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常識の正しい壊し方

コロナがやってきて、いよいよ古い常識が力を失い始めました。コロナがやってくる前から薄々感じていた人も多かったかと思うのですが、それが実感されたのがコロナ禍でした。
常識の力が落ちているいま、常識に縛られていては自分らしく幸せに生きることは難しくなりました。でも、かといってどんな常識でもただ破壊すればいいかというと、それはちょっと短絡的だと思うのです。

常識は法律とは違う

常識や社会通念というのは、「確かなもの」という雰囲気をまとっていますが、じつはとても曖昧です。法律ならば、ちゃんと明文化されていますし、その解釈も確立されています。でも、常識や社会通念は違います。どこにもまとめられたものがないのにもかかわらず、「社会通念に照らして判断する」みたいな言い回しがなされています。

こう考えると、ちょっと奇妙ですよね。

例えば、道路の速度制限は道路交通法で定められています。時速40キロ制限の道路を、40キロ未満で走っていれば、法律違反にはなりません。
でも、その道路を大勢の子どもたちが歩いていたとしたらどうでしょう? 30キロで走行していても、危険な場合があります。

そういうときに、30キロで走るのは常識ですよね。法定速度を守っているんだからそれでいい、ということにはなりません。常識が大切であることの、ひとつの例です。

常識に囚われて自分らしく生きられない

常識があることで人が守られる側面がある一方で、それが檻のようになり、不自由さを感じる人たちもいます。常識に合わせると、自分の自然な動きが阻害される場合、常識は自分らしさの障害になります。

そんなときに、「常識は大切だから尊重するしかない」と考えては、自分を粗末に扱うことになります。また、「常識なんて知るかよ!壊しちゃえ!」とやってしまうのも、かえって生きることを難しくしそうです。何でも手当たり次第に壊すのは、ただの未熟さであり、視野の狭さの表れです。

常識は守るだけでなく、どう壊すのかということが、ポイントになるということです。

どのように常識を壊すのか

以前、学生や主婦や社会人で集まる、会議を設定しようとしたことがあります。みんな活動時間帯が違うので、なかなか全員が集まれる日時が見つかりません。平日の夜なら集まれるのではないかという意見が出たときに、こんな反論がありました。

「夜? 主婦は夜は出られませんよ。非常識です」

僕には理解出来ませんでしたが、そこで話がとまってしまいました。その時、しばらくして、

・なぜ、主婦は夜の外出が出来ないのか?
・外出不可の時刻は、具体的に何時のことか?

という話になりました。こうやって粘るのは、常識に対抗するときにとても大切です。ただ粘るのではなく、話の解像度を上げるのです。

解像度を上げて常識をとらえなおす

その時は、「子どもがいるし、旦那も帰ってくるから、出られない」という人と、「子どもがいても、旦那さえ帰ってきてくれたら出られる」という人がいることが分かりました。もちろん、良い悪いではなく、各家庭の事情や考え方があるのは当然です。

でも、そのやりとりをきっかけに、最初「出られない」と言った人が、ご主人と話し合ったのです。その方いわく、「あっけないほど簡単に、どうぞ行ってらっしゃい」と言われたとのこと。

もちろん、話し合っても難しい場合もあり得ましたが、常識を壊すときには、どこがどう問題なのかという具体性のレベルまで解像度を上げ、その上で問題がないと判断した部分は壊していく、というのが妥当に思えました。

そうした壊し方は、人にやさしいですし、人を自由にします。また往々にして、関係性のどちらか一方だけでなく、両者を自由にします。

常識さえ多様化する時代です。常識の壊し方を洗練していく必要がありますね。

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