代償行為としてのSNS
代償行為とは、自分が一番求めるものが得られないときに、本質は異なる別のもので元の欲求を満たそうとすること。SNSは何の代償行為になり得るのでしょうか。
不健全なSNS習慣
SNSがあることの代償行為になっていることを示唆する記事が、ウォールストリートジャーナルに掲載されていました。
記事の中では、幼少期の生育環境との関係でこうしたSNS依存に陥るかどうかが影響するという話に展開していくのですが、そもそも完璧な生育環境というのは存在しませんので、誰にでも起こり得ることだと受け止めるのが妥当だと感じました。
本当に話したい相手、話したいこと
お年寄りが、誰かをつかまえて延々と話をしているのを、見たことがあります。聞いている人は、話の内容にも話し手にも興味がない様子なのに、お年寄りは構わず話し続けます。
人はすごく寂しいと、誰でもいいから話したいと思うことがあります。これ、年齢は関係ありませんよね。
「専門家」に言われるまでもなく、当然ですよね。本当に話したい相手や、話したいことがある場合、やっぱりその人に会って話すのが一番です。それが出来ない場合、どうすればいいのでしょうか。
SNSだけでなく、いよいよメタバースの時代がやってきます。どこにいてもだれとでもつながれるようで、本当につながりたい相手とはつながれないのだとしたら、その楽しみの本質が代償行為なのだとしたら、ちょっと残念ですよね。
もっともっと、身のまわりの人と話そうと思います。
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