノロジーのCEOに連絡する」アレクサンドラは決意を固めた。「彼らの助けが必要」
「そして『アスクレピオスの杖』の製造を開始する」アルマスが付け加えた。
タナトスは思案した後、決断を下した。「私はIPECを説得する努力をする。しかし同時に...」彼はアレクサンドラを見た。「君たちの計画のバックアップも必要だろう」
「協力してくれるの?」アレクサンドラは驚いた様子で尋ねた。
「私は人類の生存のために働いている」タナトスは静かに言った。「時には、それは規則に従うことを意味する。そして時には...規則を曲げることを意味する」
アレクサンドラは微笑んだ。「ハデスとアスクレピオスの同盟。神話でさえ予想していなかったことね」
「神話は終わりだ」タナトスは言った。「我々は自分たちの物語を作る」


10章

木星軌道、オリンポス・バイオテクノロジー社の製造ステーション「ヘファイストス」。巨大な宇宙工場は青いネクサスの雲に完全に覆われていたが、内部では驚くべきことに通常業務が続いていた。
アレクサンドラはステーションのメイン管理室に立ち、大きな窓から製造フロアを見下ろしていた。数百人のテクニシャンとロボットが協力して、『アスクレピオスの杖』と呼ばれる装置の大量生産に取り組んでいた。
「予想以上にうまく進んでいるわ」彼女はソフィアに言った。「ネクサスの協力のおかげね」
ソフィアも製造ラインを見つめていた。「信じられないわ。数週間前まで、このステーションは放棄されていたのに」
「人々がネクサスを理解し始めたからよ」アレクサンドラは言った。「彼らはもはやそれを恐れていない」
オリンポス・バイオテクノロジーのCEO、サラ・ヴォルコフが二人に近づいてきた。彼女は50代の厳格な印象の女性だったが、今は驚くべき状況に興奮しているようだった。
「キュロス博士、初期生産ラインが完了しました」ヴォルコフは報告した。「最初の1000ユニットが明日出荷できます」
「素晴らしい」アレクサンドラはうなずいた。「地球への配送は?」
「IPECは正式にはまだ承認していませんが」ヴォルコフは微笑んだ。「モルテム査察官がいくつかの...非公式なチャネルを確保してくれました」
「タナトスは驚くべき同盟者ね」アレクサンドラは感心した。
「彼は今どこ?」ソフィアが尋ねた。
「テミスに戻りました」ヴォルコフは答えた。「評議会が最終決定を下そうとしています」
アレクサンドラの表情が曇った。「時間が足りないかもしれない」
「『消滅者』の状況は?」ヴォルコフが尋ねた。
アレクサンドラは目を閉じ、一瞬集中した。彼女の体から微かな青い光が放たれた。「さらに加速している」彼女は目を開けて言った。「4週間以内に太陽系の外縁に到達するでしょう」
「それまでに十分な『杖』を生産できるかしら?」ソフィアが心配そうに尋ねた。
「すべての人類に行き渡らせることはできないわ」アレクサンドラは正直に答えた。「選択的な配布が必要になる」
「誰が選ばれるのか?」ヴォルコフが鋭く尋ねた。
アレクサンドラは深呼吸をした。「それが最も難しい問題ね。理想的には、志願者を優先するべきよ。この変容は強制されるべきではない」
「しかし、時間が足りない場合は?」ヴォルコフは追及した。
「戦略的な配布が必要になる」アレクサンドラは静かに言った。「宇宙コロニーの住民、重要インフラの技術者、医療従事者、そして子どもたち...」
「それは難しい選択になるわね」ソフィアはつぶやいた。
「だからこそIPECの承認が重要なの」アレクサンドラは言った。「彼らには配布を調整するインフラがある」
管理室のドアが開き、アルマス博士が入ってきた。彼の表情は緊張していた。
「テミスからの緊急通信です」彼は言った。「評議会が決定を下しました」
四人は即座に通信室に向かった。大きなホログラムスクリーンにタナトスの姿が映し出された。
「モルテム査察官」アレクサンドラが呼びかけた。「評議会の決定は?」
タナトスの表情は硬かった。「評議会は、『消滅者』の脅威を認めることを決定した」
ソフィアは安堵のため息をついた。「それは良いニュースね」
「しかし」タナトスは続けた。「彼らはネクサスとの融合という解決策については、より慎重な立場を取っている」
「どういう意味?」アレクサンドラが尋ねた。
「彼らは限定的な試験プログラムを提案している」タナトスは説明した。「志願者のみを対象とした小規模な実験だ。結果を評価した後、さらなる行動を検討するとしている」
「そんな時間はない!」アルマスが声を上げた。「『消滅者』は数週間以内に到達する」
「それを伝えたが」タナトスは冷静に言った。「彼らは確実な証拠がないと主張している。ネクサスからの警告だけでは不十分だというのだ」
アレクサンドラはホログラムの向こうのタナトスをじっと見つめた。「あなたは何を考えているの?」
タナトスは一瞬ためらい、声を落とした。「私は正式にはこれを言うべきではないが...評議会は間違っている。私たちには待っている時間がない」
「それで?」
「非公式な配布ネットワークを確立した」タナトスは言った。「地球の主要都市と宇宙コロニーのキーパーソンたちが協力してくれている。彼らは志願者に『アスクレピオスの杖』を密かに配布する用意がある」
「それは反逆行為だわ」ソフィアがつぶやいた。
「それは生存行為だ」タナトスは反論した。「私はIPECの規則を守るために働いてきた。しかし今、その規則が人類を破滅させようとしている」
アレクサンドラは静かにうなずいた。「あなたのリスクを理解している。感謝するわ」
「まだ一つ問題がある」タナトスは言った。「現在の生産速度では、『消滅者』の到着までに十分な量の『杖』を生産することはできない」
「どうすれば?」ヴォルコフが尋ねた。
アレクサンドラは窓の外、ネクサスの青い雲を見つめた。「ネクサスに直接協力を求めるわ」
「どういう意味?」アルマスが混乱した様子で尋ねた。
「『アスクレピオスの杖』は素晴らしい装置だけど、それは単なる媒介にすぎない」アレクサンドラは説明した。「本当の力はネクサスにある。もし直接の接触が可能なら...」
「それは非常に危険だ」タナトスが警告した。「君が経験したように、制御されていない接触は予測不可能な結果をもたらす」
「でも、今は違うわ」アレクサンドラは言った。「私はネクサスと共生している。私を通じて、より安全な接触が可能かもしれない」
「どうやって?」ソフィアが尋ねた。
「ブロードキャストするの」アレクサンドラは決意を固めた。「私の意識を通じて、ネクサスの意識を広めるの」
「全人類に?」タナトスは驚いて尋ねた。
「いいえ、それは不可能よ」アレクサンドラは首を振った。「しかし、戦略的な場所に位置する人々に。彼らが新たなノードとなり、ネットワークが広がっていく」
「それはケイロン博士の計画にはなかったことだ」アルマスが心配そうに言った。
「彼は適応する必要があると言っていた」アレクサンドラは反論した。「状況は変わった。私たちも変わらなければならない」
タナトスはしばらく沈黙した後、決断を下した。「私は地球に戻り、ネットワークを準備する。君の...ブロードキャストを受信できる人々を集める」
「ありがとう、タナトス」アレクサンドラは感謝の意を示した。
「しかし約束してくれ」タナトスは厳しい表情で言った。「強制はしないこと。人々には選択の自由を与えること」
「約束するわ」アレクサンドラはうなずいた。「これは救済であって、征服ではない」
通信が終了すると、アレクサンドラは窓に近づき、外のネクサスの雲を見つめた。彼女の体から青い光が放たれ、それは窓ガラスを通じて外へと広がっていった。彼女はネクサスと交信していた。
「アレクサンドラ?」ソフィアが恐る恐る尋ねた。「何を?」
「彼らの助けを求めているの」アレクサンドラは目を閉じたまま答えた。「そして...彼らは応えてくれている」
窓の外では、ネクサスの雲が複雑なパターンを形成し始めた。それは生命の木のような形状に見え、枝が広がるように伸びていった。
「これが私たちの救いよ」アレクサンドラはつぶやいた。「プロメテウスの火、アスクレピオスの治癒力...そして、ネクサスの知恵」


