見出し画像

母ちゃんのがん見つけたらこんな気持ちになったという話

心臓が口から溢れ出し
抜き取られた背骨の跡に
冷たい何かが流れてく

背中の皮膚の表面にあたる
服の繊維一本一本を感じるくらい
神経は鋭くなっていた

母ちゃんが大腸がんだって
お医者さんに告げられた瞬間の
ボクの感覚はそんな感じ。

母ちゃんあと 17日で
78歳を迎えるタイミングだった。

大腸がんと告げられた後は、もう、
ぐる…グル…guru…倶留…
と回る黒い渦に引きずりこまれる。

あかんしっかりしないと、
先生の話聞かないとって、
なんとか渦から這い出して、

遠くで先生の話を聞きながら、
わかったようにうなずいてた
記憶だけが残ってる。

さかのぼること2日前。

お墓参り行かなくちゃと、
ボクは半年ぶりに奈良の山奥にある
実家へ帰省した。

で、実家に着くと母ちゃん出迎えてくれて、
いつもどおり「おかえり」と
迎えてくれる母ちゃん見てこう思った。

「バリ痩せてんじゃん」

母ちゃん若い頃から体格がよくて
時々ダイエットしてはシュッとしたやろ?と
ドヤ顔で言ってきてたことあるんだけれど、
それとは様子が違う。

シュッとじゃなくガリっとしてるぞと。
で、母ちゃんに聞いた。
痩せてないか?と

母ちゃんとぼけた顔で
そうか?と言けれど、
あきらかに腕や首周りが
ガリレオガリレイ。

大丈夫?
まあ大丈夫や
ほんまに?

そんな親子ラリーの後、
「ベンが出にくいのよ」
と母ちゃんおっしゃった。

今年の4月からと言うが違う。
絶対もっと前からやと思ったので
詰めたら1年前ほど前からとゲロった。

義理の父が大腸がんで、
その時も1年以上前から自覚症状あったと、
後になって告白あって、もうデジャヴ。

隠してた人あるある
なんだと思うけれど、

怒られると思うのか、
おかしいと感じてた期間
短めに言う傾向あって、

多分、もっと前から
異変察知してたと思う。

で、ベン出にくいということで
お義父さんのこともあって
もしかしてと頭をよぎったんだけど、

大きな病気したことなく
元気いっぱいファイト一発
そんな母ちゃんだから

「まあ腸が荒れてるんだろう」
くらいに思ったんだけど
ベン出ないのはつらいやん?

だからベン出るようにしてあげたいし、
万が一もあるから2日後に病院行ってみよう
と約束して実家あとにした。

母ちゃんいつもどおり、
ボクの運転する車見えなくなるまで
見送ってくれた。

が、家に着いたあと、
お墓参り忘れたことに気が付いて
母ちゃんのせいだと思った。

で、その2日後に
検査してもらったわけだが、

検査中、母ちゃんはお医者さんに
「わたしがんでっしゃろ」
的なことちょいちょい言う。

いらんこと言わんでええねんと
心の中で突っ込んでたわけだが、
結果的に、そのがんでっしゃろやった。

で、ボクの偏見でしかないけど、
病院など行くものかと思ってた人は、
ここで言わないと損すると思うのか、

ひとたび診察してもらい始めたら
あれもこれもあると症状を訴える。

で「下腹部触ったらがんがある」
などとプロに向かってドヤ顔で
説明するのだけれど、

結果的にそれは母ちゃんの便であり
詭弁だった。

で、お医者さんと話してくうち
色んなことわかってきた。

自治体でやってくれてる無料な検査含めて、
検査という検査をぜんぜん前世から
受けてなかったこと。

ベンが出にくくなった後も
「食べたものはすべて身になっている」
などと笑えない冗談でごまかしてたこと。

近所の他人様からもらった
便秘薬ほおばってたこと。

だましだましのさだまさしで、
この一年しのいでたこと。

怒りというか、憤りというか、
なんでなん?というか、
悔しいというか、悲しいというか、

もう心の中がドロンドロンの
アランドロンで黒い渦がグルグル回る。

で、お医者さんが
「急ぎカメラを挿れて検査します」
って言うてくれて、

予約いっぱいにもかかわらず
ねじ込んでくれて、
すぐ検査してもらえることになって、

お医者さんが神様に見えて、
「本当に本当に母ちゃんをお願いします」
と心の中で手を合わせながら
診察室を出て会計の順番を待った。

で、待ってる間、
しっかりしなきゃと思うんだけど、
気持ちが穴の開いた浮き輪になっちゃって
シューッと力が抜けていく。

ボクの不織布マスクは
涙と鼻水でグショングションになって、
白いマスクが透明になってって。

割と大きな体のボクだけど、
大男がわんわんと泣けないので
ミュートにして無音で泣いた。

母ちゃんの背中さすると
「大丈夫、大丈夫」と
逆に母ちゃんに励まされる。

母ちゃん開き直ってるのか、
大男があまりに泣くからなのか、
「まあ頑張るわ」と
言うてくれるのはいいんだけれど、

息子のこちらサイドからすれば、
もっと前に頑張らんかい!
もっと早く言わんかい!
と突っ込みどころの宝石箱で、

その箱の中をもっとちゃんと
見ててあげれたらと思うとまた泣けてきた。

で、そんなこんなで、
大腸がんを小脇に抱えた母ちゃんと
大泣きの大男が病院出たのは
16時過ぎてたような。

二人とも朝から何も食べてなかったから、
ザアザアの夕立ちの中、
スーパーで弁当を買って帰った。

ドドーンと重たい事実を
受け止めるのに精いっぱいで、
どんな弁当買ったのか
覚えてないんだけれど、

弁当の味は自分史上
最高に不味かった。

不味い理由なのだが
母ちゃんが大腸がんだったからなのか、
揚げ物がパサパサだったからなのか、
たぶん後者だと思う。

これからあのスーパーの
弁当買わないと誓ったとき、
夕立すっかり止んでいて、

母ちゃんの大腸がんも
この天気みたいに
すっかり良くなりますようにって
心の中で手を合わせました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?