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ネコである。

 屋根や庭木の雪が融け、雨でもないのにそこらじゅうぴちゃぴちゃ滴る音がするのが面白かった。ただ土や砂利の道を歩けば、地中で凍っていた水が融けてぐずぐずの泥になっている。

 みや〜〜〜あ!!!
 みや〜〜〜〜お!!!

 ネコである。
 アスファルトにへばりついてしまった氷の上を小股で歩いていた時、向かう先の遠くほうからネコの声が聞こえてきた。まったく野良も忙しい。ほんの1日温かくなったかと思えばすぐこれだ。
 僕は寒くて気が立っていた。底の減った安いスニーカーは人を馬鹿にしたみたいにするする滑った。腰を下げ、ちまちま進み、軽く3歩で行ける距離に10歩もかけて歩く。こういう時、ネコは足に爪がついてるから良い。そうでなくたって服を着ないでも表へ出て、みやあみやあと鳴かれるんだからとっても良い。見かけだけで判断しちゃならないかもしれないが、僕もネコに生まれたかった。人間なんかダメだ。ここいらで積雪なんか年に1度あるかないかだから、雪国と違って雪や氷の備えがない。人間なんか、備えがないとなんにも出来ないんだ。

 みや〜〜〜あ!!!
 みや〜〜〜〜お!!!

 みやあみやあ言うのは2匹いた。
 道の北側の家、車の出払ったガレージには南西からの日差しが入って、明るく、床もすっかり乾いていた。そこに2匹。目に付いたのは茶色のぶち模様で分銅みたいにずんぐりした体型のネコで、堂々と胸を張り、もう1匹の白猫を睨みつけていた。白猫のほうは背を丸め、視線を相手から90度ずらして道の方ばかり見ている。ははん、こいつビビってやがるな。こう見ると優劣は明らかだ。けど勝負は決していないのか、2匹は目線を合わせないまま、

 みや〜〜〜あ!!!
 みや〜〜〜〜お!!!

 鳴き合いを続けている。勝敗が決する様子は一向にない。僕はものの数秒で自信をなくしてしまった。「睨んでいる方が強くて目線を逸らした方が弱い」などというのは、人間目線の思い込みかもしれないのだ。
 そもそも僕はネコ界のことはほとんど知らない。みやあお、みやああ、というのはネコ界においては対等な啖呵の切り合いなのかもしれない。喧嘩を解説するのが得意なネコがあればきっと僕にこう話すのだ。

 「人間の旦那、あれは案外良い勝負をしていますぜ」
 「そうですか?僕はてっきり茶猫が有利なのかと思いましたが」
 「旦那はネコ語を解しませんから分からないでしょうが、あの白はなかなか頭がキレます。ぶくぶく太った茶猫のほうは、力でやっつけることが得意ですから、ああして屋根付きの日向スペースを手に入れましたが、そこへ白が『土地所有権』やら『日照権』やら主張しているんでさ。茶猫のやつバカですから、何の話かも分かっちゃいません」
 「ところでネコに日照権というのはあるのでしょうか」
 「さあ。あっしにもサッパリです。人間流の詭弁を使う辺り、見た目は弱っちく見えても元は高貴なお家の飼い猫か知れません」
 「そうでしたか。見かけで判断しちゃあいけませんね」
 「そうそう、ネコだって凍りついた道を歩けば冷たくて嫌んなるものでございますよ。底の擦り減ったスニーカーの旦那」

 みや〜〜〜あ!!!
 みや〜〜〜〜お!!!

 他人の家の軒先をまじまじと見つめるものではないが、それにしても随分と勝負がつかない。何をみやあみやあ言い合っているのだろう。やはりどう見たって白猫のほうが茶猫と渡り合っている風ではない。見るからに、その日向は茶猫が実力で領土としている。何故白猫は退かないのだろう。退けと言われて退けるものでもなかろうが、やはりまた思い違いなのかもしれない。
 白猫が退かぬのは、茶猫に対等な喧嘩をしているから……などではなく、もとより

 「ネコ同士言葉が通じ合っている、というのがそもそも人間の思い込みですぜ」
 「おや、解説ネコさん。それはどういったことでしょう」
 「あの白は異国ネコです。言葉が通じません」

 なんと、そんなことがあるのか。
 そういえば前に街で見かけた外国人同士がカタコトの日本語で会話しているのを不思議に思ったことがあった。よくよく聞けば片方がフィリピン、片方がインドネシアの出身で、共通語が無かったのだ。
 似たような見かけだからといって、互いに通じ合えるものだと人間は早合点してしまう。だから人間はダメなのだ。

 「茶猫は『ここは昔から俺の縄張りなのだ』と日本ネコ語で言って聞かせているのですがね、白猫のほうはありゃあ南米系のスペインネコ語です」
 「ネコ語もたくさんあるんですね」
 「あたしもスペインネコ語は解しませんから、あの白猫が退かぬ理由は一向にわかりません。なんなんでしょうアイツ」

 ネコ同士なら理由も分かっていよう、と思い込んでいた僕が悪い。いやはやネコ界のグローバリゼーションも大変なことになっていたのだみゃあ。

 「おっと茶猫が愚痴り始めましたよ、あたしが通訳いたしましょう」

 『人間の旦那!聞いてくださいよ、この痩せっぽっちの白猫めは、オレより明らかに弱い。目も合わせられやしない。なのにオレの縄張りに急に居座って、『どけ』と言っても "¡Ñaaah, ñaaah!" と話も通じないんでさぁ!賢い人間の旦那なら、こいつが何を言ってるか分かりませんかねぇ?』

 みやお、みや〜〜〜〜〜お!!
 みや〜〜〜〜ぁ。

 残念ながら僕はネコの南米語はさっぱりだ。解説ネコも9割9分わからないという。白猫に話が通じないなら、僕は茶猫にこう言うしかない。
 「お前が場所を譲ってもいいってんなら話は別だけど、ネコの気性からしてそうは行かないんだろう。そしたら決闘と行くしかないじゃないか」
 解説ネコ改め通訳ネコに、僕と茶猫の間で忙しくにゃあにゃあ言ってもらった。
 「『旦那、それは理不尽ですぜ。野良が真冬に喧嘩なぞして、傷でも残れば命に関わる。第一オレは争い事は嫌いなんでさぁ』と言ってますぜ」
 理不尽と言われても仕方がない。僕に出来ることなどない。旦那が白猫を抱き上げてヨソへやって仕舞えばいいのでは?と解説ネコは言ったが、あいにく僕はネコアレルギーなのだった。

 世の中平和にならないものだなぁ、と思った。

 僕はその場を離れた。やがて激しい取っ組み合いの声が聞こえた。うみゃっ。みゃあっ。みゃみゃみゃみゃみゃ。ネコとして生きるのも大変だ。僕なんか、仕方がないから、擦り減った安いスニーカーで歩くしかないな。

※2018/02/01 加筆修正

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