見開いてのち目覚めても秋の暮れ_2024.10.28
目を覚ますと朝日の明るさに嫌な予感がして、スマホで時間を確認するといつも家を出ている時間を10分くらい過ぎていることに気がつき飛び起きた。急いで身支度を整え家を出て職場に向かった。無事遅刻することなく到着。昨日の疲れが残っていたのか、あまり二度寝して遅刻しそうになることもないのだがいつもより1時間以上長く寝てしまった。
たまに昼寝をして気がつくと夕方になっている事があり、そのまま二度寝をして目を覚ますとまだ夕方で、そのまま何もしなかった一日のことを頭の中でぼんやりと考える事がある。
この句はそんな二度寝の句ではなくて、眠りから目覚めるとき、目を開くことと意識が覚醒いくことのズレや身体と意識がズレながらも目覚めへの移行のなかで一致していくような微睡と覚醒のなかで秋の暮れを認識するような句なのだと思う(そう思っているだけなのだが)。
似たようなものに金縛りがあるが、あれは身体の目覚めと意識の目覚めがずれた結果起こるもので、私もたまに金縛りに合うのだが、いつも不思議に思うのはあの瞬間私は目を開けていたのかどうかと言うことで、金縛りに合っている間は視覚的な認識が働いているのだが、後から思い出すとあれは脳内のイメージだったような気がしてくる。身体的な覚醒と意識の覚醒のズレによって金縛りが起きているのなら、あの時見ていたイメージは直接見たものではないのかもしれない。それ故に金縛りのときに幻覚をよく見るのだろう。
微睡んだ意識のなかで認識された秋の暮れが現実の秋の暮れへと移行するその途中のどこにも定着していない秋の暮れがあり、目覚めと共にあの秋の暮れは現実の秋の暮れだったのだと秋の暮れのなかで気がついていく。
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