「ちゃんとしなさい」の呪い
年をとるごとに、家族から言われる「ちゃんとしなさい」へのダメージが大きくなっていく。
過去2〜3年間「私が消えても誰も悲しまないんだろう」と思い続けていた私はもういないはずだった。
でも、「ちゃんとしなさい」の言葉を聞くと、その気持ちが無意識から意識へのぼってきそうになる。
なぜかモヤモヤする言葉に私はなるべく感情を揺らされないように、他のことを考えることで逃げてきたが、一度向き合った方が楽かもしれない。
私の歪んだレンズから見ると、「ちゃんとしなさい」は、「今ちゃんとできていない私はダメな人間だ」という言葉になる。
それを言われて、「だったらやってやる」という精神を持ち合わせていたらいいものの、私の場合「頑張っても、どうせダメな人間なのだから、虚しいだけ」となっていく。
「ちゃんとしなさい」の一言で、この自己否定のループ。なんでそんなこと言うのという少しの怒りが悲しみに変わって、どんどん底へと沈んでいく。
一言一言で傷ついてたらキリがないけど、そんな人間だからしょうがない。
そもそも「ちゃんと」って何か調べてみると、
・少しも乱れがなく、よく整っている
・確実で間違いのない
・結果が十分である など。
言ってる人や世間の考えるパーフェクトな状態に合わせるイメージを持った。
え、普通に無理じゃない?
①言っている人の思う「ちゃんと」が分からない
②分かったとして、完璧にできる気がしない
俯瞰してみて、「ちゃんとする」ことを良い意味で諦められる気がする。
完璧主義な人ほど、「ちゃんとしなきゃいけない」と思うかもしれないが、パーフェクトなんて無理なので、ほどほどでいい。
人のちゃんとしてない部分を知って、良いなと思ったりもする。
なんかずっと「ちゃんと」って言葉を見てたら、全体的に丸くて可愛いかも。
「ちゃんとしなさい」って言われたら、相手の思うちゃんとってどういう意味?と思いつつ、しんどい時は、ああ、文字にすると丸くて可愛いやつね。くらいのマインドで生きる。