湘南乃風「純恋歌」考察 part.2
おしるこが考察する湘南乃風「純恋歌」。
前回はこの歌詞を要約し、皆様が共感する為の
ガイドラインとその解説をしました。
part.1はこちら
今回はサビの部分の考察。
非常に意味深な芳香を放つ一文を解き明かす。
ここの読み取り方次第でこの曲全体の意味が変わる、
まさにこの曲の核となる部分になりますので
特に慎重に進めて行きたいと思います。
ということで今回の目標は
この歌詞の裏に秘められた「深み」が何なのか、様々な観点から考えられる仮説をパズルのように他の歌詞と当てはめながら検証し、誰でも理解できるように分かりやすく解説していき、
最終的に皆様の完全なる理解を以って
「深いわぁ〜」
と言わせることです。
深いと言うには上っ面で満足しては駄目なんです。
ヨーグルトの蓋の裏舐め回すような執念を以って
文字通りこの一文の裏側を暴かなければなりません。
まあ暇な方はお付き合い下さいませ。
なお僕は基本的に並以下の教養なので
適当にwikiを漁りながら突き詰めた考察になります。
不十分な点も多いですが別にこれで儲けたり
卒業しようと思ってないので(社会人だし)
駄文としてお納めください。
あくまでも僕が自分なりに頑張って紐解いた
雑な考察ということでよろしくお願いします。
現役大学生な諸君はこの考察が
レポートの書き方の参考にでもなれば是幸い。
では早速サビの歌詞を要約したものを。
眼を閉じると無数の星と
その中で1番光る「お前」がいる
「俺」は目を閉じた状態で無数の星と「お前」を
視認もしくは観測していることになります。
そしてその中で一際「お前」が一番光っている。
この一文が今回追求していく「深み」。
あの手この手で全力で紐解いて行きましょう。
まず最初に取り上げるのは「星」。天文学。
とりあえず天文学の文献、テキスト(Wiki)から
・星がどうやって見えるのか
・星が何故光るのか
・星の光の強さの差異はどう生じるのか
以上3点について調べた。
大まかに砕いてそれぞれ説明します。
まず星がどうやって見えるのか、
これはざっくり言うと太陽光がその星に反射することによって見える。基本的に星を含む全ての物が見える原理は大体そんなもん。逆に物体が光を反射せず完全に透過したらアクリルにぶつかる動物みたいに視認できない。
次に星が何故光るのか、
結論から言うと星自体は光ってない。先述の通り当てられた光が反射しているだけである。詳しくは次。
次に星の光の強さについて、
基本的に天体の明るさは地球上から見た時の見かけの明るさであり、その距離に依存する。要するに天体の明るさの強弱は太陽と地球、その間にある星との距離で変わる。あと天体って基本バカデカいよね。なので先ほどのお星様が光ってるーとか言っちゃうあれ、仮に貴方がその星と同じサイズで同じ位置に居たら多分貴方もその辺の人達に光ってるように見られるから頑張ろうぜ。
さて、以上の点を踏まえた上で
サビの状況を改めて確認する。
「俺」は眼をとじている。
その状態で無数の星を視認している。
その中で「お前」が1番光っている。
まず眼を閉じている時点で見るもクソもねえじゃねえかというのは無しにして、とにかくその状態で無数の星を視認できる状態を考えなければならない。
星は太陽光を反射して光ってるので、それらを眼を閉じた状態でハッキリ捉えるには地球上にいては恐らく成り立たない。眼を閉じた状態で光を感じられる天体は恐らく太陽(の明るさ)ぐらい。もしこれが地球上での話で仮に「お前」が太陽を背にした状態で太陽より強い光を放ってる場合、地球は恐らくその熱で焦土と化しパスタどころでは無くなる。そしてそれ程「お前」が明るいとその他の星は見えない。
では彼らはどこにいるのか。
先述の通り星の光の強さには距離が関係するので、
現実的に考えると彼らは宇宙空間にいる。
これらを前提に、
「お前」が1番光る(より強く光を反射する)には
太陽 → 俺 → お前 → 星
という位置関係が1番しっくり来る。
夜空に愛の歌を響かせる点に置いても
十分な条件を満たしているのでは?
