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20代を迎える方も!終わった方も!必見!マル秘!30歳からのともだちづくり!〜これで私もできました〜

そんなものあるかあ!

転職や引越し、結婚、なんか学生時代から思想変わってない?そんな絵文字使ってたっけ?LINEのタイムラインなんか更新すなよ、などなど、こじつければ森羅万象といってもいいくらいの理由をつけては、私たちは友達をすり減らす。大人≒社会人になってしまった我々は、凝り固まった価値観がたっぷり入ったすり鉢から、もう出られないのかもしれない。

いろんな理由によってぼこぼこ友達が脱落し、また他の人たちも私という選択肢をなくす。高校の部活引退後、受験勉強がしたくなくて、毎度チャリを走らせては、スーパー銭湯・はなまるうどんの黄金ルートを辿り、ほかほかの頭のままになんでもない話をしていた彼らとは、成人式以来会っていない。

小中高の友達はほぼ脱落、というか会うことのないまま、これからも多分会わないのか〜と感じている。大学時代も、新卒で働いた会社も、フリーターの時も、なんだったら数ヶ月前まであんなに喋っていた友達も、ほとんど連絡を取っていない。お酒の席に呼ばれたら大体行くし、おでかけはちょっと渋るけど、それでも行くと思う。それなのに、なぜか友達がいなくなってゆく。

もう一つ、なんでかわからないけどSNSで繋がってしまっているせいで、直近の動向は見れちゃう。これがまた厄介で、粗を探す姑みたいに、ちょっと自分と合わなさそうな話題とか雰囲気を見てしまうと、自分なんかと会っても話合わないだろなあ≦つまんなさそうやしこの人と会わんでもええかあと身を引く。それでさらに穴が空く。

かといって自分も家の猫くらいしか投稿しないし、真剣に可愛すぎてギュンギュンして上げちゃうけど、大多数の人たちはマジでどうでもいいと思う。自分はべらぼうに楽しいって思ってても、一緒にその場にいないと盛り上がれないことだけを共有するのがSNSだ。人のカラオケ見て何がおもろいんすか?自分も酔っ払ってたら上げちゃうから何も言えないけど。

知り合いとつながるから良くないSNS、見ず知らずの人たちと、チラ裏の話をすればよかったのに、なぜ私たちはあんなものに惑わされ、友達をすり減らすのか。それはそれで書けそうなので置いておくが、とにかく友達がすごい勢いで減っていくのだ。厳密にいうと、自ら減らしにいってるのだ。

友人残量はもう仕方ない、会いたかったらカッコつけずに連絡して約束を取り付けるしか方法はないと思うので一旦置いておく。今度は、「減らすなら、増やせばいいじゃんお友達」を考える。

個人的な意見だが、友達減るわ〜論の肝は、「増やす」行為にあるのでは、と思う。オチを言うと、「別に増やさなくてもいいや」と思ってるから、友達が減っていく。その要因を、一般的なものから個人の考えにグラデーションさせた3つの観点に分ける。

①エネルギー

みんな言うやつ。「今更友達作るのエネルギーいるわあ〜」「外に出歩いてまではねえ・・・」「イベントで声かけるとか無理でしょう?」本当にそうだと思う。初めまして〜を一通りやって、なんだか趣味嗜好が合って、逆に全然違うけど、リズム感がおんなじで、ゲラゲラ笑って、じゃあ連絡教えて〜で交換する時に、

「今度の〇〇いきましょうか〜」
「えっ?マジっすか?ほんまにいいんすか?」
「いやさっきいこ言ったやん!」
「やった〜!いきますか〜!連絡しますわ〜!めっちゃ最高っすね〜!久しぶりに友達できたわ〜!!」

でめちゃくちゃスムーズにやり取りして、後日遊ぶ確率、どれだけ低いの?もしかしたら1回もないかもしれない。いや、ない。そりゃあるけど、ないって思っといた方が楽。行きたかったのに、結局流れちゃったら、それはまたエネルギーすごい減るので。

社会人は自由だ。学校みたいに、人間関係まで強制されることがない。だからこそ、ポジティブでもネガティブでも、2度目ましてができなかったら、内心もうええかと思ってしまう。あんなに盛り上がったのに。あと、社会人の初めましてって大体夜か、昼だとしてももう川とかお出かけみたいな、特別なイベントの時しかない。そんな時に盛り上がっても、日常の私があなたと話せるはずがない。夜見えなかったかもしれないけど、目のクマすごいから恥ずかしい。

