託さずに自分たちでやり切ろう
「子どもたちに夢を託す」とか「未来に希望を託す」とよく言われます。なんだかとても綺麗な言葉のように扱われていますが、誰かに託さずに、自分たちでやり切る気構えが必要なこともあるはずです。
一世代で終わる仕事と終わらない仕事
サグラダ・ファミリアみたいに、一世代で終わらないような仕事がありますよね。そこまでいかなくても、身近なところでは新宿駅なんかも、ずっとずっとず〜〜〜っと工事をしているので、そんな部類にも入れられそうな気がします。
そういう仕事って、一人の人が最初から最後までをやり切ることが出来ません。また、無理に自分だけでやり切ろうとすれば、仕事の本質が失われてしまう可能性だってあります。
でも、そういう幾世代にも渡る物事だけでなく、自分の代で、自分自身の力で「やり切る仕事」というのもあります。
託された人の身になると…
自分で全然やり切っていないのに、「後は次の世代に託します」みたいな考え方は、アルバイトで次のシフトの人に自分のタスクを押しつけるようなところもあります。もちろん、託された人がそれを「自分の仕事だ」と感じるのなら、いいのですが。
日本人って、「親が叶えられなかった夢を子どもが叶える(甲子園に連れていてあげる的な)ストーリー」が好きですよね。もちろん、子どもの魂みたいなものがそれを選んだのならいいのですが、親は親、子どもは子どもです。
託された側の重荷になるようなことは託したくはないし、何よりも「自分でやり切る」という心構えも大切だと思うのです。
残りの人生を何に使うのか?
ずっと自分で仕事をしてきて、25年経ちました。「場づくり」とか「新しい生き方づくり」みたいな抽象度の高い仕事が成り立つなんて、つくづく周囲のおかげだし、本当に幸運だったと思うし、周囲の支えや幸運を活かすだけの努力もしたとも思っています。
でも、数年前に「これをそこのまま続ければいいのか?」と自問したとき、僕の答えはNOでした。
余力を残して、やり切る心構えがないことに気付いたからです。方向性としては、やりたいことをやっている。嫌な仕事はひとつもしていない。だけれど、やり切る覚悟と態度があったかというと、実態は不十分でした。
もちろん、やり切るつもりでやるのも、そこそこでいいやとやるのも、どちらも正解です。個人の選択で、他人からどうこう言われる筋合いはありません。意見出来るのは、託された側くらいでしょう。
それでも、「自分はやり切るつもりでやっているのか?」という視点は、大切です。そう問うて出た答えに対してどういう態度を取るのか、それは自分の選択です。