大島薫初の小説『不道徳』 #12/32
オフィス街のビルの合間を、秋の終わりを告げる寒風が吹きすさぶ。拓海は耐えきれずに、コートの襟を立てた。
「ほーら、早く早く、若いんだからへばってないの」
数メートル先で、黒のロングヘアーをなびかせながら、上司の間島が拓海に呼びかける。拓海は元気を出して大きな声で返事をするが、身体が勝手に身震いしてしまう。季節の変わり目は、いつも気温以上の寒さを感じさせるものだ。
今月の最終日はたまたま休日だった。通常であれば拓海の会社も休みとなるのだが、どの課もノルマの未達成が目立ったので、急遽出勤となったのだった。とはいえ、休日に大慌てでアポイントを取っても、そのまま即座に契約が取れることはほとんどない。
そこで社内で考えられたのが、この飛び込み営業だった。仮に休日に誰か出社している会社があれば、重役や社長などの重要人物だという可能性が高いため、運が良ければいきなりの受注もあり得るかもしれない。そう考えて実行されたこの作戦だったが、いまのところ三十社回って二社くらいしか営業している会社を見つけられていなかった。
「よし、次、このビル行ってみましょ」
間島が一つの小さな雑居ビルを見つけて、拓海に指で指し示す。こうして寒さに震えている拓海よりも、女性の間島のほうがずいぶんタフそうだ。
「間島さん、あっちのほうが会社いっぱい入ってるし、効率良さそうですよ」
拓海がそういって間島に示したのは、すこし離れたところに立っているガラス張りの巨大な商業ビルだった。
「なーにいってんの。ああいうところに入ってる大きい会社は、決裁者まで繋がるのに時間がかかるんだから。狙い目は少数でやってるような、こういう小さいビルに入ってる会社よ。ほら、文句いってないですぐ行く」
間島はそのまま雑居ビルに入っていってしまった。拓海は肩をさすりながら、間島を追いかけていく。
一度最上階までエレベーターで行き、一階ずつ階段で下りながらテナントで入っている事務所を見て回る。やはり基本的にはどこも閉まっていたが、一つだけ開いているオフィスを見つけることができた。
「はー、このご時世に飛び込み営業ですか。大変ですねぇ」
そういって、接客室でコーヒーを出してくれたのは、狙い通り、この事務所の社長だった。細々と長年やってきた会社らしく、社長は年配の男性だが優しそうな人に見えた。小規模なオフィスには、年季が入ったデスクや、古そうなPCチェアが並んでいる。どうやら今日は、この社長一人しか出勤していないらしい。
「いえいえ、最近通信費の料金形態も複雑になってきておりまして、私どもがこうして各地域で直接ご説明させていただいてるんですよ」
間島はにこやかにこたえながら、気がつけばすでにカバンからいくつかの資料を取り出して机に広げ始めていた。
「社用携帯ねぇ……うちの社員はみんな個人の使ってるからね」
資料を受け取った社長が、禿げかかった頭を撫でてこたえる。
「そういう方は多いんですが、やはり個人情報に価値がある時代ですから。この前もニュースでご覧になりました? 情報漏洩の――」
隣で話す間島の流暢な営業トークを聞きながら、拓海はいま他のことに気を取られてしまっていた。しばらくモジモジと落ち着かなく足を揺らしていた拓海だったが、とうとう我慢できなくなった。
「あの――」
突然声をあげた拓海を、社長と間島が見る。
「すみません……お手洗い、お借りできませんか?」
申し訳なさげに訊ねる拓海に、間島は呆れた。
「あなた……初めて来た会社で非常識でしょ」
そんな間島を、今度は社長が制した。
「いやいや、構いませんよ。廊下を出て右側の奥です」
間島はまだ文句をいいたげだったが、拓海も限界が近かったため、社長に礼をいって慌ててトイレへと向かって行った。
数分後トイレから戻ってきた拓海は、事務所のドアを開けようとしたが、中から漏れてくる会話に思わず、その動きを止めてしまった。
「いやぁ、三十六歳! 見えないですねぇ。私の会社にもこんな美人さんがいればよかったんですがね」
先ほどの禿げ頭の社長の声だ。
「いえいえ……で、料金プランなんですけど――」
「うんうん、間島さんはプライベートでは、どこの携帯を使ってるの?」
「プライベートですか? もちろん、同じ会社ですよ」
「そうか、そうか。なんだかここじゃ、あまり落ち着いてお話が聞けないなぁ。今度飲みながら話を聞けないかなぁ。番号でも交換しませんか? プライベートの」
漏れ聞こえてくる会話に、拓海はすこしだけ扉を開けて接客室を覗き見た。俯瞰した角度から二人の姿が見える。相次ぐ社長の誘いの言葉に、間島は気まずそうだ。その社長の間島を見るギラついた視線が、なんだか拓海がいつも相手にするウリ専の客たちのそれと重なって見えた。
「すみませーん! お手洗いありがとうございましたぁー!」
わざと大声と音を立てながら、拓海はオフィスへと飛び込んでいく。二人は同時に振り返り、間島は苦笑した。
「ちょっと、静かに入ってこれないの?」
それに、社長も同じように苦笑いを浮かべる。
「あはは、元気のいい社員さんだね……」
おどけた素振りのまま席に戻った拓海だったが、しばらくするとまた間島は仕事の話を始めた。どうやらこの社長は拓海の前では、さきほどのように間島へセクハラじみた発言はしないようだ。
二人の会話を聞きながら、拓海は間島の心情に思いを巡らせた。間島は社内唯一の女性の責任者だからだろうか、いつもことあるごとに「女だからってナメられたくない。数字を出して見返してやりたい」というようなことをよくいっていた。「女性だからナメる」なんて考えたことがなかった拓海は、被害妄想的な発言に辟易したものを感じたことがある。
そのため拓海からすれば、間島はどこか過剰な負けん気を見せる瞬間があった。男より男らしいなんて表現は陳腐だが、間島が部下たちに普段見せている姿はまさにそれに近いように見える。それを思うと、先ほどの社長の言動は、間島からすれば酷く屈辱的なものだったのではないだろうか。
いや、むしろ拓海が今回一緒に営業を回ったことで初めて目撃しただけで、これは間島の日常だとは考えられないだろうか。だからこそ、そういう視線を押しのけるように、過剰に強い女性を演じているのではないのだろうか。
自分の意思とは関係なしに、否応なく性的な存在として扱われるというのは、どのような心境なのだろう。隣で前のめりに営業を続ける間島の華奢な肩を見ながら、そんなことを拓海は考えていた。
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