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湘南乃風 純恋歌考察 補足

part.1 part.2 と続けてきました

湘南乃風「純恋歌」

ちょっと歌詞の確認が甘かったところが多く

※テキスト量増えて削ったのと勢いに任せただけ

これまでで触れてない部分に考察の余地があったので
今回は補足説明として書き起こします。

ということで今回は

ガイドラインの訂正新しい考察

を紹介していくので、本気で共感したい方と更なる深みに達したい方はご確認の程よろしくお願いします。


まず最初に「俺」が「お前」を抱きしめる場面。
「好きって言いてえ」という思いが溢れる前に
嬉しさのあまりスキップされていました。
それは柄にもなく

ですのでどうしてもこの曲に共感したいなら
嬉しさの余りスキップしてしまう様子が
柄にも無い人柄であることが求められます。

なので普通に嬉しい時スキップするよ〜って方は
この際とことん厳格なキャラになるように
当日までに人格を叩き直してください。

無事に人格が形成されたら二人で外にでて
まず「お前」の後ろでウキウキでスキップしながら
月が朧げであるかを確認し、「お前」を追い越しつつ
「お前」が月を見つめる様子を確認して
「守りたい女」と思って真顔で抱きしめてください。

ちなみに「守りたい女」と思えるのは
人生で一度きりです。
初めて思ったわけですから。二度目は無いです。

肝心なのはウキウキから真顔への切り替え。
初心者は練習しておくように。

次、喧嘩する前の件、普通の惚気と見過ごしてましたが気になる点があったので再確認していきます。

「俺」は「お前」から”なあ”と変なあだ名で呼ばれ
それに対し皆からバカップルと思われると
危惧している

僕が提唱する純恋歌お経説から考えると彼らは親密ではあるが「お前」の方が位は上のはずなので、バカップルと周りに思われるなど本来おこがましいはず。この一文に関して少なくともこの段階では「俺」が一方的に惚気ているだけだと思われます。

ということで上下関係がはっきりしており、常に一緒、側にいて”なあ”と呼べるような関係性が仏教の世界であるのかを探ってみた結果、これは恐らく帝釈天四天王に近い関係性では無いかと思います。

帝釈天(たいしゃくてん)とは須弥山(しゅみせん)という古代インドの世界観の中で中央にそびえる聖なる山の頂上にある忉利天(とうりてん)と呼ばれる場所に住むまさに天帝、天皇。インドではインドラのポジション。普通にです。そして四天王はその帝釈天に仕える守護神的な存在。文字通り4人いる。

で、この四天王のうち日本で多聞天と呼ばれる神がサンスクリット語でヴァイシュラヴァと言うみたいなので、多分これが「俺」、”なあ”だと思います。

位置関係的にも多聞天は帝釈天に対し斜め後ろのポジションなので、ウキウキでスキップしながら月を確認してすれ違いざまに相手の月を見つめる表情を見て真顔になって抱きしめ易いです。

なので「俺」は多聞天「お前」は帝釈天です。少なくともモチーフとして扱われています。
これで二人が何者か明らかになりましたね。
少なくとも事実上この2神です。

なので実はこの曲って仏教の神である多聞天と帝釈天に成ろうとする二人の男女の物語。


要するに神話です


次、喧嘩する件でパチンコ屋に逃げ込む件。こちらについて熟考を重ねてみましたが、「一方的に怒鳴りまくってる」という点から彼自身はまだまだ未熟ではあるが自分には非が無いと思っているはずなので、本来「逃げ込む」という後ろめたい言い回しをする必要は無いと思います。なのにここで「逃げ込む」と綴られているのは言い合いをした罪悪感ではなく、もっと違う問題がある、起きたと考えられます。

と言う前提で前後の歌詞を再確認したところ、何とこの喧嘩をした後から一切彼らが一緒にいる描写が無いんです。驚きですね。

パチ屋帰りに「会いに行くよ」と二人の思い出の場所を一人で寄り道し、思い出に殴られながらも結果二人が会った描写が無いんです。化粧品を持って「お前」に謝りに行ったはずなのに。これは一体何を示唆しているのか。

