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ぼんやりせず自分で考えて自分で決める
人ってぼんやりとしたまま自分の頭で考えることをやめても、結構生きられるもの。なぜって、社会にはぼんやりしている人用の選択肢が用意されているから。そして、まんまと支配され消費されてしまうのです。
次々と差し出される選択肢
自分で考えて決めたと思っている人も、改めて「本当に自分の頭で考えて、自分で決めたのだろうか」と自問する価値はあります。
生き方や進路選択をする際にも、「次はこうしたら?」とか、「AとBとCの3通りありますよ?」みたいな感じで、妙に整理された選択肢が提示されることがあります。その中から“自分で選んだ”のかもしれませんが。
そうやって流れのなかで次々と提示される選択肢を、そのまま「自分の選択肢だ」と信じていいのでしょうか。
ぼんやり生きれば支配される
「普通はこうですよ」
と示される選択肢は、多くの場合、あながたそれを選択することで利益を得る誰かがいます。その人の得ている経済的利益は、あたなのそれを桁違いに上回っています。
次々と選択肢が差し出されているのは、別に神様が見守っているからではないと思うんです。見守っているかもしれませんが、選択肢を提示しているのは、人間です。特にぼんやりとなんとなく生きている人は、格好の標的です。
自分の頭で考えて自分で決めないと、大きな力にどんどん支配され利用されてしまいます。日常のなかで感じた違和感、疑問、「なんかおかしくない…?」という思いが、そうした支配から脱出する輝く鍵です。自分の身体がキャッチした違和感を尊重し、自分で考えて、自分で決める。
地味だけど、自分らしく生きるために大切なことです。
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