宣告から12日目:涙
父親が脳卒中で倒れ意識不明、全身が動かなくなってから12日が経過した。
今日は役所、神社、病院と母親と周り、一日中動いていた。
母親と前向きな話や量子力学の話、希望を持つ話を多くした。
神社は富士山2合目にある山神社へ行った。
とてもスピリチュアルなパワーが高く、澄んだ場所だ。
お参りをすると不思議と心が軽くなり眠気が襲ってくる。
母親はだいぶ疲れ切っていた。
それはそうだ。
いつ病院から連絡が来るかもわからないし、容態は最悪と言われている。
息は自分でできているが、物が食べれず意識が戻らないのだ。
病院ではありありと現実を知らされた。
そこには本当にただ現実があった。
信じようとしている現実ではなく、医者が語る現実。
病院が語る現実。
父は息はしているが、脳の機能が働いていないため、目はうつろで唾液は垂れ流し、手足は動かず、口から嗚咽のような唸り声を随時出していた。
ああ、これは本質ではないな。
そう思った。
そこにいるのはもはや父ではなかった。
肉体のずっしりとした重みが苦しく息をしているのだ。
父親の精神はどこかを旅しているのだろう。
これまで信じる力で絶対的にキセキを起こそうと考えていた私も
今日はどっと疲れショックだった。
心の奥では避けたいと思っていた現実を見てしまったからだ。
そして思うのは、絶望も期待もしないことだった。
本当にそれだけだった。
そしてすべては悪いもいいもなく、愛だった。
今、意識不明でありながらも父親が息をして生きていること、
そして面倒を見てくれる病院の人たちがいること、
家族がいること、心配してくれる周りの人がいること
すべてに愛を感じたのだ。
このあと父親がどうなるかは父親の意思が決めることだ。
彼の人生はまだ終わっていない。
私はそれをただ見守り、支え、そして感謝を感じていようと思った。