雑記 2024.9.1



 「2015年くらいに貴方が作っていたものは良かったですね」というようなことを、少し前に言われた。
 言った側に悪気がないのは分かっていた。
 けど今の自分が否定されているようで、やるせなかった。

 改めて見ると、当時作ったものは自分でもよく出来ているなぁと感じる。
 少なくとも自分の好みである。
 今の自分が失ってしまったものを強く感じる。
 なぜか出来なくなってしまったことがまだ出来ている。
 何をどういう経緯で失ったのか、それは自分でも分かりきってないし、長くなるから書かないけど。

 今の自分は本当に何も出来ない、と思う。少なくともそういう気持ちがあって、消えない。
 実際認めるしかない。9年前の自分に今の自分が嫉妬を募らせているのが嫌でもわかる。その感情自体、今が無能で、今を頑張れていない証そのものだと思う。これ以上ないほどつまらない、自惚れで恥ずかし過ぎる感情。
 また単純に、いわば9つも年下の、自分よりずっと出来る若者に嫉妬を抱くのも情けない。おとな気ない。

 9年前の自分が漠然とイメージしていたのはむしろこういう感じだった。
 「9年後の自分は、今の自分よりは色々経験して、考えも少しは深まって、今よりかは落ち着いている。今の自分が解明できないでいる自分の間違いや欠落に、ある程度の答えか折り合い方を見つけていて、同時に過去悩んでいた頃のことも理解してくれる。トータル、大きく抱擁してくれる」。

 その頃、"理解"してくれる"誰か"を他者の中に渇望していて、それを一向に見つけられないこと、またそういう関係性を構築する素質が自分にないことで苛立っていた。
 けど最終的には、その"誰か"のポジションには自分自身が就くしかない……落ち着いて包容力を備えた「将来の自分自身」が"理解"するしかないのだろう、と想像してもいた。
 まだ見ぬ将来の自分自身への期待が、"誰モ理解シテクレナイ"敵だらけの戦場の中で、自分を守る最後の砦だった。

 9年後、そのご期待に沿えない大人になった。
 裏切ってしまった。
 自己理解が半端な形で歪に進んだせいで「将来の自分自身への期待」は見失って、他者の中に"理解"してくれる"誰か"の出現を願うことも傷付き過ぎてもうできない。
 それでいて渇望は消えない。
 今はそのエネルギーを全部自責と後悔にだけ振り向けて消費している。

 前の自分と、今の、自信を喪失しきった自分とが同じ人物だとは正直思えない。

 でも「2015年くらいの貴方は良かったですよ」と言った人の言葉は「今の貴方を褒めている」というニュアンスだった。
 同一人物に見えるのだろうか。

 ネット上の長い付き合いの知り合いや、長いこと会わずにいた親戚や友人なんかが、何年も前のこちらの印象を固定して持っていることはよくある。
 親戚のおじさんおばさんに「あんた、あんなにカワイイ子供だったのに」と言われて「まだそのイメージ引きずってんのかよ」と反発したくなる時みたいに。

 とはいえ。
 あの人はどうやらこちらを褒めたかったみたいだし、2015年の自分と今の自分がさも同一人物であるかのように、そのまま言葉通り受け取ってしまえばよかった、とも思う。
 「あんたカワイイ子供だったのに」と言われて「今だってカワイイ子供でしょう」とか返す勇気ないのに。
 
 結局、人は変わる、という話に行き着くのだろう。
 子供が大人になるのだから。

 どう変わるか、大なり小なり分かっている人もいる。
 自分はあまりにも分からなかった。
 変わる前の自分自身さえ十分に分かってないのに、変わったあとの自分のことまで理解しきれるかって話。

 9年前の自分は、変わらないでいて欲しかったのだろう。成長は求めてたけど曲折は求めてなかった。枝葉が変わっても幹は自分の望む方向であって欲しかった。
 「"理解"されたい」は、せめて自分自身だけでも自分のことを「"理解"したい」という願いと表裏一体で。
 変化してしまったら自分にも自分が分からなくなる。それを恐れていたのではないか。言語化できないまでも無意識に恐れていたのではないか。
 それが意識上に表出したのが「抱擁してくれる将来の自分自身」のイメージではなかったか。

 今の自分も、自分が「過去の自分を"理解"できなくなった」と信じたくない。
 今の自分と9年前の自分との間に、理解も出来ないほどの深い断絶があるとしたら、今の自分は、いつ生まれた誰なんだ?

 今の自分と過去の自分が同一人物じゃないということ。
 しかも「違う」と分かっているのは、自分自身だけらしい。
 まるで双子トリックを使う犯人みたい。
 9年前と今の自分、2人だけが「自分たちは別人だ」という秘密を知っている。
 いや、少し違うかも。
 やっぱり今の自分は、9年前の自分を裏切って存在している、と思う。共犯にはなれない。

 そしてこうして、今書いていることも何年か後には、要所要所が欠落した傷付きディスクになってしまうのだと思う。


 本当に、今書けることは今しか書けない。
 今の自分は今しか存在しない。


 自分の場合、今の自分とは後悔と自虐にまみれた恥ずかしい自分だ。メンタル的には人生で一番落ちてる。それを書かずにいれば、いずれ将来の自分は忘れて「なかったこと」にできるだろう。他人に読まれることもない。
 けどそれは、今の自分に「居なくなってほしい」と願うことにうっすら似ている気がする。

 うん、どうも支離滅裂になってしまう。
 今書くと全部そう。
 酷い文。
 そう、なんだけど。