大島薫初の小説『不道徳』 #30/32
その日、オフィスに出社した拓海は、明らかに違う社内の空気を敏感に察知した。
「おはようございます」
拓海が全体に向かってそう声をかけるのだが、誰一人としてすぐに挨拶を返してこない。
「おはよう……ございます」
近場の年配の社員の一人に直接そう声をかけてみた。
「あ、ああ……おはよう」
年配の社員はぎこちなくそうこたえる。
なにかがおかしい。拓海は一体なんなのかと辺りを見回した。
社内のほとんど全員がこっちを見ている。かと思えば、一部は気まずそうに拓海の目線を避けるように俯いていた。
「おーい、拓海ー! お前ってホモだったのかよ――」
と、オフィスの隅にいた若い社員の男がそう叫んだ。あれは社員の中でもお調子者で有名な先輩だ。その男の言葉を、近くにいた舞が制している。
「バカ。ちょっと空気読みなさいよ!」
若い社員の手には、一枚のコピー用紙が握られている。拓海は嫌な気配がして、その男ににじり寄って紙きれを奪った。
紙に印刷された内容を理解すると、拓海は自身の頭が、漂白剤をぶちまけられたみたいに真っ白になっていくのを感じた。そこにはウリ専のホームページにある拓海の半裸の写真と、こんな文言が添えられていた。
【御社の社員の「桐島拓海」は、ゲイ専門風俗店「フレッシュゴーゴー」のボーイである。ダイバーシティを体現する御社の社会理念は称賛に値する。ぜひこちらをインターネット・SNS等で拡散し、御社の宣伝に貢献させていただきます】
ぎこちなくポーズを撮って笑う、その拓海の写真には目線がなく、だれがどう見ても自分であることが一目瞭然だった。宣伝などと書いているが、これはただ拓海の裏の顔を社内に知らせたいがための、質の悪い嫌がらせだろうとすぐにわかる。
フレッシュゴーゴーのホームページでも、拓海の素顔の写真は一切掲載されていない。どうして目線のない写真が社内に届くのだ。拓海が愕然として、もう一度オフィスを見回すと、間島課長が必死になって周りの社員のデスクを見て回っている。どうやらこの紙は、各社員の机に張り付けられていたようだった。
他の社員にも声をかけて、怪文書の回収を指示する間島に、拓海はゆっくりと近付いていく。拓海は自分でも、顔面が青ざめているのがわかった。
「間島課長……あの――」
間島は拓海の顔を確かめると、軽く微笑んで見せた。
「ああ、うん、大丈夫、大丈夫。とりあえず、朝礼のあとミーティングしよっか」
それに拓海は頷いて、依然コピー用紙を回収する間島を見ていることしかできなかった。
朝礼のあと、他の社員が午前の稼働に勤しむ中、拓海はすぐに間島に会議室に呼ばれることとなる。
「入って」
数回ノックし、中にいる間島の言葉に合わせて扉を開けると、そこには佐伯部長もいた。
会議室の奥の席に座る佐伯も間島も、一様に暗い顔をしている。間島に指示されて、拓海は二人の向かい側の席に座った。
「とりあえず、大変だったわね……」
最初に間島がいったのはそんな言葉だった。
「その……まずはここに書いてある内容なんだけど、これは事実なのかな?」
間島が机の上で示したのは、今朝出回っていた怪文書だった。
「……事実です」
もはや、店名も写真も知られてしまっては、ここで嘘をついてもすぐにバレてしまうだろう。拓海の正直な言葉に、間島が佐伯の顔を一瞬伺う。佐伯は先ほどから、拓海と目を合わせないためなのか俯いたままだ。
「その……うちが副業禁止なのは知ってるわよね?」
間島は気まずそうに拓海に訊ねる。
「はい……」
続く拓海の肯定に、それ以上の言葉を考えあぐねているのか、間島はチラチラとまた佐伯の顔を見る。
「その……えっと、本来、業務時間に支障が出ない分には、こちらも厳しい処罰というのは法律上できなくて……だけど、その……」
間島はかなり言い難そうだった。また横目で佐伯を見る。
とうとう業を煮やしたのか、佐伯が机に肘を置いて、組んだ腕で口元を隠すようにして話始めた。
「話は単純で、副業禁止のところをアルバイトをしていた君には、やはりそれなりの処罰を受けてもらうことになる。バイトを辞めればいいという問題ではなくて、信用の問題として、これから来月、再来月と数字を追いかけていく仲間に、こういうことがあっては我々も信用ができないんだよ」
佐伯はあくまで、いつものように淡々とした口調で語る。ただし、拓海と目を合わせることは一切なかった。いつもなら佐伯に対しての不信感から腹立たしく思っていることだろうが、今日ばかりは拓海もそれどころの状況ではない。
「はい……」
「今日のところは一旦自宅で待機してもらって、どうするかは後日連絡ということで。いいね?」
「はい……」
拓海は佐伯の言葉にただそうこたえるしかない。
「それで、その――」
急に、佐伯の口調が気まずそうなものに変わった。拓海が佐伯のほうを見る。
「――くれぐれも勘違いしてもらいたくはないんだが、これはあくまで副業云々が問題であったわけで、その……君の性癖がどうこうといった――」
「――部長、『性癖』ではなく、『性指向』です」
佐伯の言葉を、隣から間島が訂正する。
「そう、性指向がどうこうといった理由で、社内から追い出すという意味ではないんだよ。そこは理解してもらえるね? うちの会社は差別をしているわけじゃないんだ。わかるよね?」
普段淡々としていて、朝礼以外はぶっきらぼうな佐伯が、腫物を扱うように拓海に念押しをする。佐伯部長の目はずっと泳いでいた。
拓海はすこし可笑しくなった。そんなことを気にしてはいないし、自分はノンケだし、でも、彼らにとってそれを差別だと捉えられると困るのだと思った。副業をした自分のほうが分が悪いのに、なぜか佐伯が媚びへつらっているのが滑稽だった。
「はい……」
拓海は自嘲気味にそう返事をした。
会議室を出たあと、拓海はすぐに荷物をまとめて会社を出て行った。去り際に、舞と陸が気にかけているのがわかったが、拓海は無視をした。友人である二人にこそ、変に慰めの言葉をかけて欲しくなかったのだ。
それ以降二人を含め、オフィス内の人間とはだれも連絡をとっていない。
それから、一ヵ月後、拓海は会社を辞めた。
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