あぁ、ちょうど、嫌について、書こうとしていたのですよ。
みなさん、こんにちは。今日も、お疲れ様です。マークです。エムはイヤイヤ期を経て冬眠に入りました。私も、今回、ちょうど、「イヤ」について書こうとしていたのです。火曜日に。ところが、気が付くと、今日は木曜日なのです。特に、イヤだったわけではありません。まぁ、生きていると、毎日、イヤなことはありますが、特別、何か、イヤなことがあったわけではないのです。いつものように、習慣として、記事を書こうとしいていたら、木曜になっていたのです。そして、意外と、こういうことがしょっちゅう起こるのです。
昨日、別のメンバーは、「片足まで靴下をはいた記憶があるのだが、もう片方をはいた記憶がない。でもいま、ちゃんと履いている」という話をしていました。私もコーヒーを入れた記憶がないのですが、今、目の前に、コーヒーがあります。
きっと、これを、昔の人は「小人」だと言っていたのではないでしょうか。
ちなみに、やる気はだそうとしても出るものではなく、やる気がない状態で行動しているうちに出てくるものだそうです。つまり、イヤイヤやることが大事だそうで。やる気が出るまで待たないことが重要だそうです。
ホリエモンの本では、イヤだと思うことは仕事にするなと書いていました。好きなことだけ仕事にしろと。でも、世の中のほとんどのひとは、好きなことを仕事にできていないのでは?と思ったり。
で、「イヤ」ってなんなんだろうなって思ったわけです。
「疲れているから休め」
のシグナルだという人がいます。別に疲れていないのです。でも、そういうと、「自覚がないだけだ」と言われるわけです。
「ストレスが溜まっているのだ」
という人がいます。でも、特に溜まっていないのです。ゼロではないですが、いつも通りなのです。
「危険だ!避けろ!」
というシグナルだという人がいます。はて?
例えば「苦い」は「食べられない。毒だ。やめておけ」だそうです。動物の種類によって苦いと感じられる味は違うそうです。そうやって、危険なものを食べないようにしているのだそうです。
で、「イヤ」は、なんなんだろうなと。
「不利益を被る系」であることは間違いなさそうなのですが、また、シリーズで考えてみたいと思います。