<小鳥の入院①>かいぬしの心理編【飛べないインコと同居している】
わたくし、飛べない鳥を飼っている。
あまり口外こそしていなかったが、うちの鳥(ビセイインコ)はなぜだか飛べなくなってしまった。彼女が飛翔という術を捨てて1年が経とうとしている。経緯と呼べるほどハッキリしたものはなく、医者に診せても「原因は不明」という形で経過観察をしているのだ。それでも元気に生活を送っていた。
しかし数日前に小鳥が体調を崩し、数日入院をしているのだ。毎日、空の鳥かごを眺めて、タスクを消化するほど虚しいものもそうそうない。
病状の詳細や役に立ちそうな情報、金銭面のやりくりなどはまた落ち着いてから更新したい。
まずは気持ちだ。いちかいぬしの当方の感情が、ジェットコースターのようにグワングワンと急上昇急降下をしているので、書くことによる精神安定剤の投与をしたい。そう言った意味での「おくすり」的雑記なので、読者諸君に至っては留意されたし。
「子離れ」ならぬ「鳥離れ」できぬ飼い主の心理
私が実家を出たのは18歳のときだった。両親との関係は至って平凡。特段悪いものではなく、単に家が狭く自身の部屋がないことと、東京という土地柄が少々息苦しく感じ、大学入学を期に家を出た。
ホームシックはほぼ皆無。むしろ独り立ちをして以来、親との関係は以前よりも良好になり、10年間は平凡に生活を謳歌している。
という前提を踏まえ、当初は親離れならぬ「子離れ」ができない親の話題が知人間でよく出たものだ。私は少々、いやかなり馬鹿にした感情を持ってして「子離れできねえ親ってなんだろう」と考えていたのだ。
しかし、当時の私が稚拙だったのだ、と今は思う。現に、私は入院してしまった小鳥のことを思い、ふと家事の合間や仕事の合間に、感情とは別の何かで涙をドバドバと流してしまうのだ。これを「小鳥離れ(ペット離れ)」できていないと呼ばずしてなんと呼ぼう。
昨日、小鳥と面会してきたが、彼女はいたって普通の様子で、いつものように紙をちぎって遊んでいた。(病状に関する詳細はまた別記事にて)
遊んでいる様子を眺め、声をかけ、しばらくぼーっと時間を過ごし、面会終了となった。
動物病院から出た瞬間に、堰を切ったように私の目から大量の涙がこぼれ落ちた。言葉にはできないほど、さみしかった。自分一人の身が頼りなく、まるで大海をビート板一つで横断する人間のように感じたのだ。
言ってしまえば、ひとつの依存なのだろう。しかも一方的な依存だ。
鳥はどこまで私のことを認識しているかわからない。むかし実家で同居していた文鳥は人見知りが激しく、家族と認識している人間にしか懐かない性格だったが、現在私と同居している鳥は分け隔て無く誰にでも懐く。その点において、彼女は私に依存している(……言葉が違うか? 彼女は私だと認識した上で接している)とは断定しがたい。が、私にとってこの鳥は他のどんな鳥にも代えがたい。代替など不可だ。
その点において、私は明らかにこの小鳥に依存しているのだろう。生き甲斐や生活のメリハリ、その他諸々を含めて。
だから、病院で面会終了となり鳥が病室に去って行ったとき、私の中の大切な何かを持ち去られた気がしたのだ。もう、かの小鳥は私の一部かのように。
しかし何かに依存している私を、私は好んでいない。昔からそうだ。だからこそ、子離れできない親=子に依存している親に対して、白い目で見てしまっていたし、反面教師としてできるだけそうしないように意識を向けてきた。
う〜ん、だがしかし。何かが変だぞ。
大切に思うこと、責任を持つことと依存。似ているが非なる。しかし意識をしないと、取り違えそうになるし、混濁する。
私は鳥に対して、大切に感じていて、それ以上に責任を感じている。そして元気にしている姿がなければ、無性に寂しく、悲しくなる。
……この気持ちは、どう咀嚼し、カテゴライズすれば良いのだろう。
これはもしかして来るかも知れない子育ての時代に備えて、今から頭の片隅で熟考する議題の一つに加え、日々思考の種にする。
「出会った事実を否定したい自分」と「肯定したい自分」が相撲をしている
まあよく陳腐な恋愛モノやヒューマンストーリー系である話だ。
離別や死別の直後はひどく悲しく、「出会いさえしなければこんな感情も…」と後悔するものだが、時間が経ち傷が癒えればその出会いも自分の一部だったのだと気づき、前向きに人生を捉えられるようになる。はいはい、ハッピーエンド。よかったね。
百万回もしてきた嘲笑だった。だが、先ほど「こんなに苦しい思いをするなら、私はやはり小鳥を飼うべきではなかったのか」とお皿を洗いながらおいおい泣いてしまった。
客観的に見ると冷めてしまうのだが、改めて自分の身の上で起こると、人間は本気でifものを想像し、後悔をするものなのだな。不思議だな。どうしても否定したくなってしまうカラクリがあるのかな。
しかし鳥との出会いを否定すると、それ以降の幸せだった生活をすべて否定することになる。すると「それはいやだ〜」ともう一人の自分がだだこねて暴れ出す。わがままだな。
つまり、「出会いを否定することで、別ルートを歩んでいた(この苦しみから逃れていた)ことにしたい自分」と「この苦しみvsこれまでの幸せな日々を戦わせて、どうにか幸せに勝利してもらいたい自分」がいるようだ。
それらが別人格のように感情の主導権を握っては、「はい、後悔で〜す。後悔してくださ〜い」やら「いやいや、肯定する力が大切! 楽しかったでしょ、ねっ、ねっ!?」としきりに話しかけてくる。あ〜、うるせえ〜! 静かに生活させてくれ〜〜!
鳥との生活に満たされていた。だから旅を辞めた。
これは結果論である。いつぞや感じていたような、知らぬ世界への果てなき渇望は薄れ、毎日定時に日の差す部屋を好み、淡々と定時に流れるニュースを心待ちするようになっていった。
学生時代から20代中盤まで、全身を満たしていた焦燥感と苦さは、小鳥が来た日から溶けてゆき、いつしか「ずっとここにいたい」という安定への望みがきつく結ばれたロープのように強固なものへとなった。
守るべき存在、守らねばならん温もりは、心理的な碇となっていたのだろうな。この場所に腰を据えることを促してくれたのかな。
朝日に白む部屋。小鳥の鳴き声。世話をすること。いつものマグカップでコーヒーを飲むこと。小鳥とひなたぼっこをする。仕事をする。
これだけで十分だったのだな。小鳥が教えてくれた。小鳥がそばにいる限り、私は毎日を歩き続けられる。未知なる世界への渇望がなくとも、とくとくと小さく鼓動し続けるこの子がいれば、平気なのだろう。
気づくきっかけは、だいたい喪失というイベントと紐付いているのが世の常。失ってからしか分からんよ、大切なものはさ。そういうものだから。
だから早く元気な声で鳴いてほしい。少しくらいあかぎれの皮をつついていいから、また楽しげな顔で肩の上に乗ってくれよ小鳥。そうでもないと、かいぬしはめそめそと雑記を書き続けてしまいそうだ。