既に宇宙にいるのだから。
しかし、お前が一番光るには
「お前」のサイズも問題になってきます。
単純に「俺」の視界の半分以上を「お前」が占める距離感なら十分ですが、同時に無数の天体も視界に点在している必要があるので、やはりここは一般的な星空の中で「お前」が一番光っていると考えなければならないと思います。
となると「お前」は無数の星が散らばる宙の中で
「俺」に最も近い天体だと考えられます。
これが「お前」天体説となります。ご査収下さい。
ひとまずこれでサビの状況が説明つきます。
「お前」とは「俺」が目指す天体であり「俺」に最も近い位置に存在してる。これだと目を閉じた状態で無数の星を感じることは出来るし、その中で「お前」が一番光ることもできます。
しかしこの場合他の歌詞と辻褄が合わない。
というか急展開すぎる。
まず「お前」は大親友の彼女の連れであり
パスタを作り大富豪を嗜み笑い喧嘩して
最終的に化粧品を求めている。
さあ天体がこのような活動をするでしょうか。
やはり「俺」と「お前」は人間である前提で
考察しないといけないのでは?
残念ですがここは思い切ってお前天体説を捨て去り
彼らが地球上で活動する人類という前提で
サビの状況を満たす条件を新たに考えましょう。
これまでの流れでサビの状況が常識からかけ離れているのは明白で絶望的な条件の下考察することになりますが、実はこれを打ち破るヒントが私の知る限り一つだけあります。
それはまさに導き。瞑想と仏教です。
瞑想とは主に仏教徒が悟りを求めて行う行為で、現在では科学的に瞑想を繰り返すことにより神経回路網のスイッチがONになったりOFFになったりを繰り返し回路網が整えられること、それによりヨガの世界でシャクティと呼ばれる謎のエネルギーに触れることも(どうやったのかは知らないが)判明しています。
少し補足しますがこのシャクティと呼ばれるものは
「宇宙の生命力」とざっくり説明されています。
瞑想をする人それぞれが恐らく皆無意識的に
このシャクティに触れるのでしょう。知らんけど。
じゃあなんで人間がこのエネルギーを潜在的に持ち、触れることができるということに関して個人的な解釈を挟むと、元々宇宙空間に誕生した地球に生まれた一生命体である人間は原子という宇宙由来の遺伝子的なものを引き継いでる(共有してる)から、根っこは宇宙と繋がってるっぽいし瞑想やら何やらで頑張れば宇宙的な何かを感じることは出来そう。所謂集中力の向こう側的な、「ゾーンに入った」とか「トリップした」などが代表的かと。
とりあえず今回はこういう認識で進めます。
そして瞑想の目的は十人十色、多種多様ですが、一部ではまさに宇宙との繋がりを目的とすることもあります。
以上の点から「俺」が至った境地から察するに、
彼は瞑想を繰り返す中でその瞳の内に宇宙を得たと。
大貧民で負けてマジギレする点から精神鍛錬を目的とせず、まさに宇宙信仰、宇宙との繋がりを求めた瞑想であると考えられます。
すなわち「俺」という人物は仏教徒であり
そのレベルは軽く仏の域に達している。否、達した。
そしてそんな「俺」の瞳の内で一際強い輝きを放つ
「お前」とはどういう存在か。
恐らく「お前」は「俺」よりも位の高い仏であり
その身に仏像や仏画などで見られる後光を纏い
「俺」に向けて放っていると考えられます。
この後光とは修行の果てに悟りを得て高みに達したものが纏う所謂オーラを表したエフェクトという認識で十分。よって彼女は仏教徒達の目標、指標となる存在で、少なくとも既に仏の域に達した彼にとってより強い光を与えているので、彼よりも上の領域に居るような存在です。
そして彼らは文字通り仏なので既にこの世にいない。
