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発達障がいの当事者として伝えたいこと

 私はADHD(注意欠如多動症)の診断を受けていて、仕事に取り組むときなどはストラテラを服用して集中力を補っています。不注意の特性が強く、感情的になると多動性・衝動性が出ることもあります。
 また、診断を受けて1年ほど経った頃から、ASD(自閉スペクトラム症)の傾向が表に強く出ていることに気がつきました。今まで特定のものへ対する興味が沸かずにいた私が、仕事が好きになった途端、一切譲歩できなくなってしまうほどのこだわり性になったのです。

出典:国立障害者リハビリテーションセンターホームページ『発達障害とは』2024年12月17日


診断までの経緯

 学生の頃までは、発達に問題があると思われることはありませんでした。周りの人との違いに気づいたのは、社会人となり仕事をするようになってからです。

 まず目についたのは、とにかく物を落としていること。飲食店でホールのアルバイトをしていた私は「お皿をよく割るおっちょこちょいさん」という印象になっていました。店長に指摘されたのは、聞き返しが多いこと。相手の滑舌や声の大きさは関係なく、いきなり話しかけられると言っている内容がのみ込めずに「え?」となることが多いことに、初めて気づかされたのです。
 その頃の私は発達障がいというものをよく知りませんでした。どの職場に行っても、ミスが多いことに落ち込んだり、職場の人から冷たい対応をされたり、そのことにまた落ち込んだり。成長できない自分に嫌気が差していました。

 診断を受けるきっかけが訪れたのは、歯科助手になってからです。
 どれだけ真剣に、かつ慎重に仕事をしていても、ミスを防ぐことができませんでした。医療現場でのミスは、患者や自身の健康に害を与える可能性があります。すみませんでは済まされない事故を起こす前にどうにかしなければ……。そんな不安が常にありました。

 幸いしたのが、私を教育してくれた担当者がはっきり物申す性格だったことです。私がいつまでも仕事を完遂できないことに業を煮やしたその方は「変だよ。普通の人はそんなことにならない」と言い放ちました。決して親切な言い方ではなかったとは思いますが、その一言で私は、総合病院に予約して診断を受ける決意ができたのです。


当事者としてお伝えしたいこと

 現在私は歯科助手としてパート勤務をしています。今の職場の上司には、面接のときに発達障がいのことを伝えてあり、できるだけ得意分野での仕事をさせていただいています。周りのスタッフには伝えていません。勤務経験がある仕事だったこともあり、日常的には問題なく働くことができています。

 働くうえで、ずっと心の支えになってくれている言葉があります。
 それは飲食店でアルバイトをしていたころ。一通りの仕事を覚えた私に、店長は次に入る新人さんの教育を任せました。毎日ミスばかりの私になぜ新人教育を?と不安になって聞いたところ、店長はこう言いました。

『おしるこさんは誰よりもミスしてるから、誰よりもミスしない方法も知ってるでしょ。それを教えてあげて』

 欠点を誤魔化すことなく指摘する店長でしたが、それをマイナスに捉えず、むしろ愛嬌として認めてくれる方でした。そして、欠点を活かせる道を見つけてくれる方でした。
 今でも新人さんに新しい業務を教えるときは必ず、自分がどんなミスをして、それをどう防いでるか、セットで話すよう心がけています。ミスしてきた事実を恥と思うのではなく、ミスのおかげで成長できたんだと、ポジティブな伝え方ができるようになりました。

 私がここでお話したいのは、どのように自分自身を見つめ直し、理解して、受け入れられたかという経験談です。
 自分の特性を蔑んで「発達障がいのせいだ」と悲しむだけではなかなか前へは進めません。長所と短所の違いは、捉え方だけです。そして捉え方を決めるのは他人ではなく、自分自身です。
 発達障がいかどうかは関係なく、人それぞれ特性があり、その特性に対し「良い」と思う人も「悪い」と思う人も必ずいます。ならば、殺すも活かすも自分次第。活かせるならもうけものです。

心掛けたいこと

 参考に、愛読書から引用をさせていただきます。

あなたがどんなに「悪いあの人」について同意を求め、「かわいそうなわたし」を訴えようと、そしてそれを聞いてくれる人がいようと、一時のなぐさめにはなりえても、本質の解決にはつながらない。(中略)そう、われわれが語り合うべきは、まさにこの一点、「これからどうするか」なのです。

参考:岸見一郎 古賀史健『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』
(ダイヤモンド社,2016年2月,71~73ページ)

 この言葉を思い出して、ドキッとする瞬間があります。
 人は誰しも承認欲求をもっています。努力して承認を得ることは大変ですが、過去の不幸や苦労を主張して承認を得ることは容易く、意識していないと「私辛かったのよ」で場を誤魔化そうとしてしまいます。

 私も元々承認欲求が強く、必要とされなければそこにいる意味がないと思っていました。ネガティブ発言は理性でコントロールできるようになったものの、時々こどものおしるこさんが「わたしをみて」と表に出て泣きじゃくろうとします。
 
 そんなときは、喉まで出かかった言葉をのみ込んで「これからどうするか、これからどうするか……」と唱えてなだめています。
 こちらでお話するときも、正義感が先だって悲劇のヒーローを気取らないようにしたいのです。過去の出来事は、過程として事実をフラットに。熱い想いは、今と未来の希望に込めて。

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おしるこのつき
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