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「お手伝い」は意外と難しい

「お手伝いだったらできます」って、気軽に言われがちだと思うのですが、世の中で言われているほど「お手伝い」は気楽でも簡単でもありません。

子どもの頃に「お手伝い」をした思い出

子どもの頃、母や祖母が料理をしているのを手伝うのが好きでした。手伝うといっても、小学校に入るか入らないかという年齢でしたから、戦力にはなりません。

卵焼きを作ったのをいまでも覚えていますが、母や祖母にしてみれば、僕がお手伝いをしたことで、夕飯の準備の工程は確実に増えたでしょう。幼い僕は「お手伝いをした」「卵焼きは自分で作った」と信じていましたが、実際にはお手伝いをさせてもらったということだったはずです。

れんげ舎でも子どもたちのための活動の場を長年つくっていますが、子どもたちが自分の力で成し遂げるのを待ち、見守り、援助するのは、自分でやることの10倍くらいは大変です。この話、子どもの場合に限りません。

「お手伝いなら出来ます」は本当か?

れんげ舎は非営利団体ですが、いわゆる「お手伝いポジションの人」がいません。それでも、場づくりの支援事業をしていますから、運営相談などを受けることがよくあります。その中で、

「ボランティアのお手伝いの人たちが来てくれるのに、うまく役割を配分出来ない」

という話が出て来ることがあります。自分たちの力で活動を回せるようになる前段階で「お手伝い」の人が大勢入ってきてしまうと、マネジメントが出来なくなってしまうのはよくある例です。逆説的なようですが、忙しくて助けが必要でも、ボランティアのマネジメントをする余力がないと、「お手伝い」を受け入れることが難しくなります。

責任者をやれる人だからお手伝いもやれる

もちろん、もっと自主的に考えて自分で判断し、自分から動けるお手伝いの人もいます。僕も、希にどこかの現場に「お手伝い」のポジションで入ることがありますが、われながら絶妙なお手伝いだと思います。

「自主的に考えて自分で判断する」なんていうと、とっても有能な感じですけど、判断するのはお手伝いの人でなはなく、その場の責任者の人の役割です。ですから、どこまではちゃんと責任者の判断を仰ぎ、どこからは現場判断でやっていいのか、その塩梅を見極める必要があります。

そして、そういうことが出来る人って、責任者もやれるんです。

「責任を負うことが嫌だから、お手伝いなら出来る」と考えられがちですが、必ずしもそうではないようです。

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