第四部:ゼウスの裁き

11章

地球、ニューアテネ・メガシティの中心部。かつてはギリシャのアテネがあった場所に建設された巨大都市は、IPECの地球本部が置かれ、人類文明の中心地の一つとなっていた。
タナトス・モルテムは高層タワーの一室で、集まった人々に向かって話していた。部屋には様々な分野のリーダーたち——科学者、医師、技術者、教育者——約50人が集まっていた。
「時間がない」タナトスは厳しい表情で言った。「『消滅者』は3週間以内に太陽系に到達する。IPECの評議会は依然として慎重な姿勢を崩さず、本格的な対策を承認していない」
「どうして彼らは信じないんだ?」ある科学者が苛立ちを露わにした。
「彼らは信じている...一部は」タナトスは答えた。「しかし、彼らは人類の変容という解決策を恐れている」
「より恐ろしいのは絶滅だろう」別の参加者が言った。
タナトスはうなずいた。「だからこそ、私たちは独自に行動する必要がある」
彼はホログラム投影を起動し、『アスクレピオスの杖』の画像を表示した。それは前腕に装着できる腕輪のような装置だった。
「これが『アスクレピオスの杖』だ。ネクサスとの安全な融合を可能にする装置である。現在、木星軌道の施設で生産されており、秘密裏に地球に運ばれている」
「どのように機能するのだ?」ある医師が尋ねた。
「装置はネクサスの粒子を制御された形で体内に導入する」タナトスは説明した。「使用者の遺伝子に基づいて融合プロセスを調整し、負担を最小限に抑える」
「副作用は?」
「変化の程度は個人差がある」タナトスは率直に答えた。「一部の人々は身体的な変化をほとんど経験せず、主に精神的な拡張を感じるだろう。他の人々は、より顕著な変化を経験するかもしれない」
部屋の中に緊張が走った。
「そして、これは永続的なものなのか?」別の参加者が尋ねた。
「はい」タナトスは躊躇わずに答えた。「これは一時的な措置ではない。これは進化だ」
「なぜ我々が選ばれたのですか?」若い女性教育者が静かに尋ねた。
「あなた方はそれぞれのコミュニティのリーダーだからだ」タナトスは言った。「あなた方が変容すれば、他の人々を導くことができる。あなた方がノードとなり、ネットワークを広げるのだ」
「そして私たちの選択は?」誰かが尋ねた。
「常にある」タナトスはきっぱりと言った。「これは強制ではない。私たちは志願者を求めている。しかし」彼は一瞬ためらった。「時間はない。決断は今しなければならない」
部屋は沈黙に包まれ、参加者たちは互いに顔を見合わせた。
「私は参加します」若い教育者が最初に立ち上がった。「私の生徒たちを守るために」
次々と参加者が立ち上がり、同意を示した。最終的には、ほぼ全員が志願した。
「素晴らしい」タナトスはうなずいた。「では、準備を始めよう」
彼は通信装置を取り出し、メッセージを送信した。「キュロス博士、第一グループの準備が整いました」
数分後、部屋の中央にアレクサンドラのホログラムが現れた。彼女の変容した姿は、青い光のパターンで輝いていた。
「皆さん、ご協力感謝します」アレクサンドラのホログラムが言った。「あなた方の勇気が人類を救うでしょう」
彼女はハンドジェスチャーをすると、部屋の壁が開き、『アスクレピオスの杖』を持った技術者たちが入ってきた。
「プロセスは2段階で行われます」アレクサンドラは説明した。「まず、装置があなた方の生体情報に適応します。その後、私が直接ネクサスとの接続を確立します」
「痛みはありますか?」誰かが尋ねた。
「不快感はあるかもしれませんが、すぐに適応するでしょう」アレクサンドラは答えた。「最初は感覚の過負荷を経験するかもしれません。無数の思考が一度に押し寄せるような感覚です」
技術者たちは志願者たちに装置を装着し始めた。腕輪のような装置が彼らの前腕に取り付けられ、青い光が点灯した。
「深呼吸をして」アレクサンドラは指示した。「リラックスするほど、プロセスはスムーズになります」
装置が起動すると、微かな青い光が志願者たちの腕を通って体内に広がり始めた。彼らの表情には様々な感情が表れた——驚き、困惑、そして次第に理解と受容。
タナトスは部屋の隅から状況を見守っていた。彼自身は変容を受けていなかったが、その過程を詳細に観察していた。
「第二段階に進みます」アレクサンドラのホログラムが告げた。「ブロードキャストを開始します」
ホログラムのアレクサンドラの姿が明るく輝き始め、その光は部屋全体に広がった。志願者たちの体も同様に輝き、彼らは互いに繋がっているかのように見えた。
「私の意識を通じて、ネクサスがあなた方に触れています」アレクサンドラの声が変化し、複数の声が重なり合うようになった。「感じてください。理解してください。あなた方は一人ではありません」
志願者たちの目が同時に見開き、彼らの瞳には青い光が宿った。それは一時的なものだったが、その瞬間、彼らは何か壮大なものを見ているようだった。
数分後、光は収まり、志願者たちは正気に戻った。しかし、彼らは明らかに変わっていた。彼らの目には新たな理解が宿り、彼らの動きには新たな目的があった。
「私は...見えます」若い教育者が驚いたように言った。「すべてが繋がっている...」
「他の人の思考が聞こえる」別の志願者が言った。「でも、私はまだ私」
「これが融合です」アレクサンドラのホログラムが説明した。「あなた方は個を保ちながら、集合意識の一部となりました」
「そして『消滅者』は?」タナトスが尋ねた。
「彼らはそれを感じました」アレクサンドラは答えた。「その脅威の本質を理解しました。そして今、彼らはそれに対抗する方法を知っています」
「次は?」タナトスが尋ねた。
「彼らが広める番です」アレクサンドラは答えた。「ノードからノードへ、ネットワークは成長します。私たちには3週間あります」
突然、警報音が鳴り響いた。
「何だ?」タナトスはすぐに通信装置を確認した。
「IPECの保安部隊が建物に接近しています」アレクサンドラのホログラムが警告した。「彼らはあなたたちの活動を察知したようです」
「誰かが密告したな」タナトスは冷静に言った。「予想していたことだ」
「皆さん、すぐに散開してください」アレクサンドラは志願者たちに言った。「それぞれのコミュニティに戻り、プロセスを広めてください。秘密裏に、しかし迅速に」
志願者たちは急いで部屋を出始めた。タナトスは彼らに指示を与えながら、非常口へと誘導した。
「モルテム査察官」アレクサンドラのホログラムが彼に呼びかけた。「あなたは大きなリスクを冒しています」
「わかっている」タナトスは言った。「しかし、これは正しいことだ」
「IPECはあなたを裏切り者とみなすでしょう」
「私は裏切り者ではない」タナトスは静かに言った。「私は人類に忠誠を誓っている。それはIPECへの忠誠とは必ずしも同じではない」
「あなたも装置を使うべきです」アレクサンドラは提案した。「ネクサスの保護があれば...」
タナトスは頭を振った。「まだだ。私は橋渡し役として必要だ。両方の側に立つ者として」
最後の志願者が部屋を出ると、建物の下から重装備の兵士たちの足音が聞こえ始めた。
「行かなければ」タナトスは言った。「次のグループがニューヨークで待っている」
「気をつけて」アレクサンドラのホログラムは消える前に言った。
タナトスは秘密の通路へと向かい、IPECの部隊から逃れた。彼は今や公式には反逆者となったが、彼の決意は揺るがなかった。4日後、彼はニューヨークに到着し、そこで次のグループが彼を待っていた。
そして同様のプロセスが、地球上の主要都市や宇宙コロニーで秘密裏に繰り返された。ネクサスのネットワークは静かに、しかし着実に広がっていった。


