脱デザイナーとキックが得意な力士
しばらくnoteを書く時間が空いてしまいました。
持って産まれた面倒くさがりと仕事とゲームとXboxとゲームと柔術とゲームに追われて充実している毎日。よくないですね。クリアしたゲームは増えましたが。
ここ最近の自分のお仕事としては、以前にも増してエリアの開発や方向性に関わるお仕事が増えてきました。青島のこどもの国に徐々にオープンしていく、AOSHIMA PICNIK CLUBのデザインなどだったり、街中の大小色々な開発に顔出したり。
デザイナーとしての視点だけで無く、街中のプレイヤーとして、参加者として、反対者として。色々な視点でちょっとずつかかわっておりますです。
はい。
デザインと脱デザイナー
デザイナーという肩書きで狭まる自分の特性
ここ数年、自分のお仕事の内容は変わっていないのですが「デザイナー」と呼ばれてお仕事をするときに、どうにもなにか居心地の悪い気持ち…合わない背広を着ているような…呼ばれていないパーティーに来てしまったような…まぁ要はとにかく「デザイナー」という肩書きが邪魔だなと感じるコトが多かったのです。
じゃあ、デザインの仕事をしなくなったからなの?
というとそういうことではありません。デザインという専門性を武器にお仕事をしていますが、最近はデザインという足場を超えた色々な視点からお客さんに提案をし、改善をし、プロジェクトを進めていく…そんな仕事の流れが多くなったのです。
自分の存在意義はもちろん「デザイン」のできる「デザイナー」ではあります。ただ、自分が色々な経験値を得て、知見を得て、成果も得て。
そういった視点から見るコトが「デザイナー」としての「モノを作る」という視点だけでいいのか?
自分の経験値から得た、モノを作って売るという視点以上の提案を出来るようになった、出来ているのかな?提案をしたいな!という想いがどんどん大きくなったのです。
と同時に、自分に求められることも「デザイナー視点」以外のコトも大きくなっていきました。
何を作るのか
だけじゃなく
何を作る必要がないか。
深く自分と仕事で関わってくれたかた達とは、「脱デザイナー視点」として、デザインの話をしないPROJECTもありがたいことに増えてきまして。
デザイナー視点では、作ることで成果を出し、結果を出さなければいけないこともあります。でも脱デザイナー視点としては、これを作る必要があるのか?なんのために作るのか?
もうちょっと基礎の部分に立ち返った提案で深い議論が出来ました。
それは商品のデザインのことを考えるだけで無く、商品の製造個数であったり、損益分岐点の確認であったり。なぜこういったデザインに、もしくはデザインと呼ばれる装飾が必要なのかどうかの話が多く出来たことは自分にとってもとても良い結果になっています。
デザインしないためのデザイン
例えばですけど。
山奥で作った野菜ジュース。
これを東京で10000本売ろうと思ったら、山奥の様子や田舎っぽさ。素材、作り手。こんな要素を入れつつパッケージのデザインとして考えていくんですよね?デザインの授業なんてのも、ほぼこんな感じの気がします。
でも、これが10本しか作れないとなったらどうでしょう?
パッケージやラベルの提案が10本になったらどう変わると思います?
僕だったら、パッケージもラベルも作らず、野菜ごと持ってきて、その場で絞って。10本しか作れないんだから、10人しか体験出来ない。そんな「情報」を伝えると思います。
その時に、山奥のイラストであったり、生産者の顔だったり。
そんな「デザイン」は必要でしょうか?ぼくはNoだと思っています。
エリアを作ることや街の取り組みにおいて、東京や首都圏の成功例を参考にしたり、事例を持ってこられることは多いです。
ですが、僕が街のデザイナーとして、商店街会長として、エリアの開発サポートとして。自分の肌感覚で「これは合わねーな」と言うことも多くあります。
それは東京と宮崎はちがうよね〜人も違うしね〜なんて問題以外に、上記のどのくらい売るのか?の問題が多く関わっていると思っています。
都市型と地方型のデザイン指向の差。PROJECTのゴールに必要な人数の差でもあると思います。少ない人数なんだから、体験させた方が良いって話。
地方では「脱デザイナー」してしまって、デザイン以外の視点から多角的に関わる方が良い。関わるしかない、んだよね。と思っています。良くも悪くも。多角的ってちょっと使いたい言葉でした。あまり使い慣れていません。
「デザイナー」という専門職でありながらも「デザイン」はいらないという視点を持つこと。脱デザイナー視点です。
デザイナー同士の交流の場での、デザイナー視点と脱デザイナー視点
話はそれまして。
最近、若手デザイナーのかたから相談を受けまして。自分たちが社会でクリエイターとして仕事をし出したけれど、宮崎くらいの規模では同じ経験年数や業種で集まったり話したりすることが少なく、不安なんです。と。
確かに首都圏規模だと同じ会社にデザイナーが何人もとか多いですけど、宮崎だと…すっごい少ないですよね。入ったばっかりで、すぐ色々任されたり。不安だと思います。
