父と僕

特に何もない日曜日、僕はダラダラと雑誌を読んだり本を読んだり、錆びつき始めた弦がなんともイマイチな音を出すギターをじゃーんと弾いて、寝っ転がってyoutubeやインスタなんかを見て過ごす。人生で最も無駄な時間を過ごしているように思える日曜日だが、時折父と僕しかいない時がある。今回はそのことについて、漠然と思っていたことを文にしてみようと思った。

日曜の昼ごろ、母や妹が出かけている時、僕は父と二人きりで家にいることがある。僕が出かけている時は、ご飯の用意を済ませなくていいから、朝早くに父が「今日は出かける?」と聞いてくる。出かけない時は大抵、ラーメン食べたいという。インスタントの生麺だ。父はちゃんとリクエストに答えてくれて、ラーメンを作ってくれる。昼が出来上がると、「めしー」と声が聞こえるから、階段を降りて行く。下にはいい匂いが立ち込めている。具材は大体もやしか、何も入っていなくて、大ボリュームだ。僕はこういうのが、昼飯には一番嬉しい。そしてなんだか無性に美味いのだ。

そして僕は父とテーブルを挟んであい向かいになる。いつもはほとんど喋らないけれど(別に仲が悪いわけじゃない)、何故だかご飯を食べながらの、こういう時には父には何でも話せるような気がして、思ったことをごく自然に言葉にして父に告げる。僕は大抵、話す時にものすごく考えて言葉を選ぶ、頭の中でどもる、吃音であると言ってもいいかもしれない(谷川俊太郎が「ひとり暮らし」という書籍で述べていた言葉が発せられるまでの、頭の中での「どもり」の話が結構しっくりきて、こういう表現を頂いた)。けれど、父の前ではそれが無い。ぶっきらぼうに彼が好きな政治の話や、普通の日常の中でふと疑問に思ったこと、考えたことを言ってみる。父は色々返してくれる。僕も返す。お互い結構頑固だから、割とちゃんとした議論になってくる。ラーメンをひと啜りしては喋り、喋っては啜る。寝ていた猫がこの議論を見てやってきて、ラーメンの腕のそばでフラフラする。僕や父は猫のアゴや耳の後ろをかきながらも、議論に熱中する。満腹になる頃には議論も下火になり、腹も心もすっかり満足して、「ごちそうさま」と言う。皿置いといていいよと言われるから、こういう時は父に甘える。僕が父になったら、何の見返りも考えずこんな言葉をかけられるだろうか。「自分でやれよ」と思うか。それは分からない。

そんな父はもう今年の8月で50歳になる。僕は何故か彼が40歳になる手前、37や38歳の時に「毎年37やら38歳って言ってるな」と思っていた記憶があるけれど、いつの間にか12、3年の時が経ってしまった。僕はもうあっという間に22歳になり、父は50歳になる。時の重さには逆えず、彼の顔のシワもすっかり深くなり、最近余計に老け込んだ気がする。

僕は父を見るといつも悲しい気持ちになる。彼は幸せなのだろうか?と。たいした趣味を持たず、日夜働きづめの毎日。息子は生意気で、口ばかりでまだ働いてもいないガキンチョ。見返りも大してない。そして自分は50歳になる。でもそんな父の姿を見ていても、僕は何故だか自分の子供を育ててみたいと思う。それは、僕はただ二人でラーメンをすするその時間に、言いようも無い幸せを感じていて、僕に出来るであろう子供にも、それを味わって欲しい、という理由からくる思いなのかもしれない。とにかく父とただ共に過ごすのは幸せなのだと、ふと思う。そしてそういう幸せをいつか誰かに、自然に分けたい。そう思っているのかもしれない。

今年はあっという間に夏が来て、そして夏に父の誕生日が毎年やってくる。夏の暑い季節に生まれるとは、どんな気持ちだろうか。僕は5月の下旬に生まれて、その季節が大好きだ。初夏の緑と、気持ちの良い風、雲ひとつない快晴がいつもそこでは待っている。父は自分の生まれる季節をどう思っているだろうか。聞きたいことはたくさんある。彼が生きている間に、残して置いてもらうべきことはたくさんあるように思う。彼の青春、彼の信念、父という存在。

僕は一度も彼に誕生日プレゼントをあげたことがない。今年は50歳だし、何だかあげる気になってきた。これと言った趣味もない父に、何をあげたら喜んでくれるかは分からないけれど、それを考えると少しワクワクしたし、涙が出そうになった。誕生日の朝、ちょこんと机の上にプレゼントを置いておいて、手紙でも添えておこうか。少し照れ臭くて「プレゼントありがとう」とぼそっとしか言えない父の姿が、ありありと目に浮かぶ。


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