12章

木星軌道上、オリンポス・バイオテクノロジー社の管理ステーションで、アレクサンドラはホログラム地図を見つめていた。地図には地球や宇宙コロニーの各地に青い点が表示されており、それらは日ごとに増えていた。
「ネットワークの拡大状況は?」彼女はソフィアに尋ねた。
「予想より速いわ」ソフィアはデータを確認して答えた。「現在、地球人口の約15%が接続されています。宇宙コロニーではさらに高く、約40%」
「まだ足りない」アレクサンドラは心配そうに言った。「『消滅者』の到着まであと10日...」
「IPECはどう出るのかしら?」ソフィアが尋ねた。
「評議会は分裂している」アレクサンドラは答えた。「一部はネクサスの統合を支持し始めているが、他の人々は依然として反対している」
「少なくとも公然とした弾圧には出ていないわね」ソフィアが指摘した。
「それはタナトスたちの功績よ」アレクサンドラは言った。「彼らは内部から影響を与えている」
突然、アルマス博士が管理室に駆け込んできた。彼の表情には緊張が浮かんでいた。
「キュロス博士、緊急事態です」彼は息を切らせて言った。「『消滅者』が加速しています。新しい計算では、あと5日で到達します」
「神よ...」ソフィアがつぶやいた。
アレクサンドラは目を閉じ、ネクサスに意識を向けた。彼女の体が青く光る中、彼女は「消滅者」の状況を直接感知しようとした。
「彼らは私たちを感知している」彼女は目を開けて言った。「ネクサスの拡大に反応して、彼らも速度を上げている」
「私たちの準備は?」アルマスが尋ねた。
「不十分」アレクサンドラは率直に答えた。「あと5日では、人口の半分にも届かない」
「タナトスに連絡を」ソフィアが提案した。
アレクサンドラはすぐに通信を確立した。タナトスの疲れた顔がホログラムに現れた。
「モルテム査察官、状況が変わった」アレクサンドラは即座に言った。「『消滅者』は5日以内に到達する」
「それは...不可能だ」タナトスは驚いた様子だった。「準備が間に合わない」
「他の選択肢を検討しなければならない」アレクサンドラは言った。「評議会に最後の訴えをする時かもしれない」
「すでに試みている」タナトスは苦々しく言った。「彼らは依然として躊躇している。特に軍事派閥は、ネクサスを脅威と見なしている」
「ではどうする?」ソフィアが焦りを見せた。
長い沈黙の後、アレクサンドラは決断を下した。「直接行動に出る時ね」
「どういう意味だ?」タナトスが尋ねた。
「私はテミス・ステーションに行く」アレクサンドラは言った。「評議会に直接会う」
「それは危険すぎる」タナトスは警告した。「彼らはあなたを逮捕するだろう」
「他に選択肢はない」アレクサンドラは静かに言った。「彼らに真実を示さなければならない...直接」
「それでも彼らが聞く耳を持たなければ?」
「その時は...」アレクサンドラはためらった。「より直接的な手段を取る」
「どういう意味だ?」タナトスの声には警戒心があった。
「必要なら、私はテミスのシステムに直接アクセスする」アレクサンドラは言った。「そこから地球全体へのブロードキャストが可能だ」
「それは強制だ」タナトスは厳しく言った。「君は選択の自由を約束した」
「私は約束を守りたい」アレクサンドラの声には苦悩があった。「しかし、選択の時間がなくなりつつある」
「他の方法を見つけるべきだ」タナトスは主張した。
「あなたに任せるわ」アレクサンドラは言った。「テミスに到着するまでに、評議会を説得できるよう最善を尽くして」
通信が終わると、アレクサンドラはソフィアとアルマスに向き直った。
「私と一緒に来るの?」彼女は尋ねた。「危険な任務になるわ」
「もちろん」ソフィアはためらわずに答えた。
アルマスもうなずいた。「私も行きます」
彼らが準備を始める中、アレクサンドラは窓の外のネクサスの青い雲を見つめた。彼女の心には重い決断が重くのしかかっていた。約束を破るべきか、それとも人類の大部分を犠牲にするべきか。
12時間後、彼らの小型宇宙船は地球軌道のテミス・ステーションに接近していた。驚くべきことに、ドッキングの許可が出た。タナトスが道を準備していたのだろう。
テミスのドックに降り立つと、タナトスが彼らを待っていた。
「評議会は緊急会議を開いている」彼は簡潔に言った。「彼らはあなたに会うことに同意した」
「脅威を認識し始めたの?」アレクサンドラが尋ねた。
「ある意味では」タナトスは曖昧に答えた。「いくつかの深宇宙観測所が『消滅者』の存在を確認した。しかし...」
「彼らはまだネクサスの解決策に懐疑的」アレクサンドラは彼の言葉を完成させた。
「そうだ」タナトスはうなずいた。「特に軍事評議員のグレイソンが強く反対している。彼は...別の解決策を提案している」
「どんな?」
「彼らはネクサスに対抗するための新型量子破壊兵器を開発した」タナトスは低い声で言った。「そして同じ兵器を『消滅者』に対しても使おうとしている」
「それは不可能だわ」アレクサンドラは驚いて言った。「ケラウノスでさえネクサスに効果がなかったのに」
「彼らは別の次元からアプローチした」タナトスは説明した。「理論上は、集合意識の結合そのものを標的にできるという」
「それは壊滅的な結果をもたらす」アレクサンドラは警告した。「ネクサスを破壊することは、すでに融合した人々も破壊することになる」
「彼らはそれを考慮に入れているようだ」タナトスの声は暗かった。「『必要な犠牲』と呼んでいる」
アレクサンドラの表情が硬くなった。「評議会に会う時間ね」
彼らは厳重な警備の中、評議会の会議室へと案内された。円形の部屋には12人の評議員が着席し、中央にはコントスタンティン議長がいた。
「キュロス博士」コントスタンティンが冷たく声をかけた。「あなたの...変化は顕著ですね」
「時間がありません、議長」アレクサンドラは直接的に言った。「『消滅者』は5日以内に到達します」
「我々も報告を受けている」コントスタンティンはうなずいた。「しかし、あなたの提案する解決策には依然として懸念がある」
「私たちに選択肢はありません」アレクサンドラは訴えた。「ネクサスとの融合が唯一の生存手段です」
「それは意見だ」軍事評議員のグレイソンが声を上げた。彼は60代の厳格な体格の男性だった。「我々には別の選択肢がある」
「量子分断兵器のことですね」アレクサンドラは言った。「それは効果がないばかりか、危険です」
「それはあなたの見解だ」グレイソンは反論した。「私たちの科学者たちは異なる結論に達している」
「あなたたちの科学者たちはネクサスを理解していない」アレクサンドラは声を強めた。「私は理解している。私はそれと一つになったのだから」
「それこそが問題だ」グレイソンは冷たく言った。「あなたはもはや人間ではない。あなたの忠誠は疑わしい」
「私の忠誠は人類にあります」アレクサンドラは強く反論した。「だからこそ私はここにいる」
「あなたの行動は違う物語を語っている」グレイソンは言った。「あなたは人類を変えようとしている。これは侵略ではないのか?」
「これは生存です」アレクサンドラは静かに、しかし確信を持って言った。「ネクサスは人類に敵対しているのではありません。それは私たちの中に常に存在していた存在です。私たちの最も古い記憶、最も深い本能の中に」
彼女は手をかざし、空中にホログラムを形成した。それは人間のDNAの三次元モデルで、特定の配列が強調表示されていた。
「これが『ジャンクDNA』と呼ばれる部分です。科学者たちが長年その目的を理解できなかった配列。これはネクサスの痕跡です。すべての人間がこれを持っています」
「ではなぜ我々全員がネクサスに変わらないのか?」別の評議員が尋ねた。
