原題の「Speak No Evil」は悪口を言わないという意味。 悪口を言うことは悪いこと、勧善懲悪を美徳と我々は育てられたが、それは真実ではない。 分かっていても、身に起きる出来事には勧善懲悪のものさしを当てて測り、いつまで経っても理不尽さを抱え生きている。 大体の人間は、よい人間であろうとしながら、時々悪意を持った行動をするくらいだろうか。 そんな“どっちつかず”に対して、悪意は真っ直ぐでシンプルだ。 皮肉だけれど、悪の純度の高さを映画という形で見せつけられた。 個人的
アウシュヴィッツ収容所の所長ルドフル・ヘスとその家族の生活。 その美しい新居は収容所の隣。 そんなに高くもない塀には有刺鉄線が張り巡らされ、時折、銃声や収容されているユダヤ人の叫び声が聞こえ、煙突からは頻繁に煙が上がるが、殺害の様子などは一切なく、家族の生活を淡々と描く。 ドラマチックなできごとは一切なく、善悪とか感情のない、フラットな2時間。 こんな風に戦争や分断を俯瞰で見る、それもナチス側に立って、という作品は初めてだ。なんの作品を観ているのかを忘れるほど、太陽の日差し
やだ、涙が止まらない… “痛み”を共通言語として、映画を通して自身の経験が癒され浄化する経験は何度かあるけれども、リュック・ベッソンの描く“痛み”には私はチャンネルがぴったり合ってしまう。 “レオン”なんて取り扱い注意作品だ。 うっかりそれを忘れて(正直いえば、タイトルに惹かれて怖いもの見たさで観に行った)、止まらない涙で字幕は読めないし、嗚咽しそうなのを必死でハンカチで抑えるあまり、苦しくて、初っ端から大変な鑑賞となった。 リュック・ベッソンの作品の魅力は80、90年代の
「ミッド・サマー」、「ヘレディタリー/継承」のアリ・アスター監督×A24の3作目、鑑賞をとても楽しみにしていた。 (ちなみに私はヘレディタリーが大好きだ) 飲み物を控えて、もしもの場合に備えてトイレに行きやすい席を選び…と3時間に及ぶ上映時間に備えて万全の対策で臨んだが、上映が始まると、引き込まれてしまい、時間の長さは忘れてしまった。 4部作でそれぞれのセクションがすべて魅力的なので、まるで別々の映画を4本観ているくらいの濃密さ。 振り返ると、個人的にはファーストセクション
天才外科医によって蘇ったベラが、偏見の多かったであろう時代に、平等と解放を自身も学び、周囲にも影響を与えながら冒険する様を、豪華な映像美で描いたヨルゴス・ランティモス監督の最新作。 一文無しになったベラが選んだ職業が娼婦、というシーンに、やっぱり話はそっちにいくのか…と正直、思ってしまったが、当時女性が自立するとしたらこの方法しかなかったのかな、とも考え直したり。 映画という映像の表現に於いて、男女間のパワーバランスを描く方法として、“娼婦と客”という方法を用いられることに
ブライアン・デ・パルマの傑作がデジタルリマスター版。自分が生まれた頃の作品(それも真の傑作)を大画面で観られるなんて幸せ! デ・パルマ監督はヒッチキコキアンということだが、工夫を凝らしたカメラワーク、70年代のクラシックと現代的なバランスが絶妙なファッションやインテリア、バーナード・ハーマンの音楽、とヒッチコックのエスプリを尊重しながらも、散りばめられたエレガントな演出はデ・パルマ監督の「芯」となっているのを感じた。 シンプルなストーリーの中に、戦争、人種差別、女性の社会
イラストのタッチ、編集のやり方などなど、仕切り直して再スタートです。 今年初の映画は「サンクスギビング」 なんとも新年に相応しい! タランティーノとロバート・ロドリゲス監督「グラインドハウス」のフェイク予告だった作品を、丁寧に現代風に作り上げた作品。 80年代のオーソドックスなスプラッターを軸に、現代の技術がさらっと効いていて、連続するグロいシーンの中にしつこすぎないギャグがテンポよく入り、疾走感が気持ちいい。 3分に一回くらいのゴアシーンは結構キツめがだが、犯人探しのスト