合わせる。

 「人に合わせることが必要だ」
 「相手に想像力を働かせなさい」

 そんなようなことを言われた。
 今日は疲れる1日だった。

 ほのかに湿った土の匂いが薫るこの季節特有の軽やかな風は、夜に入って街の空気が動の音から静寂の音へシフトするに従ってよりいっそう心地良く感じられるようになった。
 その夜風に誘われるまま、ベランダへと歩みだす。

 夕暮れ時はiPhoneで写真を撮り歩いたんだ。
 人に見せたりするわけじゃない。ツイッターには上げるけどもっぱら自分のために撮っている。
 この季節になると僕はいつも同じ景色を撮っている。
 田に水の入る季節。それが僕はどうしようもなく好きだった。

 意識して毎年撮り続けようとしているわけではない。年ごとの比較をしようとしているとか、そんな目的があるわけじゃない。
 ただただ、地面一面に空の青が映り込んで、世界がまるで変わってしまうようなこの季節が大好きというだけだ。
 この季節がくるたびにただ撮りたくなるだけ。
 撮る時に「去年も同じようなやつ撮った」とか、考えていない。

 自分に忠実なだけ。

 なんで自分は同じ風景の写真を何枚も撮ろうとするのだろう、と今日の帰り際、自分の行動の酷い無意味さに落ち込んだりしていた。

 ただ、なんか、今の自分の感じていることを形として残しておきたいような気持ちがどっかにある。
 瞬間瞬間、時間が失われていくことすら惜しいのかもしれない。
 自分が残したいのは、この景色を見ながら感じたことであり、それを感じている自分であり、それを感じさせてくれたこの景色だ。

 もっとも、そんな個人的かつ瞬間的な感情、人に伝わらないばかりか自分自身さえ時間が経つと思い出せなくなっている。
 当たり前の話、風の質感までは写真に込めることが出来ない。
 後から写真を見直しても、その時吹いていた風のことなんか、よほど思い出深い悪天候の時でもない限り忘れてしまう。

 「「相手に想像力を働かせなさい」」

 なるほど、確かに。
 僕はもっと思いやりを持つべきなのだ。
 仮にこの写真を後から見直す「未来の自分」を、この写真を見てくれる1人の「相手」として捉えた時に、僕はその相手に対して何を思いやっていると言えるだろう。
 後から見直したときに、今この夜の瞬間も肌に心地良く触れて流れるまろやかな風の質感ひとつ伝えられないで何が思いやりと言えるだろう。


 視線をベランダから上へ転じる。
 まるで満月みたいな明るさだった。
 床面に影で切り絵が出来るくらい。
 風はほのかに湿った土の匂い。
 遠くで響くカエルの合唱。

 「人に合わせることが必要」

 上弦の月。
 あれだけ光る月なのに、見れば少し欠けている。
 もしかしてあの月の欠けた部分には何者かが何かを埋めて"合わせ"るのだろうか。

 あんなに大きな欠落をいったい誰が埋められるというのだろう。

 地上の夜はすべてが月に呼応していた。
 葉の光。風の銀色。カエルたち。
 みんなみんな月に視線を合わせて月光の恩恵にあずかっている。

 ああ、そうか。
 月は、合わせる側なんだ。

 本当は自分が欠けているのに、月は地上のありとあらゆる夜景に想像力を働かせて、それぞれに合った輝き方が出来るようひとりひとりに寄り添って合わせ尽くしてくれている。
 でなければこんな素敵な景色にならない。

 風の穏やかな夜だった。

 一匹の飛行機が小さな光を灯しながら、黒石のような宇宙を滑らかに飛行していく。
 あれに乗る人たちもまた月の恩恵にあずかっている。
 僕は最近眠れないのだけど、もしあんな飛行機の窓際に乗って、月や星と同じ目線で地上の夜を眺められたら、たちまち眠りに落ちてしまえるだろう。
 きっとそうだ。
 鋼の飛行機を月光が竹編みの空飛ぶゆりかごのようにしてくれている。

 僕はこの夜を残したくなった。
 この夜を愛おしく感じた。
 だけど月の綺麗な夜を残すことは難しい。理由はなんてことない、スマホ程度のカメラ性能では夜景の撮影が上手くいかないのだ。

 仕方がないから僕は言葉に頼った。
 今だらだらと綴っている文章がまさにそれだ。
 少しでも人に伝わればいい。うまく伝えられるだろうか。必要のない文言は極力削る。わかりにくい表現は改める。書き終えたら必ず一度は再読して、読み手の気分になって自分の文章を見つめ直す。そのための想像力、思いやり。

 そういうのが、出来ない。

 僕はあまりそもそも言葉が上手くない。
 この酩酊したような夜の心地良さは誰かに伝わることはないのかもしれない。
 伝える自信がない。
 きっと伝わらない。

 誰のためにもならない。

 うん。
 やっぱり撮れるなら撮っておこうか。

 そう思って僕は文章を投げ打ち、再び空を見上げる。

おぼろ月になっていた
ちょっと目を離したすきに
雲の向こうに円い月輪が浮かんでいた

本当は欠けている月を
本当は足りていない月を
適度に隠して
まるで満ちたりた月みたいに
してしまう者が
現れるなんて
思っても
いなかっ

 やはり。
 僕には想像力が足りないんだ。

 僕なんか、この上弦の月のために、出来ることなんかなにひとつないって最初から決めてかかってしまっていたというのに。

 誰に何が欠けているのか、分かっていても埋められないことはよくある。
 けど最近の僕は埋めようとする努力自体放棄してないか。

 自分さえ満たされれば良い、と思ってしまっていないか。

 話は逸れるけど僕が撮る写真に、人の姿はほとんどない。風景や無機物の方が好きだから、というだけの話なのだけど、最近そのことがとても寂しく感じられるようになっていた。
 僕は昔から、人に想像力を働かせることが苦手だった。


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