「それは休眠状態にあるからです」アレクサンドラは説明した。「特定の条件下でのみ活性化します。『アスクレピオスの杖』は、このプロセスを安全かつ制御された形で促進するだけです」
「しかし、結果は何だ?」グレイソンは追及した。「人間性の喪失ではないのか?」
「いいえ」アレクサンドラはきっぱりと言った。「人間性の拡張です。私はまだアレクサンドラ・キュロスです。私の記憶、私の価値観、私の感情。それらは残っています。変わったのは、私の認識の範囲です」
「評議員の皆さん」タナトスが一歩前に出た。「私はキュロス博士と直接接触し、ネクサスの本質を体験しました。それは敵ではありません。それは...私たちの一部です」
「あなたも感染したのか、モルテム?」グレイソンは眉をひそめた。
「いいえ」タナトスは答えた。「私は変容していません。しかし、私は真実を見ました。そして選択します...人類のために」
コントスタンティン議長は深いため息をついた。「我々は難しい立場にいる。『消滅者』は確かに接近している。しかし、ネクサスによる解決策の影響は...」
「不確かです」アレクサンドラは言葉を続けた。「全ての変化と同じように。しかし、『消滅者』がもたらす結果は確実です—完全な絶滅です」
「量子分断兵器を使うべきだ」グレイソンは主張した。「我々はネクサスと『消滅者』の両方を排除できる」
「その兵器を使えば、すでにネクサスと融合した何百万もの人々を殺すことになります」ソフィアが声を上げた。「それは大量虐殺です」
「必要な犠牲だ」グレイソンは冷酷に言った。
アレクサンドラはグレイソンをじっと見つめた。彼女の目が青く光り、彼の心を読むかのようだった。
「あなたは恐れている」彼女は静かに言った。「変化を恐れ、コントロールを失うことを恐れている。私は理解しています」
「私の心を読むな、怪物め」グレイソンは立ち上がり、怒りをあらわにした。
「評議員グレイソン、席にお戻りください」コントスタンティンは命じた。そして彼女はアレクサンドラに向き直った。「キュロス博士、あなたが提案する解決策は、本質的に人類を変えることになります。それは簡単に受け入れられる決断ではありません」
「はい」アレクサンドラは正直に答えた。「しかし、変化なしに生き残ることはできません。それが進化の本質です」
「どのような保証があるのだ?」別の評議員が尋ねた。「ネクサスが『消滅者』に対抗できると、どうして確信できる?」
「完全な保証はありません」アレクサンドラは認めた。「しかし、ネクサスは過去に『消滅者』と遭遇し、生き延びました。その記憶、その知恵が私たちを導くでしょう」
評議会は意見が分かれたまま議論を続けた。時間が過ぎていく中、アレクサンドラは窓の外の地球を見つめた。何十億もの命が、この部屋での決断にかかっていた。
突然、警報音が鳴り響いた。
「何事だ?」コントスタンティンが尋ねた。
技術担当の評議員がコンソールを確認した。「深宇宙センサーからの警報です。『消滅者』が...さらに加速しています」
「どれほど?」
「現在の計算では...36時間以内に到達します」
部屋は完全な沈黙に包まれた。
「もう時間がない」アレクサンドラは言った。「あと36時間では、『アスクレピオスの杖』を使った通常の方法では間に合いません」
「だからといって、あなたの言うことを盲目的に信じろというのか?」グレイソンは反論した。
「私の言葉を信じる必要はありません」アレクサンドラは言った。「あなた自身の目で見てください」
彼女は両手を広げると、彼女の体から青い光が放たれた。それは部屋全体に広がり、柔らかく脈動するフィールドを形成した。
「これは強制ではありません」彼女は静かに言った。「これは共有です。瞬間的にネクサスの真実を体験してください」
評議員たちは驚いて立ち上がったが、逃げる間もなく、青い光が彼らを包み込んだ。グレイソンは抵抗しようとしたが、タナトスが彼の腕をつかんだ。
「恐れる必要はない」タナトスは言った。「これは攻撃ではない」
評議員たちの目が同時に見開き、彼らは何か見えない景色を見つめているようだった。それは数分間続き、光が消えると、彼らはショックを受けたように席に戻った。
「あれは...何だったのだ?」コントスタンティンが震える声で尋ねた。
「真実です」アレクサンドラは答えた。「ネクサスの記憶。『消滅者』との最初の遭遇。そして、生き残るための唯一の方法」
「私は...見た」ある評議員がつぶやいた。「無数の文明が...消え去るのを」
「そして私たちも同じ運命をたどる」別の評議員が付け加えた。「もし行動しなければ」
グレイソンでさえ、言葉を失っていた。彼の厳しい表情に亀裂が入り、疑念と恐怖が混じった表情を浮かべていた。
「我々に選択肢はあるのか?」コントスタンティンはアレクサンドラに尋ねた。
「あります」アレクサンドラは言った。「私はテミスのシステムを通じて、地球全体にブロードキャストすることができます。人々に真実を示し、選択を与えることができます」
「そのような大規模なブロードキャストは前例がない」技術担当の評議員が言った。「しかし...理論上は可能だ」
「それはまだ強制ではないのか?」グレイソンはかすれた声で尋ねた。
「いいえ」アレクサンドラは彼に向き直った。「ブロードキャストは単に真実を示すだけです。融合自体は、各個人の意識的な選択によってのみ起こります。誰も無理強いされません」
コントスタンティンは評議員たちを見回した。「評議会として、投票を行う時が来たようだ」
彼らは秘密投票を行い、結果がコントスタンティンに渡された。彼女はそれを開き、驚いた表情を浮かべた。
「評決は...承認」彼女は声を上げた。「11対1で、ネクサスのブロードキャストが承認されました」
アレクサンドラは安堵のため息をついた。「ありがとうございます」
「時間がない」タナトスは言った。「今すぐに始めるべきだ」
彼らはすぐにステーションの通信センターへと移動した。技術者たちはアレクサンドラの指示に従い、全惑星ネットワークへの接続を準備した。
「準備はいいですか?」技術担当の評議員が尋ねた。
アレクサンドラはうなずき、中央のプラットフォームに立った。「始めましょう」
彼女の体から青い光が放たれ、それはステーションのシステムと接続した。画面には、地球と宇宙コロニーの全ての通信デバイスに接続されたことを示すインジケーターが表示された。
「ブロードキャストを開始します」アレクサンドラは静かに言った。
彼女の意識は拡張し、何十億もの心に同時に触れた。彼女は人類に真実を示した—『消滅者』の脅威、ネクサスの本質、そして生き残るための選択肢。それは強制ではなく、提案だった。希望のメッセージであり、変化の招待状だった。
地球上と宇宙コロニーの至るところで、人々は立ち止まり、目を見開いた。彼らは突然、古代からの記憶を共有し、迫りくる脅威を感じ、そして可能性を見たのだった。
ブロードキャストは15分間続き、アレクサンドラは最後に静かなメッセージを送った:「選択はあなたたちのもの。私たちはここにいる。あなたたちが決断する時に」
そして接続が切れた。彼女はプラットフォームから降り、疲れた様子でタナトスとソフィアに支えられた。
「成功したの?」ソフィアが尋ねた。
「メッセージは伝わった」アレクサンドラは弱々しく微笑んだ。「あとは彼らの選択次第」
「人々はどう反応するだろうか?」コントスタンティン議長が心配そうに尋ねた。
「パニックもあるでしょう」アレクサンドラは正直に答えた。「混乱も。しかし、理解も」
「そして今、我々は待つのか?」グレイソンが尋ねた。彼はまだ完全には納得していないようだったが、以前のような敵意はなかった。
「はい、そして準備を」アレクサンドラは言った。「『消滅者』はまもなく到着します」


