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乗り越える力



理学療法士として

私がリハビリを提供する身でありながら、

何度も仕事を辞めたいと思う節々がある中でも、

絶対的に、やり甲斐を感じる瞬間がある。



それは、



患者さん自らの
乗り越える力を
目の当たりにした瞬間にある。








うん。うん。

もう自分で出来るね。乗り越えられるね。



って

ある種の"はじめてのおつかい"を見守る

ママの心境のように。




そして、

この乗り越える力は、

昨今、試されている気がするよ。





(下記に続く)





「流行り」「流行」


これらに健康産業はすごく乗っかりやすい。

今も、昔も。



それをビジネスにしている起業家もいるので、

まだまだ、しばらくは

加速と競争の一途を辿ると思います。。。



そして

今は "健康"と発言したり発信することすらも


・それを言えるだけの身体じゃないと!

・それを言えるだけのメンタルタフじゃないと!

まず自分の不調や病気が治らないと!

完治してないと!


って完璧を突き詰めていたり、

症状をゼロにすることに苦しんでいる人も多く、


なんだか

ただヘルシーに生きてるだけでは

良しとしませんよ。

みたいな風潮になってきている気がする。



(いくら健康っぽく見える人も、

実は腰痛があったり、頭痛があったり、

眼精疲労があったり、便秘があったり、

外反母趾があったり、PMSだったり、

キリがなく、色々あるのにね。)




そもそも

完全で完璧な状態の人はいません!!



(健康とは、肉体的、精神的及び社会的に
完全に良好な状態ってWHOは提唱しているけど

まず、この根本の定義から変えないといけないのでは?)



健康第一って健康を全面に打ち出していたり

健康な姿だけを見せがちになる世界。


だから、見た世界だけを過剰摂取しすぎて、

症状より、見たモノや言葉・数字から

真っ先に落ち込んでる人が本当に多い、、、

「あぁ、私は健康じゃない、なれない」って。



見たモノと比較した結果、

その延長には、生きている希望が無くなり、

「人生終わりだ」って、思考は暴走する。

(このあらゆるパターンの思考を見てきたよ。)



職場から否定されたら

社会から否定されたらって

そして、

せめて病院には救われるんじゃないかって

自ら病人になって"診断"をもらう

"治療薬"をもらいにいく💊



何一つもらえないと

医療からも見捨てられた気持ちになり

絶望する。




そしたら、

治してほしい一心で彷徨い人になったり、

"治してくれ"のくれくれさんになる。



どうして治らないの?

いつ治るの?

一生治らないの?って

ヒステリックなクレーマーみたいになっていく。

そして、どんどん医療も空回る。

(要らない薬を処方されている人も五万といる)



でも、実際はね!(ここから本題です)



紆余曲折を経てかれこれ7年、

病院でリハビリに携わる身だけど、


実際の現場は、

完全体で完治して見送った患者さんの方が

少ないくらい。


どちらかというと

患者さん自ら病院へ治療に来て(←能動的行動

施術をしてもらうだけでなく(←受け身でなく

あらゆるセルフケアや応急処置など、

自分で乗り越える術を吸収し、身につけて、

自信がついた人から、自分で決断して、

実際の完治まで到達してなくとも

自ら巣立っていく方がほとんど。


(一区切りらしい挨拶も、お別れも、

なんなら何も言わずにフェードアウトも

少なくないよ。これが現場です。)




私は

はじめてのおつかいでよく見る光景

ママや、カメラマンのように

玄関口や塀の陰で見守る親心で、



乗り越える力を
ただ全力で支援する

そして、信じる!

