宣告から5日目:落ち着き
父親が死ぬかもしれない
と宣告を受けてからすでに5日が経過していた。
母親はまるで夢のような出来事で信じられない、
毎日まったく眠れないと話していた。
わたしは自分でも信じられないくらい落ち着いていた。
というのも、この宣告をきっかけに自分の思考を整えることに時間を費やしたからだ。
父親は2日以内にはもしかしたら命が無くなるかもしれない、
と医者から言われてから5日目の今でも生きている。
意識は依然としてないが、生きているのだ。
わたしはそのことに目を向けた。
母親も姉も、医師も「生きている」という今ではなく、
「死ぬかもしれない」という未来を見ていた。
そして不安や恐怖や悲しみ、苦しみというものを引き寄せているのだ。
しかし私から見ると、
父親は今生きていて、息をしていて、それはとてもとても感謝すべきうれしいことであった。
朝目が覚めると、今日も病院や母親からは何の連絡もなく、父親は生きている!なんて素敵なことなのだろう。
と思うのだった。
「そんな楽観的になれない。」
「いつもう何が起こってもおかしくないのに、元気でなんていられるはずがない。あんたも現実を見たほうがいい。」
母はそういう。
普通の人ならばそれが当たり前なのかもしれない。
しかし、そこに引っ張られてはいけないと直感するのだ。
たった一人でも、父の現在を祝福し、信じ、こうなってほしいという明るい未来を願う者がいれば現実は形を変えるかもしれない。そう思うのだ。
そしてそう思える思考力をこの数日間で磨いた。
自分の思考を整えることに時間を費やした。
もちろん最初は難しかった。
どうしてもネガティブに引っ張られそうになる。
「もし父が死んだら」
「本当にもうだめかもしれない」
「今にでも病院から電話が来るかもしれない」
そう思いそうになり、
そう思うとどんどんそっちの思考に引っ張られるのだ。
でも、すぐ切り替えた。
無理に考え直すのではなく、もっと現実的に、確実に、信じとおせるものとして身に着けるために勉強した。
その中でも「量子力学」に関するオーディオブックは最高のものであった。
それは私のこうしたふわふわとした不確実な思いを確信ある思いに変える手助けをした。いつかこれについてまとめて記事を書きたいとも思っている。
繰り返すが、2日以内には死ぬといわれた父親が5日目の今日も生きている。
それはキセキであり、喜びであり、新しい未来を作れるという希望を与えている。
周りが常識的なことだけに目を向け、希望を嘲笑おうとも、私は信じたいものを確実に信じていこう。今日も素晴らしい1日であった。
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