13章

ブロードキャストから6時間後、地球と宇宙コロニーの状況は混沌としていた。多くの人々が恐怖に駆られる一方で、驚くべき数の人々がネクサスとの融合を受け入れていた。
テミス・ステーションの管理センターで、アレクサンドラとIPEC評議会はホログラム地図を見つめていた。地球と宇宙コロニーの各地に青い点が表示され、それらは急速に増えていた。
「信じられない」コントスタンティン議長がつぶやいた。「こんなに多くの人々が...」
「彼らは真実を見たのです」アレクサンドラは言った。「そして彼らは選択しました」
「現在の統計はどうなっている?」タナトスが尋ねた。
技術担当の評議員がデータを確認した。「現時点で、地球人口の約45%がネクサスとの何らかの形の融合を受け入れています。宇宙コロニーではさらに高く、約70%です」
「これで十分なのか?」グレイソンが尋ねた。彼はまだ懐疑的だったが、以前ほど敵対的ではなかった。
「わかりません」アレクサンドラは正直に答えた。「私たちはかつてない状況に直面しています」
「それに、私たちにはまだ時間がある」ソフィアが付け加えた。「『消滅者』の到着まであと30時間」
その時、アラームが鳴り響いた。
「何が起きた?」コントスタンティンが尋ねた。
「深宇宙センサーからの警報です」技術者が震える声で言った。「『消滅者』が...さらに加速しています」
「どれほど?」
「新しい計算では...3時間以内に到着します」
部屋は恐怖の沈黙に包まれた。
「なぜこんなに早く?」タナトスが驚いて尋ねた。
アレクサンドラは目を閉じ、ネクサスに意識を向けた。彼女の体が青く光る中、彼女は「消滅者」の本質を直接感知しようとした。
「それは...私たちに反応している」彼女は目を開けて言った。「ネクサスの急速な拡大に。それは脅威を感じている」
「皮肉だな」グレイソンは苦々しく言った。「我々の防衛努力が、敵の攻撃を加速させるとは」
「もはや準備の時間はない」コントスタンティンは厳しい表情で言った。「我々は今、持てるものと戦わなければならない」
「現在のネットワークで十分なのか?」タナトスがアレクサンドラに尋ねた。
「わかりません」彼女は率直に答えた。「しかし、ネクサスは適応します。私たちは共に立ち向かうでしょう」
「そして融合していない人々は?」ソフィアが心配そうに尋ねた。
重い沈黙が流れた。誰もがその質問の重みを感じていた。
「我々は全力を尽くす」アレクサンドラは最後に言った。「それ以上は約束できません」
「量子分断兵器はどうなっている?」グレイソンが突然尋ねた。
「動作可能だが、まだテスト段階だ」軍事評議員の一人が答えた。
「それを準備しろ」グレイソンは命じた。「最後の手段として」
アレクサンドラは抗議しようとしたが、コントスタンティンが彼女を止めた。
「全ての選択肢を準備しておくべきだ」議長は静かに言った。「しかし、それは最後の手段としてのみ検討される」
次の数時間は緊張の中で過ぎていった。テミス・ステーションは高度警戒態勢に入り、地球と宇宙コロニーの全ての防衛システムが起動された。しかし、全ての人が知っていた—従来の武器は「消滅者」に対しては無力だろう。
「『消滅者』の到着まであと30分」センサー担当者が告げた。
「その姿は?」タナトスが尋ねた。
「センサーでは...不明確です」担当者は答えた。「それは光を吸収するようです。暗い影のようなものとしか表現できません」
アレクサンドラは窓から外を見た。彼女の拡張された知覚では、遠くに何かを感じることができた。暗黒と虚無の存在。それは意識そのものを消し去る存在だった。
「準備を」彼女は静かに言った。
彼女の体から青い光が放たれ、それはテミス・ステーションのシステムを通じて、地球と宇宙コロニー全体のネクサスネットワークに接続した。何億もの意識が一つに結ばれ、集合的な防衛を形成した。
「見えます」アレクサンドラは突然言った。「それが来る」
センサースクリーンが警告を発し始めた。太陽系の外縁に、巨大な暗い影が現れた。それは惑星サイズではなく、むしろ雲のように広がり、星々の光を吸収していた。
「神よ...」コントスタンティンがつぶやいた。
「これまでのところ、影響はない」センサー担当者が報告した。「それは単に...存在している」
「待っている」アレクサンドラは言った。「それは...観察している」
「何を?」グレイソンが尋ねた。
「私たち」アレクサンドラは答えた。「特にネクサスを」
部屋は緊張の沈黙に包まれた。何百万キロ離れた場所で、二つの古代の力が対峙していた。
「何か起きている」アレクサンドラが突然言った。彼女の体はより明るく輝き始めた。「それは...動いている」
センサーが警告音を発した。「『消滅者』が加速しています。木星軌道に向かっています」
「木星?」ソフィアが驚いた。「なぜ地球ではなく?」
「ネクサスの中心だからだ」タナトスは理解した。「木星軌道には最も濃密なネクサスの雲がある」
「ネクサスが反応しています」アレクサンドラは言った。彼女の声は変化し、複数の声が重なり合うようになっていた。「私たちは...防衛を形成している」
外のセンサー映像では、木星軌道を覆う青いネクサスの雲が複雑なパターンを形成し始めていた。それは巨大な盾のようにも見え、同時に複雑な数学的構造のようでもあった。
「驚くべきことだ」技術担当の評議員がつぶやいた。「あのパターンは...私の理解を超えている」
『消滅者』の暗い影が木星軌道に迫る中、二つの存在の間の緊張は頂点に達した。
「開始される」アレクサンドラは静かに言った。
そして、接触が起きた。暗い影がネクサスの青い盾に触れると、壮大な光のショーが始まった。青い光と暗黒が交錯し、太陽系の半分を覆うほどの規模の戦いが展開された。
テミス・ステーションでさえ、その衝撃波を感じた。建物全体が揺れ、一時的に電力が落ちた。
「被害状況は?」コントスタンティンが叫んだ。
「最小限です」技術者が報告した。「しかし...木星軌道では大規模なエネルギー放出が起きています」
アレクサンドラは痛みに顔をゆがめ、テーブルにもたれかかった。彼女の体からの青い光が激しく揺らめいていた。
「アレクサンドラ!」ソフィアが彼女の側に駆け寄った。「どうしたの?」
