老若日記-その8-私がリタイアして再就職し感じたこと
【 イントロダクション】
私は53歳で24年間勤務した会社を退職した。
妻はそもそも正社員、子供の手が離れ住宅ローンも完済した。
これから先はバイトと節約で、そうそう生活に困ることもないだろう。
妻は退職に反対せず、特に応援もしないというスタンスだ。
私は思い切って退職願を提出した。
会社の退職手続きはトントン拍子で進み、最終勤務日は大きな花束をもらい24年間の会社員生活に終止符を打った。退職金はさほど多くはないものの、それなりの額を手に入れた。しかし年金をもらうにはまだ早い。
最近はシニアのために国も再就職支援に取り組んでいるようだ。どうせ働かねばならないので、正社員は無理としてバイトが必要だ。
バイトだから楽勝!と思い再就職したものの、そこにはシニアならではの試練が待っていた。
【哲学的テーマ】
シニアの再就職に試練はないのか?
【 出典】
・職業安定局高齢・障害者雇用対策部高齢者雇用対策課
「高年齢者雇用の状況と制度概要」
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000034674.pdf
・厚生労働省
「高年齢者の雇用」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/jigyounushi/page09.html
53歳で会社員生活終了
私は令和元年7月31日に24年勤務した会社を退職した。
子どもの手が離れ住宅ローンも完済し、年号も平成から令和になり、そうだ、令和元年は何かの節目だ。
職場では次の世代が育っているし、会社員生活にピリオドを打って好きなことをしよう。
早々に退職を決意し、妻に退職の話をしたところ、特に反対していない。
しかし特別に応援もしない。
そもそも妻は正社員で働いているので、私が節約しバイトをすれば生活に困ることはないだろう。
会社の上司に退職を相談し事情を説明したところ、それなら引き留める訳にもいくまい、と何故かトントン拍子で話が進み、令和元年7月31日に会社で大きな花束とそんなに多くない退職金をもらい、53歳で私の会社員生活は終了した。
とはいえ年金をもらえる歳ではないので、何か仕事をしなければならない。
正社員でなくてもアルバイトでそこそこ稼げば十分だ。
53歳はシニアの類になるので、働ける環境は今までと違うはずだ。
我が国の高齢者雇用の状況
高年齢者雇用安定法では、「定年に定めがあるときは、その定年年齢は60歳以上とする必要がある」とのことだ。
私は53歳なので、法律上60歳まで働く環境があるはずだ。
それに年金支給の65歳までまだ12年、あと12年は頑張って働かねばならない。
しかしシニアが本当に働ける環境が整備されているのだろうか。
確かに最近は、求人サイトや求人誌ではシニア向け特集が企画されているのをよく見かける。やはりシニアの再就職は以前よりしやすくなっているはずだ。
再就職先を調べてみた
失業保険の手続きに職安に通いつつ、シニア向けの転職サイトにインターネットで登録してみた。職安で紹介する仕事は私には合わないと思ったので、スマホで再就職先を探すことにした。
転職サイトからは毎日メールが届く。届いたメールによると、清掃員、ドライバー、住み込みなどがあり、しかもスカウトと書いてある。
確かに給料は良いが、それらの仕事は他の人に託そう。
教育業界に再就職
求職サイトを検索すると、塾講師の募集が目についた。塾と家庭教師は学生の頃の実務経験があるので、おそらく大丈夫だろう。
早速応募したところ、面接の連絡が届いた。やっぱり大丈夫だ、早速面接に行こう。
シニアながらも決断と行動は我ながら早く、面接を受けに塾へ向かった。
面接で問われる内容は分かっているので無事終了。次は筆記試験だが何だか嫌な予感がする。
なんと数学の問題が解けない!
再就職試験の準備もろくにしなかったので、中学・高校の公式が思い出せない。
筆記試験では中学生レベルの問題は解けたが、高校生レベルは全滅だ。
解答を見た塾オーナーはスタートまでに復習して下さいとのこと。
その塾では人手不足なのか結局合格の知らせがあった。
塾講師を開始したが3週間で挫折
晴れて塾講師が決定し、塾よりスケジュールが届いた。
小学生と中学生を担当することになり、まあ大丈夫だろうと早速講義開始。
その塾ではオリジナルの教材があり解答もついている。何かあったら解答を見れば説明できる。
小学生と中学生の数学を教えることになったが、今時のこどもは学習のレベルが高い。しかも塾生は地元の有名進学校の精鋭だ。
講義中は、次々と質問が飛んでくる。解答を見てみると、答えだけ記載されているケースが多々あり、解き方が記載されてない。
それから数学の解き方を十分に教えることができない日々が続いた。
そして講義の時間帯も夜間なので、シニアの私は次の日には疲れが溜まっている。
しかも塾のオーナーから「十分に教えることができないと、父兄からクレームが来る」と言われていた。当然だ。
そんなプレッシャーにも負けてしまい、講師業の継続は困難となり開始後3週間で自ら退職の道を選んだ。
私がリタイアして再就職し感じたこと
若い頃と同じ仕事は、ほぼ無理だと感じた。20代の頃のように集中力が持たないし、体力的にも限界がある。会社から外に出て初めて気が付いた。
やっぱり私は良くも悪くもシニアなのだ。
国が高齢者雇用の政策を打ち出しても、私のように仕事に耐えられないことが、多々あるのではなかろうか。
長らく務めた会社を退職して、本当に働く受け皿があるのか、そして与えられた仕事をこなせるのか?沢山の疑問が湧いてくる。
良く考えてみると、会社の外を良く知らないまま53歳になったシニアの私がいた。