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やっぱり映画って映画館でみるために作られてるな……〜雲の向こう、約束の場所を観た

過去エントリーで新海誠に性癖を歪められた話を書いたのですが

うっかり雲の向こう、約束の場所がリバイバル上映されることを知って、何とか時間を作って観に行かねば……と思っていました。
そんな中、仕事が突然ぽっかりあいた日ができてしまって、うっかり映画館の予定を調べたらお昼頃に上映している事に気づいてしまって、それなら、と映画館でみることにしました。
半休をとって、苦しむことがわかっている映画を映画館で観た、そんな記録です。

※ネタバレあります※

グラシネ、いつもお世話になっております。

映画館で観終わって、一番最初に思ったことは、タイトルにもなっている「映画ってやっぱり映画館でみるために作られてるんだな」でした。
爆発の音、しとしとと響く雨の音、絶望の無音……というありとあらゆる世界の音もだし、映像にこだわって細部まで命を宿した描写もふくめ、全てあの映画館というひとつの空間で味わうことでよさが何倍にも引き伸ばされ、心を締め付けてくるなと思いました。

特にそれを感じたのが、ヒロキとサユリが、サユリの転院後に東京の病室で手を取り合って「再会」するシーン。
新海誠って、こういう、切り離されたもう会えないはずの人たちを再会させる、とか、平行世界で新しい世界を作り出す、とか、「救済」がどのテーマにも横たわっていて、救われようが救われなかろうが、どの選択をしても結局後悔もするし安心もする、みたいなのが多いなと思うのですが、今作もそうしてもう会えないはずの2人を「再会」させ、幼い頃の夢を叶えようともう一度決意する大事なひとつの要素として描いていて。
印象的な救いとするために、それまでの2人をどこまでも孤独に描き、お互いを求めているさまを描き、ギリギリと胸を痛めつけ続け、これでもかとこちらを疲弊させたあと、色のない病室で2人が触れ合った瞬間、光の色が柔らかくなり、一瞬音が消えたと思ったらふんわりと喜びが滲むような音がなり、再会できた喜びを画面と音の全てで伝えてくる、あの数秒なのか数分なのか、分からないシーンが、どうしても美しくて、映画館で鳥肌が止まりませんでした。

新海誠の映画って、真綿で首を絞められるように、という表現が本当に似合うなと思っていて、少しずつ、私達の人生のどこかであったようななかったような記憶をみせられて、でも現実ではなくて、すごく苦しくて、新海誠の映画を映画館で観てるとよくなる「スクリーンから目を離して俯きたい」というくらいの苦しみをくれるなと思うんですよね
その苦しみを愛おしいと思えるのが、あの回りくどいセリフ回しと、寄り添って生きていると思わせられるキャラクターたちだなと思うので、毎回どのキャラクターも愛しくて友達のようで、でも友達でなくてよかったと思うのです。
今回も3人のキャラクターがそれぞれに生傷を抱えて生きているのを伝えてきて、本当によかったです。
運命共同体としてもうこのまま世界3人で滅ぼしなよ……とすら思いました

実際、オタクって「世界と愛する女ひとり、どちらを救うんだ?」が好きな生き物だと思うので(クソデカ主語)こういう話よすぎて震えるんだよな
タクヤはサユリだけを救うっていう選択が出来なくて、だからどちらも救えるよう研究してるけど、ヒロキはどうにもサユリをはやく救いたくて、そのためなら世界を壊してもいいと思っていそうで、とてもよい……
どちらの気持ちも分かるし、だからサユリはヒロキを信じ続けていたし、助けてくれたヒロキになにか伝えたかったと泣くのも凄くいい……
あとベラシーラが優雅に飛んでいる姿、美しすぎてよかったです。

あとは南北戦線とか、蝦夷を支配?しているユニオンがロシアっていうところとか(ロシア語を話していたっぽいので)、なんかリアルだな……と思いました。
ベラシーラも意図してなのか分からないけれどロシア語由来でしょうしね。
結社を組んでいた工場の岡部さんが左派っぽいのとかすごくリアルで、日本が本当に戦後アメリカとソ連で分断されていたらこうだったんだろうな……を感じました。

あと、前のエントリーでは「青森という土地がそうされるのもわかる寂れ方」のようなことを書いた記憶があるのですが、本当にそうだな……と思いました。
東北ってこうして忘れられがちで、こうやって目をこぼされがちで、だからこそ純粋で美しいなと思うのです。

あと最後の最後、北海道がほとんど平行世界に飲み込まれていてそこにいるはずの人の生活が……になりました。
北海道消しとんじゃった……

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