でですね。『CROSS HUB』といって、若いクリエイターさんたちの交流会を行っています。ライトニングトークしたりなんか色々お話ししたり。
その中で、僕ともうひとりデザイナーさんとで、若手デザイナーさんの質問をばしばしっと答えていく…なんてことをやりました。
この目的として、先輩デザイナーが答えを出す…コトが重要だとは全く思っていません。むしろ、2年目でも25年目でも同じ悩みを持ち同じデザインで悩んでいる。そんな部分を隠さず、上からでなく。正直に話しているつもりです。
ここでも話すことは「デザイナー視点」と「脱デザイナー視点」です。
デザイン視点は2年目も25年目もそんなに変わらないと思っています。問題に対して、答えを出す速さとイラレやフォトショップの使う速さ。それくらいしか変わらないんじゃないかな。
僕がアドバイスできるのは、デザイナーやりながら培ったデザイナー以外の視点。デザインってどうにも小さくまとまってしまうとこあると思うんですよ。規定演技みたいなモノがあって、その規定演技を超えれば良い。それっぽく見えるためにどうするか…そんなハードルを超えるためのデザインのお話しは、僕は苦手です。そんなことより、一般の消費者として。
デザインというモノに理解がない人にも、かっこいい!かわいい!素敵だ!楽しそう!という初期衝動に近いデザインの考え方。
僕の中で「デザイナーが好むデザイン」と初期衝動で感情を動かされるデザインが違うのでは…という感覚が大きくなっています。
デザイナー視点以外から、デザイナー同士の交流を提供して、より多角的な視点をみんなで共有したいなと思っています。実用的に。
2回目ももうすぐなので、興味ある方はぜひぜひに。
「デザイナーが好むデザイン」と初期衝動は、長くなるので次回に書きたいと思っています。
脱デザイナーしよう
話は戻って。
なんで脱デザイナーするの。
先日、九州の某デザイン協会の会長さんが、宮崎のデザインチームとの会合で宮崎にいらして。僕は「自分がデザイナーでいいのかな?」という疑問を持ちつつ、そういった集まりに行くのは違うのかなという思いで、家でゲームしてたりしたのですが。
翌日朝から、会いたいよ!というラブコールをもらいまして。うどん食べたり、青島行って海見たり。でも、その時に色々アドバイスもらいました。
そのかたも同じように、デザインの領域の話をしていて。
自分の役割が拡大していくなら、デザインという肩書きで来る仕事でミスマッチが起こってくる、と。僕もそう思います。
ただ、自分のなかでもデザイナーという肩書きがないと、依頼する人が理解しにくいのでは?だったり、同じデザイナーという界隈からホントに外れていくんじゃないかな…という不安もあったり。
でも、「もう、オサム君は外れてるでしょ?」というアドバイスで気が楽になりました。外れているんだった。そうなの?そっか。
不自由なこと多かったんですよね。
エリアデザインの中で呼ばれたときの「デザイナー」という肩書きによって「何を作ったのか?」以外の視点から話すこと・聞かれないことの不自由さ。
デザイナーとしての立場での「もっと○○することがデザイナーなんじゃないの?」という製作物のクオリティの話。
なんていうか、キックが得意になってしまった相撲取りのような。
でも、同じ相撲取りからは「力士がキック上手くてどうするの?」ということにもなるだろうしさ〜。
「相撲取り」という肩書きがあるために、相撲を見に来た人からはキックが上手い力士なんて興味ないだろうし。あんた相撲取りなんじゃないの?って依頼だしね。
人を面白がらせたい。
びっくりさせるコトがしたいんだと思います。
そのためには、力士でもキックを使いたいし、寝技にも持ち込みたい。
正しい相撲が取りたいわけでは…無いんです。僕に依頼をする人にも、同じ同業者にも迷惑かけないためにもですね。
そんなデザインをするために、脱デザイナーしなきゃ。
僕の愚痴を同業者のウフラボ平野さんに相談しました。
平野さんも「とっととデザイナーという肩書きを捨てた方が良い!デザイナーなんていってるから、ダメなのよ!このグズ野郎!」と後半は妄想ですが、そんなことを言っていたと思います。
そして僕に新しい役職
街の視点研究家
という肩書きをくれました。
なんていうのか、ブルースブラザーズの教会のシーンのような。レオンでゲーリーオールドマンが入ってくるときのような。
視界がぱーっと開けて、気持ちが楽になっていきました。ハレルヤも後ろで流れていたと思います。小さい天使かなんかも飛んでいました。翔んで。
ということで
街の視点研究家 後藤修
です。
デザイナーの特性を活かしつつも、色々な街の視点から魅力的なアイデアや成果物を産みだしていくこと。青果物も生み出すかもしれません。
僕がこれから、ちょっと関わる街とエリアとデザインと。
そしていまからデザインを好きになる人たちに向けての、脱デザイナーの可能性を魅せていくことが出来たらな、と思います。見せたいな。