(あとは、巣立ちを見守る。)



今は、そんな仕事に

やり甲斐を感じている。


乗り越える力、つきましたね!
って。🥹







私は、病院に来ない(来なくなる)のは

良い知らせ(便り)と思っていて😌



逆に言うと、

病院とずーっと仲良くなるのは違くて、

依存する対象物にしてはいけない場だと思う。



そして、

医療の根源にある問題の焦点は

病院だけでは解決できないことも

長い道のりかけて認識していて、



あくまで病院は、

自分で乗り越えられなくなった人や

それを自覚した人。

そして、治療が必要な人が来る場所。



実際に、

リハビリを自らフェードアウトした人も、

ピンチとなったら、

突然、目の前に再び現れたりする。

「またお世話になりますよ、先生」って

忘れそうになる頃合いを見定めてたみたいに

数年ぶりに降臨してきたりする。笑


でも、病院はそういう場所だと思っている。

言うならば、頼みの綱。最終手段。

本当に必要な人にとってのね。←









でも、

治療を本当に必要とする人が

病院という場にちゃんと来るケースは

世間の人口割合でみても氷山の一角で、



本当に必要とする人こそが

現実的に

病院に来たくても来れていないケースが

ほとんどだということ。



乗り越える力が足りなくなっても

その自分を受け入れ難くて、

自覚出来ずに、もっと頑張ろうとして、

必死に一人でもがいてはしんどく落ち込んで、

誰かに助けてと頼れない人が多いのが現状。





個々人で


たった一人で

孤軍奮闘してる人が、ほっんとに多い。



(やっと乗り越えられないと自覚して

しばらく経ってリハビリに来たころには

手術適応レベルだったり、

身体も心も疲弊しきって症状も重篤だったり、

ほんとに臨床を経験して色々見てきた。

闘うタフな人がほんとに世の中多い事もね。)



そして、

不必要な人が病院に依存しているのも

実際問題あるということ。


病院を履き違えると、

❤️‍🩹 寂しい心を埋める拠り所、憩いの場。

❤️‍🩹 自分を唯一拒まず、受け入れてくれる場。

❤️‍🩹話を聞いてくれる場。


こうゆう認識で病院に来る人も少なくない。


(こうゆう心の風邪をひいてる方の行き場が
現状で世にまだ存在してないから、
この問題は仕方がないと思っている。)


ただ言えることは、一つ。



万人、根本治療が全て。




受け身ではなくて、

自ら気づいて、

乗り越える力が弱っている時に

何かを誰かを頼るという見極め

まず、すること。


そうして、

少しずつ乗り越える力をつけること。

とにかくその力を鍛えて、

弱ったら誰かを頼ってみて、

回復したらまた鍛えて、を繰り返しながら、

地道にコツコツと強くしていくこと。


だから、

もう孤軍奮闘しなくても、大丈夫だよ。

頼れる人に頼ってみてね。



そして、

ちょっとの不調もうまく付き合ったり

適応できるようにと

乗り越える力を全力で支援するのが、

一番の治療家の姿で、本物のプロだと思う。



いくら儲かるから、稼げるからと、

治療を出し惜しみしたり、

集客に執着して、逃がすまいと躍起になったり、

相手の弱みに漬け込んだり、

完璧症状ゼロを目指す高いゴール設定にしたり、

対症療法ばかりを提供するのは

全くもってプロじゃないよ!!

(知識だけ垂れ流すのもね)



リハビリの定義通り、

リハビリテーション: Rehabilitation

re(再び、戻す)habilis(適した、ふさわしい)から成り立っています。 つまり、単なる機能回復ではなく、「人間らしく生きる権利の回復」「自分らしく生きること」が重要で、そのために行われるすべての活動がリハビリテーションなのです。

↑これこそ私が目指しているところ。


「病は気から」ってよく耳にするように、

乗り越える力が完全に欠落すると、

不調や病気はその病態以上に

悪化したり進行してしまうから。

(これはデータとしても、そう。)



