前フリと意気込みの微々たる違い
2022年1月某日。晴れ。5℃。
フッてオトす。フラグが立って回収されていく。漫画や漫才だけでなく、そのへんの日常会話でもよく目にする光景。
「要は、○○すりゃいいんでしょ?」
「絶対に△△できる!」
「なんで◇◇をしちゃうかなあ。。。」
先輩や上司、同期のこういうセリフはだいたい悪い意味でのフリになる。経験上、9:1かそれ以上の割合で。なぜか○○でミスって、哀しいかな△△できなくて、やっぱり◇◇してしまう。だから大きなことは言いたくなかったし、人の揚げ足を取るのが好きじゃないし、あんまり人にモノを言わないように努めてたし、そもそもそんなことを言える肝も据わっていなかった。
でも、ミソは経験上ってところ。本当にそういう経験を多くしてきたか、と問われれば、わからない。そういう記憶だけが強く脳みそに焼き付いている、のかもしれない。そういう風に記憶を改竄している、んだと思う。
きっと意気込みも前フリも抱負もビッグマウスもフラグも、全部同んなじようなモノ。結果によって呼び方が変わるだけ。で、どこ時点での結果を採用するかでも変わり得る。1時間後にはただの口だけ野郎に過ぎなくても、10年後には有言実行マンにだってなれる。努力次第で、だろうけど。
最近は、そんなこと気にせずに、振りたいようにバットを振っちゃえって思えるようになってきた。多分そういう人が割と近くにいて、好きな人がそんな生き方をしてて。そっちの方がロマンも夢も魅力もあるように思えてきた。
人生は、ホームランか、もしくは空振り三振でいいんじゃなかろうか。茂野吾郎みたいだけど。
自戒の意も込めてだが、空振り三振っていう名のセーフティネットを敷いたうえで、強振しにいくことはダサいし、絶対にやっちゃいかんと思う。マジでこれはフリじゃない。それならこれまで通りの方がまだいい。それでコケても面白くもなんともないし、どんどん器が小さくなって、ますます性根が曲がっていくだけ。
そういえば体育会にいた頃も、「大きく強く、まずは歪でもいいから大きな円を描け」と耳に胼胝ができるほど言われてきた。そうか。そういうことだったのか。
ホームランを狙うとなると、まずはバットを手に取って、そりゃ練習も必要だし、考えなきゃいけないし、休養も取らないとならない。失敗したらちゃんと落ち込むだろうし。
それも全部コミコミで、覚悟の上、自分の本心を言って、それに責任をもって、真摯に取り組んで、真っ直ぐ生きる。生きようや、っていう。