初夢の歴史
一月二日に見る夢を初夢と言い、その内容で一年の吉兆が決まる。というのは誰もが知っていることだ。
そもそもなぜ一月二日に見る夢を初夢と言うのか。年が明けて初めて見る夢なら一月一日に見た夢の方が良いんじゃないのか。そうすれば正月に集まった誰かと「俺こんな初夢見てさぁ」と盛り上がれるというのに。
調べてみると昔は大晦日を寝ずに過ごす夜不寝講(よねんこう)が行われていたらしい。寝てしまった者は寿命が縮むと、老人のように眉を白く塗られるそうだ。
寝ずに正月を迎え、そのまま宴会をしていたとは恐れ入った。昔は新しい年を迎えてから一番最初に寝るのが一月一日の夜、つまり一月二日に見るのが新年最初に見る夢になる。
ならば徹夜のできない私は一月一日に見る夢を初夢と言ってもいいだろうか。それともどちらか良い方の夢を初夢と言うことにしようか。
宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると良い初夢が見られる。江戸時代には商人が早口で「おたから…おたから………」と宝船のを売り回っていた。今そんなことをしたらギャングに確保されそうなもんだ。金を出してでも験を担ぎたい江戸時代の人はどういう生活を送っていたんだろうか。
さらに初夢は「一富士二鷹三茄子」の順に、見ると縁起が良いとされている。この後には「四扇五煙草六座頭」と続く。(この先も十まで続くらしい)
今見るとなにが縁起が良いのか全くわからない。扇は祭りの時にも使われるし末広がりで縁起がいい。煙草は宴会には欠かせないし、みんなが集う。煙は上に上がって運気上昇。座頭はスキンヘッドだったから「毛がない=怪我をしない」という江戸時代の人の大好きなダジャレで縁起が良いらしい。今の世の中、座頭を夢に見る人もいないと思う。
もしこれを現代語訳すると「一富士二鷹三茄子四ピラミッド五ドローン六海老蔵」とかでもいいのでは。とにかく見たものを全て縁起ヨシ!と言ってのける江戸魂は粋なもんだ。