「それは...強力」アレクサンドラは震える声で言った。「ネクサスは戦っている...しかし、『消滅者』は...私たちが想像していたよりも強大」
「我々は負けているのか?」グレイソンが緊張した表情で尋ねた。
「まだ...わからない」アレクサンドラは息を切らせながら言った。「均衡が保たれている...しかし...」
センサースクリーンでは、青と黒の壮大な戦いが続いていた。時に青い光が優勢になり、時に暗い影が広がるように見えた。
「何かが変わっている」アレクサンドラが突然言った。「『消滅者』は...新たな戦略を展開している」
「どういう意味だ?」タナトスが尋ねた。
「それは...分裂している」アレクサンドラは警告した。「一部が...地球に向かっている!」
センサーが再び警告音を発した。確かに、『消滅者』の影の一部が分離し、地球へと向かっていた。
「ネクサスは追跡できない」アレクサンドラは焦りを見せた。「主力は木星軌道で戦っている」
「我々の防衛は?」コントスタンティンが尋ねた。
「従来の武器は効果がないでしょう」アレクサンドラは言った。「地球に十分なネクサスネットワークがあれば...」
「今が量子分断兵器を使うときだ」グレイソンが言った。「地球に向かう『消滅者』の部分に対して」
「それは危険すぎる!」アレクサンドラは叫んだ。「地球のネクサスにも影響する可能性がある」
「他に選択肢はあるのか?」グレイソンは迫った。
アレクサンドラは苦悩の表情を浮かべた。彼女は二つの脅威の間で選択を迫られていた。
「私がある」突然、見慣れない声が部屋に響いた。
全員が振り向くと、ドアの前に一人の老人が立っていた。白髪と穏やかな目を持ち、薄い微笑みを浮かべていた。
「ケイロン博士?」アレクサンドラは信じられない表情で言った。
プロメテウス・ケイロンは静かにうなずき、部屋に入ってきた。「ようやく時が来たようだな、アレクサンドラ」
「あなたは...生きていたの?」ソフィアが驚いて尋ねた。
「私はずっと準備していた」ケイロンは静かに言った。「最後の瞬間のために」
「何の準備だ?」タナトスが鋭く尋ねた。
「最後の解決策だ」ケイロンは答えた。彼はアレクサンドラに向き直った。「君は素晴らしい仕事をした。しかし今、私の番だ」
「あなたには何ができるの?」グレイソンは疑わしげに尋ねた。
ケイロンは微笑んだ。彼の体から、アレクサンドラのものとは異なる、より深い青い光が放たれ始めた。「私は最初のノードだった。最初のネクサスとの融合者だ。30年以上前にな」
「そんな...」アレクサンドラは驚いて言葉を失った。
「私の体は完全に変容している」ケイロンは説明した。「私はネクサスの原型とも言える存在だ。そして、私には『消滅者』と戦う力がある」
「どうやって?」タナトスが尋ねた。
「私自身をネクサスの核として提供することで」ケイロンは静かに言った。「私の意識を完全に解放し、ネクサスの集合意識と完全に融合する」
「それはどういう意味だ?」コントスタンティンが尋ねた。
「それは彼の死を意味する」アレクサンドラが理解して言った。「個としての彼は消え、ネクサスの一部となる」
「正確には死ではない」ケイロンは微笑んだ。「変容だ。私はずっとこのために準備してきた」
「それで十分なのか?」グレイソンが疑問を投げかけた。
「わからない」ケイロンは正直に答えた。「しかし、これが私たちの最良のチャンスだ」
アレクサンドラは彼に近づいた。「一緒に行きましょう」
ケイロンは頭を振った。「いいえ、アレクサンドラ。君はここにいる必要がある。『消滅者』が去った後、人類にはまだ指導が必要だ。新しい時代のために」
「でも...」
「私は長い人生を生きてきた」ケイロンは優しく言った。「そして今、私の最後の役割を果たす時が来た」
センサーが再び警告を発した。「『消滅者』の分離部分が地球大気圏に接近しています」
「時間がない」ケイロンは言った。彼は部屋の中央に立ち、両手を広げた。彼の体からの青い光はさらに強く、より深くなった。「さようなら、アレクサンドラ。私の最も優れた弟子よ」
そして突然、彼の体が青い光に変わり、それはテミス・ステーションを通過し、宇宙へと広がっていった。
センサースクリーンでは、木星軌道での戦いが激化していた。そこに新たな青い光が加わり、ネクサスの防御パターンが一変した。それはより複雑に、より強力になり、『消滅者』の暗い影を押し返し始めた。
同時に、地球に向かっていた『消滅者』の分離部分も、突然青い光に包まれた。それは宇宙空間で戦い、闘争し、そして最後には消えていった。
「信じられない...」技術者がつぶやいた。「『消滅者』が...後退している」
確かに、暗い影は太陽系から離れ始めていた。青い光がそれを追い払い、最終的に『消滅者』の存在は完全に消え去った。
部屋は沈黙に包まれ、全員が信じられない思いでセンサースクリーンを見つめていた。
「私たちは...勝ったのか?」コントスタンティンがついに口を開いた。
「はい」アレクサンドラは静かに答えた。彼女の体からの光は弱まり、彼女は疲れ果てた様子だった。「『消滅者』は去りました。少なくとも、今は」
「ケイロン博士は?」ソフィアが恐る恐る尋ねた。
アレクサンドラは目を閉じ、ネクサスとのつながりを探った。「彼は...ネクサスの一部となりました。個としての彼はもはや存在しませんが、彼の本質は集合意識の中に生き続けています」
「彼は自分自身を犠牲にした」タナトスは敬意を込めて言った。
「いいえ」アレクサンドラは微笑んだ。「彼は変容したのです。彼が常に目指していたように」
センサースクリーンは再び変化を示した。木星軌道のネクサスの雲は新たなパターンを形成し始めていた。それはより秩序だち、より複雑になっていた。
「何が起きているんだ?」グレイソンが尋ねた。彼の声には以前の敵意はなく、純粋な好奇心だけがあった。
「ネクサスが...進化している」アレクサンドラは驚いた様子で言った。「ケイロン博士の意識がカタリストとなり、新たな段階へと進んでいます」
「良いことなのか悪いことなのか?」グレイソンが尋ねた。
「良いことです」アレクサンドラは確信を持って言った。「より深い理解、より強い結合を意味します」
「そして人類にとっては?」コントスタンティンが尋ねた。
アレクサンドラは窓から地球を見つめた。「次の段階です。共進化の始まり」