そう、亡くなっているのだ。泣けるわ〜。
「んな無茶な」と思うかも知れないが
それまでの歌詞が修行前、生前の話だったのであれば非常に辻褄があう。人間としてパスタも食べれるしパチンコも打てる。
仮にこれを「純恋歌お経説」とするならば、この曲は未熟者の煩悩にまみれた日常を描きながらサビでは遂に仏となった二人の世界を描いていると考えることができる。
ということは、、
貴方がこの曲に共感する為にはそもそも仏教徒である必要があるわけだ。幸い宗派は示されていない。至急最寄りの寺に足を運びセカンドバッグを小脇に抱えた坊主に指南を仰いで下さい。
これを以って共感への第一歩が踏み出せます。
と思いきや、このまま仏教ソングとして纏めると
一つだけ大きな歪み、ズレが生じる。
冒頭の「パスタ」の存在である。
まさにチーズてんこ盛りの冷めたカルボナーラの如く、これまで澱みなく解明してきた考察に汚泥のように絡みつくズレ。
もう辞めていいかな。とりあえず説明する。
「俺」はパスタを与えられたことにより「お前」への恋心、信仰に目覚める。しかしこれはどちらかと言うとキリスト教でパンやワインを与える聖餐の儀式に酷似する。
聖餐の儀式とはざっくり言うとキリストの血と肉と見立てたパンとワインを信者が食し、己の内にキリストを宿し、神と一心同体となり晴れて貴方は立派な信者ですよーってする儀式。
仮にパスタがこの目的で与えられた場合、
「俺」の中でパスタは「お前」の血肉へと聖変化している。
そして歌詞にワインを飲んでいるような描写が無いので、パスタに赤ワインが使われている可能性もあります。もしそうだった場合、このパスタは家庭的に考えるとボロネーゼの可能性大。ということは「俺」はボロネーゼに含まれる赤ワインでベロ酔いし、大富豪でマジギレしていると考えられます。
なのでここでガイドラインを一部訂正致しますが
ボロネーゼを作ってもらって一目惚れした後
ベロ酔いした上で大貧民で負けてマジギレして下さい
順序としては、
一目惚れ→べろ酔い→マジギレ→ベタ惚れ
です。
私の早とちり大変失礼しました。
挽肉の準備も忘れないようにお願いします。
さて、この際パスタがボロネーゼだったという事実は見なかったことにして、パスタの件は聖体の拝領を歌って…謳歌していると考えると部分的とは言え泣ける程歌詞が入って来ます。家庭的な女とは聖母マリアの喩えだったのです。
ここまで考察して来て
仏教ソング説で終わりを迎えようとしたところに
カトリック説の片鱗がスリットからこんにちは。
正直お呼びじゃないぞ。引っ込め。
なんだろう、このマルチエンディング感。
完全に道中の行動選択でストーリーが変わるやつ。
なので私の考察はここで詰みました。
悔しいですがそろそろどうでも良くなってきたので、
とりあえずここまでで私が貴方達に残せるものは
「俺」はとりあえず仏教徒で
「お前」は仏教的にもカトリック的にも
なんか凄い神格的な存在と考えられ、
ボロネーゼで人を改心させられる。
ということ、それだけ。
最後に皆様、
私はこの曲の考察という爆弾処理に失敗した。
慎重にコードを切っていったつもりが、
パスタに絡まってしまうという失態を犯しました。
とは言え、飲み屋で語るには十分じゃないですか。
考察や解釈は人それぞれ。
この先は自己責任で、且つ貴方なりに解釈して、
その果てに解脱していただければ幸いです。
心残りが半端ではないですが、もう疲れたので。
私はこの辺で、お疲れ様でした。
おしるこが流した涙
貴方は笑えていますか
上がりまくる仮説が来た
後を継げるのは誰?
誰ー
だれー
ダレー…
チラッ チラッ
チラチラ チラチラ