痛い目にあわないと、健康のありがたさがわからない
先日、洗濯物を取り込んでいるときに、左足のふくらはぎに激痛が走った。
「あた、あたたたたたすけて神様」
当然ながら、痛みに対する心の準備をしていなかったため、いきなり訪れた足の痛みに、半ばパニックになった。
右手にハンガーを、左手にはカーテンをつかみながら、私は普段信仰していない神様に助けを求めた。
都合のいい時だけ助けを請われ、神様も困ったことだろう。
この痛みはヤバい。
直感でヤバい痛みだとわかった。
いわゆるこむら返りである。
こむら返りの痛みを経験した方ならわかってもらえると思うが、あの痛みは恐怖を感じさせる何かがある。
じわじわと増していく痛みは、出産時の陣痛を思い出させる。
足をあらゆる方向へ向けてみるが、痛みが治る気配はない。
「あかんあかんあかん」
生粋の名古屋人のくせに、こういう時だけ口から関西弁が出てくるのはなぜなのか。
名古屋弁の「いかんがねいかんがね」とはならない。
あれこれ足を動かしていると、痛みが止まりそうになる位置を見つけた。
「よーし、いい子だ」
ハリウッド映画に出てきそうなセリフをふくらはぎに向かって吐き、何とか自分を落ち着かせる。
痛みが出始めて5分後、やっと痛みが治まった。
痛みが治ったあと、日頃普通に歩けることがなんてありがたいことなのかと、しみじみ思った。
あの痛みがないだけで、ものすごく幸せなことなのだ、と。
しかし痛みがない時は、痛みがないことに対して「よかった」「ありがたい」などとは思わない。
健康であることがデフォルトだから、痛みがある自分を想像できないのだ。
健康ではなくなると、健康のありがたさに気づく。
日頃から不摂生していてごめんなさい。
運動不足でごめんなさい。
誰に向かってやったらよいのかわからないが、手を合わせて謝りたくなる。
今は痛い思いをしたばかりなので、ちょこまかと運動をするよう心がけている。
これからも続けていきたいと思う。
今は、ね(懲りてない)。