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デジタルで変わった!ー写真ー

写真

これは私の生活が激変化した要素といっていい。
フィルム不要、現像不要、印刷はできるんだけど基本不要、保存に場所を殆どとらない。しかも、撮ったらすぐに確認できるから、失敗作は即削除。上書きできるし、スマホのおかげで世界中の誰かと即時共有できてしまう。写真を共有するのに手間もお金もかからない。
これは本当に素晴らしい!!


フィルムカメラにも良さがある。自分で現像してた頃も有ったので暗室の心地よさを思いだせばため息もでるのだが、たった1枚の良い写真を撮るために沢山のフィルム、沢山の印画紙、大量の水が必要だし、なんといっても現像液は有害物質が含まれる処分に注意しないといけない液体だ。

フィルムカメラはあくまで自己責任でたまーに趣味としてやる分には最高のチルタイムになりそうだけど、業者に任せて世界中の人々が日常的に写真を撮っていたら環境に良いとは言えないだろうし、さらに残念ながら大量にストックされたフォトアルバムはごく普通の家の中でも負の遺産になりかねない。

(ここまで書いてて、世界中でとんでもない数のデジタルデバイスが出回っている事に関しての環境問題はどうなんだろう?とふと思ってしまったけど、今回はあくまで、自分自信が受けた恩恵に焦点を当ててみる)

事実、私の父は旅行での写真撮影が大好きで、文字通りとんでもない量の
フォトアルバムを遺して逝った。

遺品というのは残された家族が保管しておきたいと思える物は、ほんの一部で多くの場合は本人にしかわからない宝物だったりするものだ。

きれいに整理されてアルバムとして鎮座している大量の写真。それだけでなかなか処分に踏み切れない。その物理的な存在感が撮った者の思い入れを反映しているからだ。それでも、心を鬼にして処分しようと決意したのだが…。
これが、人が写っているだけに適当に燃えるゴミとして出すのも憚られ、そこまで気にしなくてもと思いながらも1枚1枚アルバムから剥がし手で破くことを供養と決めて、アルバムそのものもプラと紙に分別しての処分。ネガも別にあるから、こちらも念の為ハサミを入れての処分と、なんだか地味に大変な作業になってしまった。
そして、数年経つけどまだやり遂げてない。機械的に手を動かせばできるんだろうけど、どうしてもものすごいエネルギーが必要で捗らない。

だから、そういう意味でも写真のデジタル化の恩恵は計り知れない。
なかなか捗らないアルバム処分だけど今は絶対処したくないなと
私が思うものも混ざっている。
そういう写真はデジタル化してから原本を処分することにした。
原本の劣化も進んでいて、カビとかダニも心配だったから
今ここにあるものもデジタル化できちゃうところも本当にありがたい。

デジタル化した画像なら、劣化や破損が気になるからと保存先を変えてバックアップとっても邪魔にはならない。子供が昭和という時代に関心を持ってくれたころに、見てもらえるかもしれない。

もちろん、私自身が撮ってきた写真も、これから撮るものも
デジタル化の恩恵を取り入れてミニマムに整理していく。
子供に私と同じ思いはさせたくないというのもあるし、
将来的に自分の所有物が残されたものにとって
ゴミだという負の感情を抱かせて逝くのはなんていうか、
私自身が忘れものをしている気がして嫌なのだ。


#デジタルで変わったこと





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