本当は一人ひとりが「じゃないほう」 - 連載『ことばの灯台』再始動に寄せて
本当の自分は、みんなと違うかもしれない。
家族、恋人、友人たち──社会のスタンダードとは違うかもしれない。
正直な気持ちにとことん向き合う
自分の正直な気持ちにとことん向き合えば、「本当の自分」に出会える。同時にそれは、周囲に合わせたり教えられたスタンダードをなんとなく選んでいたりする「いつもの自分」の姿を俯瞰することになるかもしれない。
「自分はみんなと違う」という思いは、しばしば孤独感や寂しさを呼び起こす。孤独や寂しさはまるで悪いことのようにいわれることが多いけれど、本当にそうだろうか。少なくとも僕は、孤独感や寂しさは、より自分らしく生きるための翼になると考えている。
「みんな」なんて存在しない
それに、「自分はみんなと違う」というときの「みんな」って、誰のことを指しているのだろう。それって、ちょっと上から目線じゃないだろうか。
世の中で「スタンダード」とされているものは、生き方であれ行動様式であれ何であれ、それらしく整って見える。でも、「スタンダードな人」なんているのだろうか。もしそういう人がいるとしたら、じつはかなり「変わった人」かもしれない。でも、そう考えると、スタンダードな人=変わった人になってしまう。それって何か変だよね。
一人ひとりが「じゃないほう」
教えられたスタンダードをなぞることに希望を見出せなくても、時間になれば仕事に出かけて、家事や子育てをし、やるべきことをやらなくてはならない。それが普通だし、それを「幸せだ」と感じなくてはならない。
でも、そこにどうしようもない違和感・息苦しさ・嘘っぽさを感じる人もいる。僕もその一人だ。そういう差異が人々にあることに、僕は善悪や優劣といった評価基準を用いることを留保したい。
本当は、一人ひとりが「じゃないほう」。胸に秘めた「透明な絶望」を口に出すことさえできないのなら、まずは胸のなかの本当の気持ちを照らして、それを書いたり、話したりすることから始めよう。ことばを光としよう。
もし、スタンダードの延長線上に答えや居場所がないのなら、新しくつくればいい。ポストスタンダードな生き方を、一緒に探しに行きませんか。ぜひ、下のマガジンをフォローして、灯台の光をキャッチしてください。
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