彼からのイジりを、好きだからとガマンする
こんにちは、コラムニストで恋愛コーチのおおしまりえです。
人には誰しも、されたら嫌なことと、
されてもあんまり気にならないことがあると思う。
その線引きは人によって違うわけで、だから、恋人同士など親密かつ長い付き合いを望むなら、この“嫌”と“大丈夫”の境界線を、なるべく早く共有しあって、心を寄り添いあわせていく努力が必要だ。
それが、自分も相手も尊重するという、恋愛の基本中の基本だと思っている。
でも、恋愛がドヘタくそだった昔の私は、この、自分も相手も尊重することが、全く出来ていなかった。
自分がされたら嫌なことは気づかぬうちに徹底的に妥協し、
相手のされたくない(であろう)ことばかりを尊重していた。
このときは、何か粗相をして相手に冷たい態度を取られたら、もう死ぬくらいの焦燥感があった。もっともっと彼から大事にされたかったし、なによりやっぱり嫌われたくなかった。
でもその自分を縮めるような身のこなしは、今思えば幸せな関係とはほど遠く、もっと大事にされるどころか、傷つく自分を無視するという“間接的な自己いじめ”ですらあったと思う。
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■イジりを愛情と勘違いする男
私は過去に、愛情をイジりで表現するタイプの男性と付き合っていた。
当時の私からすると、本音としては正直イジりなんて可愛いものではなくて、彼からちょっとした言葉の矢が飛んでくるたび、胸がキューッと握りつぶされるような感覚があった。
例えば、それは、呼び名について。
当時付き合っていた彼は、気づいたときから、私のことを名前では呼んでくれなくなっていた。
外出先で呼ぶときは、「ねえ」「ちょっとちょっと」が私の名前。
彼女を無個性に呼びつけることが恥ずかしいと自覚があるのか。人前では少しだけ属性を足して「おねえさん」と呼んでいた。ねえという正体不明の生物から、性別オンナのニンゲンが誕生していた。
そもそも名前で呼ばれないこと自体、自分が軽んじられているようで嫌だったけど、これは序の口。
2人っきりの場面では、イジりモードのギアが入って、私はほぼ毎日、呼び名から罵られていた。
「おばちゃん」
「ブーちゃん」
悪意しか感じない呼び名であるが、相手は満面の笑みで、これを使ってくる。
当然こんな侮辱まみれの名前は、どんなに愛情がこもっていても嫌なので、「やめて欲しい。傷つく。私はおばちゃんではないし、ブタでもない。名前で呼んで欲しい」
そう怒って抗議するものの、ムキになればなるほど、なぜか相手はさらに嬉しそうな顔をして、「おばちゃん怒っちゃったの〜〜?」とまた連呼し、時にはヨシヨシといった仕草をする。
この場合のヨシヨシは、もしかしたら彼女にする愛情のソレではなく、動物にするドウドウ的なしぐさだったのかもしれない。
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私「どうしてそんなふうに呼ぶの?」
彼「だってブーちゃんでしょ?」
私「そんな太ってないよ(怒)」
彼「じゃあおばちゃんだ」
私「おばちゃんも嫌。私はおばちゃんじゃないよ」
彼「でも年齢的におばちゃんだよ」
私「私がおばちゃんなら、あなたはおじさんだよ?」
彼「おじさんで結構でーすwwww」
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ムキになると、なぜか誇らしげな彼。
私のメラメラと燃える怒りと不快感が、全然伝わってない。けど、伝える言葉がこれ以上ない。
こうなると、無視しても自分が“ちょっとした”掛け合いに幼稚に怒る人みたいだし、キレて殴りかかったらDVになってしまう。
解決策が見つからず、不毛なやり取りをしたあと、会話はいつもなんとなく収束する。そして、また何かのタイミングで繰り返される。
それが付き合っている期間、ずーっと続いた。
結局私は、嫌なものは嫌ですごく傷つくものの、その改善されない行為に怒るのも疲れて、「まあ根底に愛情がないわけじゃないし……」と、自分の心を強引に収めていた。
なんてことはない。大した問題じゃない。ちょっとした掛け合い。
そう自分の頭は処理していたけど、振り返ればこの理解こそが間違っていた。私の心には、“メラメラと燃える怒りと不快感”があったのだ。客観的な大きさではなく、自分の心で感じる大きさを優先して対処すべきだったのだ。
■コトの重大さを決める権利は、いつも自分にある
こういうとき、おそらくイジる側は、自分のしていることが相手を深く傷つけている自覚はほぼないだろう。
けれどされた側は、悪口や中傷という印象をうけていた。
それくらい傷ついていた。
彼らがなぜ、された側の気持ちに気づかないのかというと、今までもある程度通用していた振る舞いだから。かもしれない。つまり、今まで通用していた以上、「ムキになる相手がおかしい」くらいに思っているのだ。
この構図は、改めて考えると彼氏彼女の関係だけでなく、親子とか友達関係でも起きているかもしれない。
経験してない人からすると、そんな些細なこと〜と思うかもしれない。
けど、些細かどうかを決める権利があるのは、受け手だけ。
そう気づけたのは、もう少し先になってからのことだった。
相手がどんなに笑顔だろうと愛情を込めていようと、「ブーちゃん」とか「おばちゃん」と呼ばれる悲しさを感じているのなら、客観的なコトの大きさよりも、私が嫌だと思った感覚を優先してよかったのだ。
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自分を大事にされてないと感じる行為は、きちんと止めて欲しいと伝える。
伝えても受け止めてもらえないなら、呼びかけのボールを拒否する。
伝えてダメなら、その人との関係自体を見直す。
それでも関係が改善できそうにないなら、縁を切ることも考える。
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シンプルに、こうした自分を守る対応を早くした方がよかった。
けど、見捨てられ不安みたいな3歳児的感情がすごかったことで、どうにもドライな決断をできなかった。
できないかわりに、「とはいえ、彼に愛はありそうだし」と別のそれっぽい理由を持ちだして、傷ついた自分の心を封じ込めた。
でも、これでは、いい恋愛関係とはもちろん言えない。だって、関係性の優先順位を間違っているんだから。
恋愛は彼が1番、自分が2番ではダメだ。
自分も彼も1番でなくてはいけない。
些細な自分の心の傷つきにも敏感でありたい。そして、きちんと自分を守っていきたい。
それは自分のためだけでなく、想い合う関係にも必要なことだと思うから。
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