旅行、沈黙は金、雄弁は銀、実況は全階級制覇ぐらいまっきんきん
4月の初め、友人からの誘いで関西の観光地へ行った。その土地を住処にしている方がアテンドしてくださり、今回は新しくできた宿泊施設を利用できるとのことだった。
以前から何度か訪ねているその場所は、古くから続く祭りや、建物、お城など、いわゆる観光地あるあるみたいなものもあるのだけど、駅を降りた瞬間からフッと体の緊張が解けるような心地よさや、なんでかわからないけれど皆が思う祖父母の住む町のような、平屋が続く通りや、家と家の間をつらぬく細くて湿った小径で溢れていて、その空気を体験するだけでも訪問の価値が十二分にある。
観光客の身分だから言えるが、会話がなくとも成立してしまうあの土地に行くと、ひどく緩和をしてしまい、途端に喋るのが億劫になる。
今回の旅行は、友人合わせて10人近くいた。そもそもこの集まりは、学校の同級生とか、最近よく遊ぶコミュニティみたいなものではなくて、ふわっと顔を知ってる、文字通りの「顔見知り」であった。だから、特有の内輪ノリとか、のちになんで面白かったのかを言葉にできないあの出来事が生まれにくい状況にあったと、今になって思う。
集まった面々は前から付き合いのある友人、SNSで見かけたことのある人、マジで何にも知らない人で構成され、私の場合、ほとんどが後者二つであった。各々に共通の友人がいるから、話すこと自体のハードルはかなり低いけれど、それぞれが別々のコミュニティで構築した関係性、性格があるから、時にちぐはぐなやり取りが垣間見えた。
ここで問題が2つ浮上する。一つは内輪ノリが通用しないこと。内輪ノリといっても、先ほど挙げたような関係性のことだが、例えばいじられキャラで通っているのに、初めましての人がいるから、最初からそのキャラで行くのは少々段階が早いということ。
人となりが分かってから、または時間の経過を辿らないと「いじり」「いじられ」は成立しないと私は思うので、友人にいじられ、それを返しても、初めましての人はなんのことかさっぱり。置いてけぼりにしない為に、そこで説明を入れるのも興醒めする。
もう一つは、初対面の人に使う「初めましてフォーマット」が、非常に使いづらい状況にあること。初めまして、〇〇です。〇〇が好きです。〇〇やってます。今日は〇〇から来ました!
など、自身の性質を伝える会話をするタイミングが本当にない。ある程度短い時間で済ませることは可能だが、それは飲み屋や公共の場など、任意でその場面から抜け出せるような場所でないと難しい。
旅行という、ちょっと悪くいうと集団行動を強いられる場所だと、割と腰を据えて話す必要があるのでは、と感じる。
加えて人数は10名弱いる為、長く会話をしようとすると、わらわらと他の人がやってきて、自然と話題が変わってしまう。そうするとそのフォーマットが宙ぶらりんになって、どの立ち位置で話せばいいのか全くわからなくなる。
それぞれのコミュニティから参加、という大きな要因から発生する2つの問題。要因と問題が縦横無尽に絡み合い、「旅行」という拘束された時間軸を全員で進むことで、内輪ノリも偏屈な笑いも阿鼻叫喚も実現できない、初めましてなのになんか仲良い感じ風のコミュニティが出来上がってしまうのだ。
側から見たら、むちゃくちゃな悪口に見えるが、本来は話したいのである。友人が集めたメンバーであるし、全員気立ても良くて、境遇も違うから掘ってみたら絶対に面白そう。その期待があるからこそ、この曖昧な共同体にさらなるモヤモヤ、もやもやもやを感じていた。
アテンドしてくださった方も非常に良い方で、まさしく絵に描いたような素敵な大人、そら最高やろどっこいって感じでマジで思考が幼くなるくらい聖人君子であったが、上記の斜め思考が邪魔をして話せなかった。
その日の夜、これまたアテンドしていただいて、屋形船でご飯をいただく、というイベントが催された。普段なら「酒なのか船なのかわからん酔い方するわい!」なんてちゃぶ台をひっくり返すがごとく不参加表明をするのだけど、船着場までの道すがら、もやもやもやはわくわくわく!に変わっていた。
到着とほぼ同時に船に乗る。屋形は低く、中腰で用意された座敷に座る。
持ち込んだお酒を開け、乾杯。ご飯は美味しい。地酒も旨い。夜の水面をのっそり進む船の窓から顔を出すと、緻密に設置された光が満開の桜の木々を照らす。一言でいうと、むちゃくちゃ良い。綺麗だ、綺麗だッッッッッッ!