今の時代を生き抜いていくには、

乗り越える力は、本当に大事な力、、、。




早かれ遅かれ、

自分という内側に矢印を向けて

自ら乗り越えなきゃいけない場面は

誰しもが、どうしたっていつかはやってくる。

それは

背けても背けても

逃げても逃げても

どうしたって色んな形でやってくる、不思議と。






必死に一人でもがいては落ち込んで

誰かに助けてと頼れない人が多い

現代社会に生きている私たち。




もっともっと、

病院という最終手段に行き着くより、

もっと手前の段階で、

ちょっとだけ話し聞いて?くらい

気軽な help me!ができる安心安全な

"頼り所"

"吐け口"

"充電スポット"のような

横のつながりが出来たら

その人の内に潜む

自ら乗り越える力やポテンシャルは

もっと発揮出来て、


(不必要な人は、病院に来る手前で救えて)

もっと必要な人が病院に来れるようになって


医療という現場が

エネルギー漏れなく、行くべきところに、

ちゃんと上手く行き届く気がする。








知識だけで治そうとしていたり、


カラダ or ココロ、

フィジカル(外面)or メンタル(内面)、

って、分けて
どちらか一方の側面だけで治そうとしていたり、


(患者側も、治療側のプロも)
たった一人で必死に治そうとしたり、



みんな躍起になって頑張っている。

孤軍奮闘は、もう十分だと思う。



情報がたくさん溢れてる時代だからこそ、

根本治療に辿り着きにくい今。



カラダとココロは繋がっているって

言葉だと簡単だけど、本当ですよ。


①→②→③→④→⑤
こうゆうサイクルを経て
最終的に生きる希望⤵️とメンタルに陥る
(カラダからのアプローチで遮断できるのに)





うつ傾向は、

簡単なこともカラダが倦怠感で

動けなくなるほど固まっていく。

カラダだけでなく頭も思考もガチガチになる。


乗り越える力が足りない時は、

・散歩する。

・椅子から立つ、座る。

・ベッドから起きる。

これくらい簡単なことも、億劫になる。




伴って、決断力や判断力もどんどん鈍くなり、

楽しいことも生きる希望や価値さえも

どんどん感じられなくなっていく。

(とてもしんどい渦中に入ってしまう)


生きていれば

色んな問題に直面するが、


(始めにもどるが)


健康か 健康でないかより

乗り越えていく力があるか ないか


が重要である。


乗り越えていく力があれば
(症状と上手く付き合っていけたら)

不完全でも

症状がゼロじゃなくても

十分ヘルシーで、私は健康だと思う。



そして、

世の中にカラダもココロもヘルシーな人が

胸を張って「健康です」と言える人が増えて

増えれば増えるほどに


エビデンスとして(データとしても)

完全な健康といえる人も

たくさん現れてくるんじゃないかって思ってる。





生まれながらに対等で

人間誰しもがカラダとココロがあって

そこと上手く付き合いながら生きていくには、

本来はもっと自由に

健康と誰もが言ってもいいのではないか?






病院で働きながら、



この人の行く場はここだ。

(病院だ)

この人の行く場はあっちだ、こっちだ。


(違うプロの場所にお譲りするとか
あるいは、
カウンセリングだなとか)



この行き場を
見極める目を自分なりに鍛えてきた。



そして、今日も、そんな見極めをしながら

根本治療に向かう一手になるべく施そうと、

そして、

これが使命だと

やり甲斐をもって働いている。




そして、

このやり甲斐をもっっっとバネにして

これからは

一人では乗り越えられないときや

乗り越える力が弱っているときに

もっともっと病院に行き着く手前で

救済できる安心安全な場をつくりたい。



そして、

外科も内科も遠回りして

やっと行き着いたコーチング

私にピッタリな場なんだと思ってる。



4月から本格始動していきたいと思いつつ、

未来がどうなるかは誰も分からないし

本当に変わっていくものだから、

宣言みたいには言わないけど、

今はそうゆう感じ。




少しずつ動き出していくよ。



⚠️

この言語化も、左脳からであることは、

身をもって承知してます、、、。


end.

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