複雑化した社会でも人の願いはシンプル
社会問題もマーケットもどんどん複雑化してきています。世界では争いが絶えず、何が起こっているのかを知ることさえままりません。でも、人の願いのありようは、あまり変わらないのではないかと思います。
もっと明るく生き生きと生活する道を見付けたい
大好きな、宮澤賢治の『農民芸術概論綱要』に、胸に響く一節があります。
どうですか、このストレートな願い。ほんと、これだと思うんです。もちろん、あなたは「農民」ではないかもしれません。僕だって違います。でも「農民」の部分は、この際自分の職業や属性に置き換えちゃっていいのではないでしょうか。
あなたなら、◯◯◯の部分に何と入れますか?
人まで複雑になったと思わなくていい
世界が複雑化したからといって、人まで複雑にとらえがちです。でも、人の願いって、根源的にはあまり変わらないと思うのです。
身体から人をとらえていくと、その思いはさらに強くなります。幼い子どもも、成熟した大人も、身体が求めていることってすごくかわいくてシンプルです。もっと見てほしいとか、眠りたいとか、お腹空いたとか、ちょっと走りたいとか。
コロナがやってくる少し前、僕は自分の暮らしが、自分の根源的な願いと切り離されていることに気付きました。食い違ってはいないのですが、複雑にとらえることで、根源的な願いを矮小化していたように思うのです。
僕は、自分や周囲の人が、もっと明るく生き生きと生活する道を見付けたいです。心からそう思っています。あなたは、どうですか?
いいなと思ったら応援しよう!
コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。