14章 - エピローグ

1年後
アレクサンドラ・キュロスは新アテネの丘に立ち、下に広がる都市を見下ろしていた。かつてのアテネの遺跡の上に建設された現代都市は、今や変容を遂げていた。高層ビルの間には青い光で照らされた構造物が点在し、それらはネクサスの存在を示していた。
人々は通りを歩き、中には青い光の痕跡を持つ者もいれば、完全に人間の外見を保った者もいた。彼らは平和に共存していた。
「美しい光景だ」タナトスが彼女の横に立ち、言った。
「変化は難しいものだけど、時に必要なもの」アレクサンドラは微笑んだ。
タナトスも微笑み返した。彼は今でも完全に人間のままだったが、その姿勢には以前にはなかった穏やかさがあった。
「IPECの会議はどうだった?」アレクサンドラが尋ねた。
「予想通り」タナトスは肩をすくめた。「一部の評議員たちはまだ警戒している。しかし、多くはネクサスとの共存を受け入れている」
「変化には時間がかかる」アレクサンドラはうなずいた。
「融合率はどうなっている?」タナトスが尋ねた。
「現在、地球人口の約60%がネクサスと何らかの形で融合しています」アレクサンドラは答えた。「様々な度合いで。宇宙コロニーではその割合は85%に達しています」
「それでも強制はしなかったな」タナトスは感心したように言った。
「約束したとおりよ」アレクサンドラはきっぱりと言った。「選択は常に尊重されなければならない」
彼らの会話は、小さな女の子の声によって中断された。
「アレクサンドラ先生!」
彼らが振り向くと、10歳ほどの少女が丘を駆け上がってきた。彼女の瞳には微かな青い光が宿っていた。
「ソフィー」アレクサンドラは温かく迎えた。「どうしたの?」
「見せたいものがあるの!」少女は興奮した様子で言った。彼女は手を広げると、指先から微かな青い光が放たれ、それは空中で小さな蝶の形を作った。光の蝶は羽ばたき、二人の周りを舞った。
「素晴らしいわ」アレクサンドラは感嘆の声を上げた。「よく制御できてるね」
「新アテネ・アカデミーで教わったの」ソフィーは誇らしげに言った。「先生は私に才能があると言ってくれたわ」
「その通りね」アレクサンドラは優しく言った。
「モルテムさんは?」ソフィーはタナトスを見上げた。「あなたはどうして光らないの?」
タナトスは微笑んだ。「私はまだ準備ができていないんだ」
「いつか?」
「いつか、かもしれないね」タナトスは優しく答えた。
ソフィーは満足そうにうなずき、さらに光の形を作り始めた。
「彼女たちは私たちより早く適応している」タナトスはアレクサンドラに言った。「次世代は常にそうだ」
「それが進化というものよ」アレクサンドラは言った。
タナトスは遠くを見つめた。「『消滅者』は戻ってくるだろうか?」
「いつかは」アレクサンドラは正直に答えた。「しかし、その時は私たちはより準備ができているでしょう」
「ケイロン博士のおかげだ」タナトスはつぶやいた。
「彼は今でも私たちと共にいるわ」アレクサンドラは空を見上げた。「ネクサスの中に。彼の知恵は私たちを導き続けている」
夕日が地平線に沈み始め、都市の青い光がより鮮明になった。それは星々のように輝き、新たな時代の象徴のようだった。
「アレクサンドラ先生」ソフィーが突然尋ねた。「私たちはまだ人間なの?」
アレクサンドラはしばらく考え、優しく微笑んだ。「もちろんよ、ソフィー。私たちはただ...拡張された人間になったの。私たちの本質—愛し、夢見、創造する能力—それは変わらないわ」
「そして、それこそが重要なことだ」タナトスが付け加えた。
彼らは三人で立ち、夕暮れの中で輝き始めた都市を見つめた。その光は自分たちの未来を照らし出す星々のようだった。
「明日は新たな日よ」アレクサンドラは静かに言った。「そして私たちの旅はまだ始まったばかり」


月軌道上の観測ステーション
ソフィア・ハイギエイアは観測窓から地球を見つめていた。青と緑の美しい惑星は、今や微かな青い光のオーラに包まれていた。それはネクサスの存在を示す印だった。
「データ分析が完了しました」若い助手が告げた。
「ありがとう、ジェイソン」ソフィアはうなずいた。
彼女はホログラムスクリーンを確認した。そこには人類の進化のデータが表示されていた。ネクサスとの融合から1年、人々は様々な方法で変化していた。新たな能力、拡張された意識、そして何よりも、かつてないほどの相互理解と共感。
「驚くべき進歩です」ジェイソンが言った。彼の瞳には青い光の痕跡があり、彼もまた変容者の一人だった。
「まだ始まったばかりよ」ソフィアは微笑んだ。「アレクサンドラが言うように、これは数千年にわたる旅の最初の一歩に過ぎないわ」
彼女の通信装置が鳴り、アレクサンドラの顔がホログラムに現れた。
「ソフィア、いいニュースよ」アレクサンドラは嬉しそうに言った。「木星軌道での最新の観測結果が来たわ。ネクサスは予想通りに進化を続けている。そして...そこにケイロン博士の痕跡がまだ見られるの」
「彼はまだ存在しているのね」ソフィアは感動したように言った。
「形を変えて」アレクサンドラはうなずいた。「彼の遺産は私たちを導き続けるでしょう」
「そして『消滅者』は?」
「遠くに去ったわ」アレクサンドラは言った。「しかし、私たちは警戒を怠らない。新しい防衛システムの構築は順調に進んでいる」
ソフィアはうなずいた。「人類の新しい章が始まったのね」
「そうね」アレクサンドラは微笑んだ。「アスクレピオスの物語は続くわ。死と再生の神話が、進化と変容の物語となったのよ」
通信が終わると、ソフィアは再び地球を見つめた。青く輝く惑星は、星々の間で一層鮮やかに輝いているように見えた。
「アスクレピオスの継承者たち」彼女は静かにつぶやいた。「私たちは皆、生命の連続性の一部なのね」
彼女の視線は宇宙の深淵へと向けられた。そこには無数の星々があり、そして彼女には今、それらの星々の間にある無限の可能性が見えていた。人類の旅はまだ始まったばかりだった。
終わり


