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○○らしさっていう呪いのことば

僕はデザイン業の他に、ブラジリアン柔術の道場も経営しています。
夜な夜な色んな方が寝技に特化した格闘技を練習しています。
で、キッズも練習しているのですがたまに感じることがあります。

呪いのことば。
練習中は楽しく自由に動けてるんですが、親が観にくる、もしくは親と話している、なんて時に対応がころっと変わる子がいます。
もっと普段はハキハキできてるのに。もっと普段自分の考え言うのに。
なんとこと、よく見かけます。
これってなぜなんだろうってよく考えるのですが、たぶん「親の望む、子ども像に自分でなろうとしている」ってことが大きいんじゃないかなと思います。優しいんでしょう。子どもも。
「うちの子は、これ苦手そうなのに」とか「うちの子は大人しいから」とか。
道場ではそんなことないんですよね。しっかり動けてるし、自分で色々やってるし。でも、親が来ると、親の望む「あまりできない」自分を演じてるように思います。
親が望む「子どもっぽい自分」を壊してあげたくないんだろうな。
そういう子は、どうしても消極的になりがちです。
親の期待を壊したくないのかもしれません。道場でできることは、自信をつけさせてあげることなのかな。

問題をデザインで解決していくのか。
デザインするために問題を作るのか。


デザインでも同じような呪いのことば、多いです。
電車の広告も「英語がしゃべれないあなた!」「髪が薄くなったあなた!」「体が臭いあなた!」など、生きててすいません…と思わざるを得ない、あなたが悪いよ!ってな広告…多いです。
地方では。商品のウリやストーリーを説明するのにも呪いのことば、多い気がします。
「こんなに何もない土地なのに」「こんなに年寄りががんばったのに」等々。商品のストーリーが、「自分たちはどんだけ大変か」が多いんですよね。もうちょっとシンプルにかっこいいもの、きれいなもの、楽しいもの。でもいいと思うんだよなぁ。

デザインは問題解決…といわれて久しく。時間は流れて、問題を探して探して、デザインで解決!なんてことになっているのではないのかな。

問題をデザインで解決していくのか。
デザインするために問題を作るのか。

地方で行政とデザインに関わると、そんなことを考える時も多いです。

感情で行動をつくる


地域デザインを行ったとき。
シンプルに、気持ちのよいデザインを心がけました。
でも、一部では「宮崎なんだから、もうちょっと温かみを」「名物とかひなたとか方言を使ったキャッチコピーを」とか。まぁ要は「もうちょっとかっこ悪いデザインの方が宮崎っぽくないですか?」っていう、呪いのことば。

シンプルでかっこつけてるデザイン=伝わる人にしか伝わらないデザイン。
野暮ったいデザイン=情報が多く、みんなに伝わるデザイン。

こんな認識なのかもしれません。
でも、情報は「データや説明」だけではありません。

なんか気持ちよさそうだから、行ってみよう。
なんか楽しそうだから、見てみよう。

こういった、「感情で行動をつくる」こともデザインだと思うんですよね。

宮崎なんだから、宮崎っぽいデザインを。
地方なんだから、わかりやすく。

そんな呪いのことばに負けずに、かっこいいの、気持ちよいのが大好きです。ってなデザインをもっともっと宮崎でもやっていけたらな。

クライアントでもある「親」も、もっとクリエイターを信用してあげましょうね。


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