緩くなった口元を戻さずに、座敷に体を直す。その瞬間、これまで感じていた要因と問題がここで溢れ出る。
屋形船という特殊な密室空間に人々。まだ関係性が出来上がってない、各々で会話をすると、すぐに全員の話題になってしまう。これはマズイ。相当マズイ。何一つ話ができない。
誰かが投げた会話のボールを、適切に変えそうとすると、「なになにー?」と横槍が入る。説明をする、会話を積み上げてる途中だったから、クライマックスもハイライトもない。マズイ。これ、話してないのと一緒だ。私の中のわくわくわくに、後少しでわくもう一つがつきそうだったのに、一瞬でもやもやもやもやにすり替わった。
息苦しさから逃げるように外に目をやる。お酒を飲む。同じように桜を楽しむ観光客を眺めながら、人見知りスイッチが入ってしまった自分を悔やむ。
その時、仲間内のひとりが声を上げる。
「綺麗だね〜!すごいね〜!本当にいいところだね〜!」
それだけでよかった。屋形船で食う飲むしながら見る景色の感想を言うだけで、盛り上がった。そのくらい、素敵な場所だった。
変に気を遣いすぎて、いや、自分に対して興味を持ってほしくて何を言おうか、どう合いの手をいれたら面白がってもらえるか、そんな自分中心のことばっかり考えていたせいで、殻に閉じこもっていた。至極真っ当なこと、目の前のことを言うだけで、こんなに会話って生まれるのか。。。
それから、コミュ力ってなんだろなって考えて、話が面白いとか、人の話をよく聞けるとか、たくさんの事由はあるけれど、実況ができるってのも、また大きな要因なんだろなと。そう感じた。
せっかく素晴らしい場所に来てるのに、その美しい風景や匂いを実況するだけで、会話は成立するのに、私は何を考えていたのか。
承認欲求とか自己中とか、いまだにシンジくん的発想を抱えているせいで、なかなか人と話せない。それっぽく話せない理由をつらつら考えて、俺のせいじゃありませーんって結論づけたのダサすぎんな〜〜とまた殻に閉じこもってしまって、屋形船から出た後は悲しい寝してしまった。
次の日も同じことを引きづり、旅行中散々独りになってたのにまたひとりになりたいと思ってしまって、途中で帰宅することにした。昼間の鈍行列車に揺られて、数時間外を眺めている時間は、それはそれで大事なひとときであった。
家に帰って飼っている猫たちに、一通り話して、体をスリスリしてもらって、絶対に他の人には聞かれたくない声色で
「やっぱりキャワみちゃんだねあなたたちは」
って言った。
以上感想。面白かったけど、閉じこもるのはちょっとずつやめたいですね。
集まった彼らとは必ずどこかで会うだろう。その時は、まあまあ踏み込んで
話そうと思います。
終わりです。
あとがき
屋形船までの道中、酒屋さんに寄ったのだけど、レジ担当してくれた店員さんがドチャクソ美人で、ほとんど話してなかった眼鏡の男の子に、
「しっかり見たいから眼鏡貸して!」
って言ったの思い出しました。
快く対応してくれました。それするなら仲良くなれよ。
タイプの顔はオズワルドの畠中です。
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