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老若日記-その5-「人生会議」が必要とはいうものの
【イントロダクション】
私は今年で53歳になるのだが、40歳から終活を始めている。
というのも40歳に思い病気を患い生死をさまよったからだ。
そこで巷でよく聞く終活を開始し、エンディングノートを作成してみた。
終活は割とスムーズに進み、エンディングノートも数週間で作成できた。
次は家族とエンディングノートを共有する「人生会議」が待っている。
【哲学的テーマ】
自分の死に関する願いを家族は聞いてくれるのか?
【出典】
ACP人生会議
「エンディングノートを書いたら、話し合って共有しよう」
https://www.med.kobe-u.ac.jp/jinsei/general_public/00007/index.html
40歳で重い病に遭遇し入院したが救急車で重病人が次々と運ばれてくる
生まれてから40歳くらいになるまで、私は大した病気にかかったことはなかった。
毎年会社で実施する健康診断でも肝臓以外おかしな数値が出たことはない。
しかし40歳になり突然、重い病気にかかってしまう。
病とは突然やってくるもので、病院での闘病生活を余儀なくされた。
ここから私の終活と人生会議のベースとなる生活が始まる。
病院で治療を受けている中、次々と救急車で似たような病気の人達が運ばれて来る。
それまで考えてもなかったが、こんなに救急車は活躍してるんだ、入院しつつも他人事のように感じた。
私はICUこそ入らなかったものの重病人であることに変わりはなく、相部屋に入ってくる人達を見て、この人も大変だなと思ったりした。
入院中の試練はそれからで、自分の死を身近に感じた
消灯時間にトイレで用を足したく部屋から出ようとすると、看護師さんから「今は部屋から出ないでください」と注意され、部屋に戻ることが何度かあった。
実は亡くなった入院患者を病院から搬出するためで、それを見せる訳にはいかない、という理由からだ。
相部屋の人から、「あの人だめだったみたいだよ」と聞かされ、さらに数日おきに看護師さんから部屋を出ることを禁じられることがあった。
どうも夜中に亡くなる人が多かったようだ。
こう次々と人が病気でだめになっていくのを見ていると、とても他人事とは思えず、自分もあっさり終わってしまうんだろうな、と「死」を身近に感じた。
それまで死というものに向き合ったこともなかったので、死はとても怖いなんて思ったりした。
周りの人たちを見て、人間所詮そんなものという、半ばあきらめの感情も芽生え始めた。
そのためなのか、今は所業無常感が常に心底にあり、死の恐怖を感じることもあまりない。
かっこいい言い方をすれば、自分の人生に特に未練はない。
火事場の馬鹿力でリハビリを頑張ったら3週間で退院できた
とはいえ、できれば早く家に帰りたい、退院したい一心でリハビリを一生懸命頑張った。
リハビリ仲間も驚きを隠せないようで、同病の方から「おお、良くなった」と声をかけられたりした。
変に真面目な性分でもあるので、リハビリではこの性格が役に立ったと思う。
結果的に、(自分で言うのも気が引けるが)驚異的な回復力でリハビリは成功し、3週間の入院生活に終止符を打った私は奇跡の退院を遂げた。
退院して家に帰れたが、早々に仕事は無理とのことで、さらに一か月自宅療養した。
しかし仕事中心の生活から自宅療養になると、一日がすごく暇である。
それまで休みが欲しいと思っていたが、外出する訳にもいかないので家で何かできないか考えてみた。
そうだ終活がある。
この病気で一度死んだも同じだから、終活をやってみよう。
そこで、終活をインターネットで調べたところ、終活アドバイザーの資格があることを知った。
終活アドバイザーの資格をとることを決意しエンディングノートを作成
通信教育の終活アドバイザー講座があり、早速受講してみた。
この資格を取得するには、受講期間中に終了し試験にあたるレポートを提出すれば大丈夫とのこと。
しかしレポートは簡単でなく、終活に関わるたくさんのことを勉強しなければならない。
家ですることもないし、やっぱり勉強は有意義だと、よくわからないモチベーションが働き無事資格を取得した。
自分の終活が目的なので、通信教育のテキストを復習しながら、講座に付属していたエンディングノートを作成した。
葬式は家族葬で一番安いプラン。
たくさん人に集まってもらうのも嫌だし、そうなると棺桶も一番安いもので十分。
この際だから生命保険も見直そう。
着るものも沢山あるから、整理して古着屋に売れるものは売ってしまおう。
やれることは、ほぼやったと自己満足気味でもある。
そもそも終活の知識は身についたので、割と難なく終活をまとめたエンディングノートまで作成できた。
エンディングノートをもとに家族会議をやってみたが思いのほか難航する
エンディングノートを作成したが、これって家族に知ってもらわないと意味がない。
そもそもエンディングノートの存在すら忘れているかもしれない。
最悪の場合、エンディングノートを棺桶に入れて一緒に火葬されてしまう可能性すらある。それでは何の意味もない。
そこでエンディングノートを元に、妻と家族会議をやってみた。
私は質素な葬儀を希望しており、家族葬で一番安いコースにするよう頼んでみた。
しかし、棺桶はもっと良いのにしたら、とか挙句の果てには、死亡保険の金額の話になりプチ夫婦喧嘩となってしまった。
結局、いろんなメディアで終活や家族会議を推奨しているが、自分の思っているほど簡単に話は進まないようだ。
しかも金の話は遺族のもめごとの原因になりそうだと感じた。
結局、終活を議題とする家族会議とは自分の思いを理解してもらうものではなく、遺族中心の話なのではないかと思っている。
家族会議を有意義に行うために
終活を行いエンディングノートを作成したら、家族会議を行って自分の最期を有意義なものにする。
理屈は簡単だが実際にやるとなると、周りの人達の感情が入り思うように話が進まない。
家族会議はゆっくり時間をかけて、周りの理解を得ながら行うのが良さそうだ。
家族の理解を得るまでまだ時間がかかりそうなので、そうそうくたばる訳にもいくまい。