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何を信じて生きていく? 盲信と信頼の間

「あなたが信じらものは何ですか?」
そう問われたら、どう答えますか。僕は、色々と考えましたが、最終的には「自分を信じます」と答えるしかないと思います。

デマを信じる心

情報過多の世の中です。何が正しい情報なのか、見極めはとても難しいです。「え?簡単だよ?」と言う人もいるかもしれませんね。すごく明晰な方なのかもしれませんし、もしかすると、見ている世界が限定的なのかもしれません。

コロナ禍もデマが出回りましたよね。普段は下らないデマなどに惑わされないのに、コロナ禍の混乱の際には欺されそうになったという人も多いでしょう。

誰も安全ではいられないコロナ禍の日本では、不安な思いを抱えていた(抱えている)人が大勢います。不安な人は、こうしたデマにつけ込まれやすいのです。

他人を信じたがる心

不安や寂しさに負けそうな人、そういう人の弱みにつけ込むような「商法」があるということは、誰だって知っていますよね。

悪徳霊感商法みたいなのもそうですし、コミュニティに入れて仲間が出来るよ的なことをちらつかせて物販をするような商法もそうです。そうしたものの危険性や底意地の悪さを知っていても、本当に自分が不安定になると、いままで危険視していたようなものに魅力を感じることだってあるはずです。

でも、そんなときに「自分は何を信じようとしているのだろう?」と自問することで、客観性を取り戻すことが出来ます。

弱みにつけ込む方法には、共通する要素があるからです。それは、「あなた以外のものを信じていれば、あなたは大丈夫です」という言い方です。「あなた以外のもの」とは、神様であったり、教祖であったり、社長であったり、究極のメソッドであったりします。

最後は自分を信じるしかない

自分自身を信じられない人が、自分以外のものを信じ込もうとする態度を、盲信と言います。自分が信じられないから他を信じようとする態度のことです。逆に、盲信ではなく他者を信じる態度とは、

「あの人のことは、絶対に信じられる!」

と言い切れる強さが、「あの人を信じている自分自身を信じている」という自己信頼に裏打ちされたものです。自己信頼がないまま他者を信頼することは、構造的に不可能なのです。

もちろん、参考になる意見をくれる人は大勢いますよね。専門家であったり、先駆者であったり、テレビのコメンテーターの意見を参考にする人だっているでしょう。

でも、最後に決めるのは自分です。そこを明け渡せば、危険な盲信が待っていますし、必ず誰かに利用されます。

僕にとっての自己信頼は、心だけでなく身体ともつながっています。あなたは自分自身を信頼していますか? 

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長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIP
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