僕の導き出した仮説は

「俺」は喧嘩の最中勢い余って「お前」を殺めてしまった。そして「会いに行くよ」と言うのはまさにこれから成仏した「お前」の元、神の世界へ向かおうとしている。

やはり時間差はあれど二人は死んでいるわけです。

と言う事でまたパチンコの件を再確認すると、化粧品を手に謝りに行くのはせめて「お前」に死化粧を施した上でその遺体の前で懺悔することを指し、その後の流れは大切なものを失った事で遂に「目に見えないもの」という真理を手に入れた「俺」が、二人の出会った場所にて最期を迎えようとする描写なのではないでしょうか。

この「目に見えないもの」とは何か。
これこそまさに瞳の中に広がる宇宙です。
なんせ目閉じてるんだから。最早見ていない
ここで彼はこの境地に到達したんです。

そしてその中で一番光る「お前」とはまさに

悔恨の念の象徴と言えるでしょう。

彼が仏となるスタート地点でありゴールだと。

色々と全て見えてたつもりだと思っていたものは、
本来目では見えないものであったと。


色即是空
この世のあらゆる物事は空(くう)、虚しいと。


最愛の「お前」を殺めてようやく「俺」は悟りを開き、瞳の内に宇宙を得て神の領域へと一歩踏み出した。そして今すぐ会いに行くよと、二人だけの世界を望み最期を迎える訳です。

二人で生きていこうと、来世の話をしているんです。

もう一人では生きてけないと、限界なんです。

側にいて当たり前と思っていたと、もう側に居ない。

もう悲しませたりしないと、空に向け誓う。

下手くそな歌を一生隣で聞いてくれと、

厳密には斜め後ろですけど

あと3人ぐらい知らん人いるけど。


やはりこの曲は未熟な男と悟りを得た女の悲劇
悲しき神話であると考えられます。


と言う事でいい感じにまとまって来たので
最後に整理しながら歌詞をおさらいしていきます。


最初のサビはこれから仏教徒の愛と悲劇の物語を
説いていくよ〜っていう意味深な前振りですね。
初めてこの曲を聞く方はこの冒頭のフレーズで
あ、これは神話やな」と把握する仕掛けです。

大親友〜の件は起承転結の起。二人の馴れ初めです。
家庭的がタイプが幸いし神になる前の恋人に惚れる。

大貧民〜の件はまさに「俺」の未熟さと
「お前」の慈悲深い御心を説いている訳ですね。

真顔で抱きしめる件では「お前」が朧げな月に
本来自分の居るべき場所、神の領域を自覚します
それを知ってか知らずか、ウッキウキな「俺」は
空気も読まずに真顔になって抱きしめます。

それからずっと「お前」にへばり付いてる俺は
神になりつつある「お前」から恐らく無意識的
なあ」と呼ばれるようになり普通に照れます。
「俺」が落ち込む度に「お前」は神託を与え導き
「俺」はおこがましくもお似合いな二人と思い込み
そして遂にある日折り合いがつかなくなります。
それも当然です。二人の位、次元が違います。

おこがましくも一方的な思いを寄せる「俺」は激昂し
勢い余って「お前」を殺めてしまいます
神殺しという大罪を犯してしまった「俺」はパチンコ屋に逃げ込み時間を潰して平常心を取り戻し、せめて死化粧をと景品の化粧品を手に遺体の元へ向かう。

二人の出会った場所に向かう道中に彼は思い出に殴られたことにより悟りを開き、「目に見えないもの」、瞳の中に宇宙を得ます。

神の領域への切符を手にした彼は
懺悔と誓いの言葉を繰り返しながら
二人の思い出の地で最期を迎えます。


いや〜、深いわ〜

皆さんどうでしたか、ご理解いただけましたか?

大作と化した純恋歌考察、これを持って締めと致す。

お疲れ様でした。


「インテリチックにゴミみたいな文章を」 がモットーです。よろしくお願いします。