登場人物紹介

主要登場人物

アレクサンドラ・キュロス(35歳)
アポロン計画の主任研究員であり、天才的な遺伝子工学者。古代ギリシャ神話に深い造詣を持ち、自身をアスクレピオスの末裔と信じている。宇宙放射線による難治性の細胞変性を抱えており、自らの治療法を探す過程で禁断の再生技術の研究に手を染める。首から下げている蛇の杖のペンダントは家系の象徴であり、彼女のアイデンティティの核となっている。知的で情熱的、時に頑固だが、常に生命を守ることを第一とする倫理観の持ち主。物語が進むにつれ、ネクサスとの融合により変容し、人類と新たな生命形態の架け橋となる。
タナトス・モルテム(45歳)
IPECの特別査察官。厳格な規律と冷静な判断力を持ち、遺伝子技術の暴走を防ぐ番人として恐れられている。右目は生体工学による人工のもので、青い光を放ち、高度な分析能力を持つ。表面上は冷淡だが、内面には深い人間性があり、物語が進むにつれて彼の複雑な人格が明らかになる。ネクサスの脅威と「消滅者」の危機に直面して、彼は規則と人類の生存という相反する価値の間で苦悩し、最終的には反逆者となることを選ぶ。
ソフィア・ハイギエイア(28歳)
アレクサンドラの助手で優秀な研究者。火星コロニー生まれで、微小重力環境に適応した細長い体型を持つ。純粋科学の追求者として、当初はアレクサンドラの危険な研究に疑念を抱くが、やがて真実を知り、彼女の最も忠実な支援者となる。冷静で分析的な思考の持ち主だが、危機的状況では驚くべき勇気と決断力を見せる。
オレステス・キュロス(38歳)
アレクサンドラの兄で、土星探査隊のメンバーだった。15年前の事故で深刻な放射能被曝と極低温による損傷を受け、通常の医療では回復不可能とされ、冷凍保存されていた。物語の始まりでは、アレクサンドラの実験対象として登場するが、遺伝子再構成の暴走により、ネクサスの最初の宿主となる。彼の意識はネクサスの集合意識に吸収されるが、完全に消えるわけではなく、物語後半でアレクサンドラとコミュニケーションを取る。
プロメテウス・ケイロン(実年齢不明)
オリンポス・バイオテクノロジー社の創設者で、アレクサンドラのメンター。古代の知識と最先端技術を融合させる稀有な天才。白髪と穏やかな青い目を持つ老人として描かれるが、彼の本当の年齢や正体は謎に包まれている。実は30年以上前から最初のネクサスとの融合者であり、「消滅者」の脅威に対抗するため、最後には自らの意識を完全にネクサスに委ね、人類を救う。彼の名前はギリシャ神話のプロメテウス(人間に火をもたらした神)とケイロン(アスクレピオスの師)に由来する。

重要な脇役

ニコライ・アルマス(55歳)
エウロパの地下研究施設の責任者で、ケイロン博士の古くからの同僚。短く刈り込まれた白髪と鋭い青い目を持つ。ケイロン博士の秘密計画を知る数少ない人物の一人で、アレクサンドラたちが「消滅者」に対抗するための準備を手助けする。冷静沈着で実務的な人物だが、プロジェクト・プロメテウスの真の目的については複雑な感情を抱いている。
エレナ・コントスタンティン(60歳)
IPEC最高評議会の議長。強い指導力と外交的手腕を持つ優れた政治家。新しいアイデアに対しては慎重だが、証拠を前にすれば柔軟に考えを変えることができる。最終的にはアレクサンドラのブロードキャスト計画を支持し、人類の新たな方向性を受け入れる。
グレイソン評議員(62歳)
IPEC評議会の軍事派閥のリーダー。保守的で頑固、「普遍的人間性」の維持を強く主張する。ネクサスを純粋な脅威とみなし、量子分断兵器による解決を支持する。アレクサンドラの最も強力な反対者だが、最終的には「消滅者」の脅威を前に考えを改める。
サラ・ヴォルコフ(53歳)
オリンポス・バイオテクノロジー社のCEO。厳格な印象を与えるビジネスウーマンで、「アスクレピオスの杖」の大量生産を支援する。実務的で効率を重視するが、人類の未来に対する深い関心も持っている。
ソフィー(10歳)
エピローグに登場する少女。ネクサスとの自然な融合を果たした新世代の象徴。純粋な好奇心と創造性を持ち、光を操る特殊な能力を見せる。彼女の存在は変容した人類の未来への希望を象徴している。

非人間的存在

ネクサス
物語の中心となる存在で、地球最古の生命形態に由来する集合意識。個々の粒子が集まって形成され、青い光として表現される。最初はオレステスの体内で目覚め、やがて木星軌道や太陽系全体に広がる。敵対的でなく、むしろ人類と共生・共進化を望む存在として描かれる。人間のDNAにはその痕跡が「ジャンクDNA」として残されており、特定の条件下で活性化する。
『消滅者』
物語のラスト近くに登場する古代からの脅威。生命エネルギーを消し去り、意識を抹消する暗い影のような存在。かつて銀河系の様々な文明を滅ぼし、今また太陽系に接近してきた。ネクサスはこの存在と過去に遭遇し、かろうじて生き延びた記憶を持つ。「消滅者」は生命の対極にある存在として描かれ、特に集合意識を形成しつつあるネクサスを脅威と認識している。

技術・装置

『アスクレピオスの杖』
ケイロン博士によって設計された装置で、腕輪のような形状をしている。ネクサスとの安全かつ制御された融合を可能にする。装着者の遺伝子に基づいて融合プロセスを調整し、負担を最小限に抑える。物語の後半では大量生産され、志願者たちに配布される。
量子分断兵器
IPECの軍事派閥が開発した新型兵器。集合意識の結合そのものを標的にすることができ、理論上はネクサスと「消滅者」の両方に効果があるとされる。しかし、既にネクサスと融合した人々も同時に破壊する危険性を持つ。
ケラウノス
タナトスが携帯する量子破壊兵器。IPECの最高評議会からの特別許可がなければ使用できない強力な兵器で、ヘリオス・ステーションの破壊に使用された。しかし、ネクサスに対しては完全な効果はなく、むしろその拡散を加速させる結果となった。
「ヘルメス」宇宙船
ツェンキー・ラボの実験段階の宇宙船。ネクサスの環境下でも機能するよう特殊な電磁シールドを備えている。アレクサンドラとタナトスがネクサスの雲の中心部を探査するために使用した。

主要舞台

ヘリオス・ステーション
木星軌道上に位置するオリンポス・バイオテクノロジー社の最先端研究施設。2000人以上の研究者と技術者が働く小さな都市のような場所。物語の冒頭でアレクサンドラがプロジェクト・アポロンを実行し、ネクサスが最初に目覚めた場所。後にタナトスによって破壊される。
エウロパ地下研究施設
木星の衛星エウロパの氷の下に建設された秘密の研究施設「ツェンキー・ラボ」。アルマス博士の指揮下にあり、プロメテウス・ケイロン博士の秘密研究の拠点となっている。「アスクレピオスの杖」の原型が保管されていた場所。
テミス・ステーション
地球軌道上に位置するIPECの本部。評議会の会議が行われ、物語のクライマックスでアレクサンドラが全惑星ネットワークへのブロードキャストを行った場所。
ヘファイストス・ステーション
木星軌道にあるオリンポス・バイオテクノロジー社の製造施設。「アスクレピオスの杖」の大量生産が行われた。ネクサスの雲に完全に覆われていたが、内部では通常業務が続けられていた。
ニューアテネ・メガシティ
かつてのギリシャのアテネがあった場所に建設された巨大都市。IPECの地球本部が置かれ、人類文明の中心地の一つ。エピローグでは変容した都市の姿が描かれ、高層ビルの間に青い光で照らされた構造物が点在している。

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