末期癌患者の肉は美味い

 飲みに行かないかと同僚から誘われたが、今日はちょっと外せない用事があるからと断り、退社したその足で自宅近くのスーパーマーケットへ行った。
 店頭に積み上げられた買い物籠を手に取り、入店。まずは野菜だ。にんじん、たまねぎ、パプリカ、しいたけ。脳内メモに記された食材を次々と籠に入れていく。
 今日は僕の母の四十六歳の誕生日だ。
 母の誕生日にはいつも、僕が住むアパートに母を招き、僕が母に手料理を振る舞う。このささやかだが大切なイベントは、僕が十九歳の時に第一回が催されたから、もう七年も続いている計算になる。
 手料理を振る舞うといっても、僕は難しい料理は作れない。ハンバーグとか、クリームシチューとか、アクアパッツァとか、せいぜいその程度だ。僕の腕前は母もよく知っているから、なにを作っても不平は口にしない。ケンちゃんがママのために料理を作ってくれるだけで、ママは満足よ。母はいつもそう言ってくれる。
 母は二十歳の時に僕を産んだ。小学校低学年の頃、参観日に訪れる美しい二十代の母は、僕の自慢の種だった。よく言えば若々しい感性の持ち主、悪く言えば精神年齢が幼いので、年の離れた姉のように感じることも頻繁にあった。四十を過ぎても、八十年代や九十年代に流行った懐メロではなく、僕よりも年下のアイドルが歌う最新のJポップを聴きながら家事をこなす母のことを、僕は世界で一番尊敬していた。
 野菜を買い終え、精肉コーナーに移動すると、ラジカセから珍妙な音楽が流れていた。

♪お肉を食べよう お肉を食べよう
 肉ばっか食って 癌を患おう
 人間誰もが 最後には死ぬし
 生きていたって いいことはない
 だから食べよう お肉を食べよう
 肉ばっか食って 癌を患おう

 今年は酢豚を作るつもりだった。酢豚に使うなら、やはり厚みのある肉がいい。トンカツ用の肉を探していると、

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 去年の六月にほんの冒頭だけ書いて放置した『末期癌患者の肉は美味い』というタイトルの小説です。
 近親相姦とカニバリズムを題材にした短編をプロットを立てずに書いてみよう、という意図をもって書き始めたのですが、テーマの重さに押し潰されて筆を投げた、という形になってしまいました。
 途中で出てきた料理名三つは、作るのは簡単ではないが難しすぎるわけでもない、と個人的に思っているものを挙げたのですが、私は三つとも作ったことがないので、実際にどうなのかは分かりません。アクアパッツァに至っては食べたこともないです。
 この手の没作品は山のようにあるので、今後も気が向いたら公開していきたいと思います。

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