②実は今まで1度も友達増やそうと思ってなかった

上述とかなり近いけど、これまで学校とか同級生、部活、サークル、新卒の同期みたいな、小さな社会で関係を作るしかなかったから、当然その中の手札から選ぶしかない。選ぶ、というか、手札が固定されてるので、いろんな角度から友達ができる。高1の頃、結構しっかり孤立してたのに、唯一話してた野球部の人気者がクラスメイトに「あいつと話してやってな」と一言くれたからとか、タイムスクープハンターとパトレイバーの話しかしないけど、それがまあ面白くて仲良くなったとか、毎朝どっちが先に挨拶ができるかを競うだけとか。全然面白くないけど、狭いコミュニティにずっといれば、不思議と友人が出来上がっていく。

やっぱり社会人は自由だ。青春の檻に囚われることもなく、面倒であれば関係を解消すればいい。その代わり、こっちから付き合いを増やす努力を怠ると、次の日レベルで友達がいなくなる。さらに、新たに運用するお金の大きさという、もう一生逃れられない鎖につながれて、自由の風味だけ残したベン図の中で友達を形成するしかない。増やしたいのに、全部が邪魔をする。しっかり目の無理ゲーを強いられている。


③目見れない

ずらっとそれっぽい理由並べたけど、何よりも絶対これだと思う。目を合わせられない。社会人になってからずっと見てない。大人どうしが目を合わせるの、めちゃくちゃ恥ずかしい。1秒でもハードルが高い。接客とか、打ち合わせとか、「仕事スイッチ」が入ってやっと.5秒くらいいける。プライベートであんまり交流がない人と話す時、これ以上盛り上がらんくらい騒いでても、結局見ない。だから友達ができない。目を見ないとその人がわからないし、自分のことも伝えられないから。なんでも話せるバーの店主は、みんな目を合わせてくれる。今気づいたけど、顔が広そう、気さくな人は、こっちがロンドンにいてもパリにいても、どこからでも目を合わせてくる。だから愚痴とか、言わんでもいい日常を言えちゃったりする。また飲みに行きたいなって思える。

共通の行動があるってのは、「目見れない」問題を解決させる大きな要素だと思う。例えば、音楽やってる人ならば、それだけで共通項があるのに、セッションしようなんて一緒にスタジオ入っちゃったら絶対目を合わせる。相手の出方を見ながら、こっちはどのフレーズを叩き込もうか、なんてみんなで視線をおんなじにしてメロディを作っていく。そらあ仲良くなるだろ。演奏聴いたらどんなやつかわかるってみんな言うもん。

スポーツもそうだ。フットサルなんか走りながら声出してめっちゃ目合わせる。見知らぬ人とやっても、目を合わせることに対する摩擦係数がない。え、めっちゃいいじゃん。素敵なアクティビティだよ。やりてえ〜〜。

自分にとって、友人とのコミュニケート以外で己を出すのは、たま〜〜〜〜に書く文章だ。書いても書いても伝えたいことの2割も表現できないし、剥き出しの自意識を垂れ流すだけだから、なんか性格めっちゃ悪そうに見える。現実ではいつもへこへこしてるし、燃えるゴミの日に燃えるゴミ出すし、バカの一つ覚えでコンビニの店員さんに「ありがとうございます」って言う。なんかの拍子で間違って舌打ちに聞こえそうな音が出ちゃったら、「舌打ちみたいになっちゃったっ」ってさまぁ〜ずのようにデレっともする。言葉で考えを表現しようとするから、音楽みたいに、フットサルみたいに、言語ならざるものが伝えにくい。行間を読ませたいけど、えらく難しい。30なったらギター買ってやろうと思ってたのにいまだに買ってないし、もっとハードル低そうなフットサル、人生で2回くらいしかやったことがない。スポーツ好きなのに。


ものは試しだと思って、休憩中にいつもいく喫茶店の店員さんの目を凝視した。あと、店内でふと目が合ったにいちゃんサラリーマンもじっと見つめた。サラリーマンには、フットサルやりません?って目で訴えた。

逸らされた。大人だもんね。
いつか、本気で目を見て、自分の思いを伝えたいです。そうすれば、どんな内容でも、みんな認めてくれるはず。






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