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目の前の「欲しいもの」を受け取る力

お皿の上に、ひとつだけおかずが残っています。あなたは「出来れば、もうひとつ食べたいな」と思っています。そんな時、どうしていますか?

鳥山敏子の教え

もう25年以上前、恩師である鳥山敏子さんを含め、数名で食事をしていた時のことです。中華屋さんでお腹いっぱいたべて、餃子が1個だけお皿に残っていました。女性がふたり、ちょうど同じタイミングで箸を伸ばして、

「あ、どうぞどうぞ」
「いいのいいの、食べて!」

みたいになりました。よくあるパターンですよね。

彼女たちはもうひとつ食べたいというよりは、残しちゃもったいないから片付けるという感じだったと思います。その時、鳥山さんが割って入って、

「餃子なんてもう一皿頼めばいいのよ。食べものの恨みは恐ろしいんだよ」

と分かるような分からないようなことを言い、独断で近くの店員に「すみません、餃子一枚!」とオーダー。お腹いっぱいなのに餃子だけまた出てきて、みんなで笑いながら食べました。

僕は、このエピソードが忘れられません。

餃子も受け取れない奴は幸せになどなれない

上のエピソード、ちょっとよく分からないでしょう?

鳥山さんという人は、そういう簡単に咀嚼出来ない、位置付けて終わりに出来ないエピソードをたくさん残していく人なのです。僕にとって、それらはレッスンでした。

解釈云々ではなく、欲しいものを「どうぞ」と言われた時に、素直に受け取れるだろうかと、僕は思いました。そして、餃子なんて安いし(美味しいし)すぐ来るし、足りなければもう一皿頼めばいい──そういう当たり前のことを、当たり前に選べるだろうかと。

そしてこうも思うのです。ささやかな「欲しいもの」さえ受け取れないのに「自分らしく生きる」なんてまったく無理な話なのでは…?

「受け取る」から始まるストーリーを生きる

日本人って、受け取るの下手ですよね。隙あらば奪おうみたいな勢いの人も、「どうぞ」と言われると躊躇して受け取らなかったりします。

「受け取る」って、意外と難しいことなのかもしれません。

目の前に欲しいものがあったら、素直に手を伸ばして受け取る。
欲しいものを手に入れる方法があったら、素直に実行する。

それって、自分を大切にすることですよね。そういうことが出来るようになれば、必要な人にそれを譲ることも、きっと出来るようになると思うのです。

そういう意味では、「受け取る」から始まるストーリーを生きることは、とても大切なことのように思えます。

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長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIP
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