oshina

最近起こった事故から自分を変えようと思い始めました。 キセキの起こし方を綴ります。

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最近の記事

宣告から24日目:どうなるのだろうか

父親が脳卒中で倒れ、意識不明となってから24日目となった。 倒れたその日は今日か明日中には死ぬだろうとはっきり医師から言われた。 家族は絶望状態だった。 一家の大黒柱をいきなり予告もなく抜き取られたのだから。 しかし父は頑張って生きていた。 意識不明で栄養も胃から取れない状態から24日が経った。 だんだんと痩せていき、しかし顔色は白く美しくなっていっている。 脳の一番主要な部分、脳幹が損傷し、 意識は戻ることはないと告げられている。 そのため、目が開きっぱなしで、口も空きっ

    • 宣告から13日目:常識とは

      今回父親が瀕死の状態となり、死についてとても考える機会を与えられた。 そして、私たち、私はこれまでどれだけ常識というものに縛られ、それ通りに生き、ほかの可能性を考えたとしても信じることが薄かったのかを知ったのだ。 常識から外れた考えや概念、価値観を発信すると否定・非難を受ける。 これはほとんど当たり前のことで、それをどうこうしたいわけではない。 しかし、自分もそれでいていいのか。 現実逃避とかとはまた違う次元の話である。 現実はしかりとみる。逃げずに受け止める。 そして、そ

      • 宣告から12日目:涙

        父親が脳卒中で倒れ意識不明、全身が動かなくなってから12日が経過した。 今日は役所、神社、病院と母親と周り、一日中動いていた。 母親と前向きな話や量子力学の話、希望を持つ話を多くした。 神社は富士山2合目にある山神社へ行った。 とてもスピリチュアルなパワーが高く、澄んだ場所だ。 お参りをすると不思議と心が軽くなり眠気が襲ってくる。 母親はだいぶ疲れ切っていた。 それはそうだ。 いつ病院から連絡が来るかもわからないし、容態は最悪と言われている。 息は自分でできているが、物が

        • 宣告から10日目:未来などない

          父親が脳卒中で倒れ、もう2日以内には死ぬと宣告されてから10日が経過した。 いまだ意識はないが、父親は生きていた。 倒れたその日は、家族も私も深刻な気持ちとなり、 それもあまりにも突然のことだったので意気消沈していた。 「昨日まではどら焼き食べて元気だったのに・・・・。」 普通だったら、医者からもう見込みはない、助かる可能性はほぼないと言われたらその言葉にショックを受け、悲観し、今後の不安や恐怖に落ち込んでいたかもしれない。 しかし私は角度を変えた。 考え方を整えることに集

          宣告から5日目:落ち着き

          父親が死ぬかもしれない と宣告を受けてからすでに5日が経過していた。 母親はまるで夢のような出来事で信じられない、 毎日まったく眠れないと話していた。 わたしは自分でも信じられないくらい落ち着いていた。 というのも、この宣告をきっかけに自分の思考を整えることに時間を費やしたからだ。 父親は2日以内にはもしかしたら命が無くなるかもしれない、 と医者から言われてから5日目の今でも生きている。 意識は依然としてないが、生きているのだ。 わたしはそのことに目を向けた。 母親

          宣告から5日目:落ち着き

          宣告から2日目:お墓参り

          今日死ぬと言われたのに母親と姉は病院からいつ電話がくるんではないかと気が気でなく眠れなかった。 「今日か明日にはあなた方の父親は死ぬかもしれません。」 と宣告を受けたのだ。 父親の意識不明は「脳卒中」だった。 専門的な話は分からないが、脳の一番大事な器官がどうしようもなくなっているらしい。 手の施しようがない、 意識不明のまま生かすしかない というあまりにも突然で酷な結果であった。 見込みほぼゼロほど希望がない話はないだろう。 母親と姉は悲観に暮れ、怖くて、夜は一緒に寝た

          宣告から2日目:お墓参り

          宣告

          突然知らされた父親の意識不明人生は何が起こるか分からないと聞くことはあったが、そんなに驚くことはめったにないものだと思っていた。 「パパが意識不明で数時間以内には死んでしまうかもしれない。」 母親からの電話を受けた。 その日は彼氏のぎっくり腰がどうしようもなくなり、 車で2時間かけて朝から整体院へ行っていた。 少し回復したみたいでよかったね。なんて話して 駐車場に戻った時、母親から電話があった。 母親はめったに電話をすることがないので、直感的に 「誰か死んだのかな」 と感