![巻き込んで](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/2977401/rectangle_large_9c0f9d25cca28ca4ebd461af27fc0f5c.jpg?width=1200)
「地域の様々な人たちを巻き込んで」と嬉しそうに言う人たち
NPOや市民活動、地域活動の世界でよく使われる、「地域の様々な人を巻き込んで…」というフレーズがあります。
「地域の様々な人たちを巻き込んで、お祭りを開催しました」
「地域の様々な人たちを巻き込んで、どんどんつながりが出来ました」
こんな風に、たいてい肯定的に使われます。
「地域の様々な人たちを巻き込んで」成功した例は、たくさんあります。僕自身、そういう動き方をしたこともあります。
ただ、僕はこのフレーズがあまり好きではありません。
「様々な人たちを巻き込んで」ということを肯定的にとらえているのは、「巻き込んだ側の人たち」ではないかと思うからです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/2951120/picture_pc_da2cb50a2b5cbd67f89fe1cd8f1015c7.jpg?width=1200)
NPOは“善いこと”をしていると思う?
いくつかの大学で、講義のときにこう尋ねてみました。
「NPOって、どんなイメージ?」
学生の大多数は「良いことをしている」「いい人たちが集まっていそう」などと答えていました。NPOは、いい人たちがあつまって、社会のためにいいことをしている──。あなたはどう思いますか?
学生たちは、目の前で講義している僕がNPO法人の代表者なので、気をつかってくれたのかもしれません(笑)。
そのあたりを差し引いても、世間的には、「NPO=善いこと」と、認識されていると思います。
「いやいや、NPOなんて聞くと、かえって胡散臭いよ!」
という方もいるでしょう。
この前も「相棒」を観ていたら、悪徳NPOの理事長が、右京さんに捕まっていました。「なんか胡散臭い」という潜在的な思いがあることを前提に組まれたストーリーですね。ただ、こういう認識が成り立つのは、そもそも「NPO=善いこと」という認識が広まっているからこそ、ですよね。
NPOが陥る「独善」の闇
世の中から“善いこと”だと思われているというのは別にいいのです。でも、活動している当人たちが、「自分は善いことをしている」と単純に考えてしまっては、大問題です。
「善意でやっている」と「善いことをしている」は、別のこと。
前者は、自分の動機が善意だ、というだけのこと。後者は、その過程と結果が善だという客観的指標が必要です。だいたい、自分が善意でやっているからといって、それが何なのでしょう? そんなこと他人にはまったく関係ありません。
世の中のだれにとっても、“善い活動”などありません。また、それを目指さなくてもいいと思います。
東北の震災に、たくさんの支援が集まりました。その一方で、貧しい国への支援が減ってしまったかもしれません。
だから意味がない、ということではありません。意味があるのは、疑いようのないことです。でも、もしかしたら、その陰で苦しんでいる人がいるかもしれない。そういう俯瞰が、活動する人には求められる──自戒を込めて、僕はそう考えています。
「善いことなんだから応援されて当然」という勘違い
「自分の活動は善いことなんだ」と単純化してしまうと、「だから、応援してもらって当然」という短絡を招きます。
「善いことなのだから、行政から支援があって当然」というようなことを言うNPO・地域活動の人は、すごく多いです。
行政が団体支援を行うためにはお金がかかり、財源は税金です。そして、世の中には、困っている人、苦しんでいる人が大勢います。にもかかわらず「自分たちの活動には、支援のお金がまわってきて当然」と考えてしまう。
こういうの、気を付けたいなと、心から思います。
官僚や政治家が受け取るお金にはものすごく手厳しいのに、自分たちが受け取るお金は「善いことなんだから当然」だと無批判に考えるのは、客観性に欠けています。
活動への評価は時代と共に上下する
先ほどの「NPO? なんか胡散臭い」という反応が示すように、上がったものはやがて下がります。実際の活動は変わらなくても、周りの目というのは変化するものです。
長く同じ活動をした経験から、僕はそれを知っています。
子どもたちの居場所スペースをつくった1997年、取材の記者の方に、こんな風に言われました。
「不登校の子でもなくて、障害のある子でもないんですか? う〜ん、普通の子のために、居場所が必要な理由がわかりません」
時代が変わると、まったく同じ活動をしていても…
「なるほど。それは素晴らしい。ここに来られる子はしあわせですね!」
すごい変わりようでしょう?
でも、われわれがやっていることは同じなんです。他者からの評価など、その程度のものです。上がったり、下がったり。視野の狭い独善は自己批判されるべきですが、トレンドや社会的風潮に安易に合わせず、晴れの日も雨の日も、淡々と活動していくことも大切です。
そもそも「巻き込む」必要なんてある?
「様々な人たちを巻き込んで…」と言うとき。
かかわる人がどんどん増えると、わぁ〜っと盛り上がりますよね。感動することもあるでしょう。でも、感動や盛り上がりばかり追いかけていると、道を見失います。かかわる人が急に増えるというのは、「場」にとっては危機なのです。解像度が低くなり、粗くなり、いろいろなことがいい加減になりがちです。また、「意識の高揚感」というのは、なんとなくいろいろなことが「まぁいいか!」となりがちなので、「取り扱い注意」です。
大勢集まって盛り上がるのも楽しいですが、見るべきものは盛り上がりではなく、本質です。あなたがやろうとしていたことは、その盛り上がりのなかで、本当に達成されていますか?
「様々な人たちを巻き込んで…」と言うとき。
まず、相手にとっては、それがどんな意味を持つのか、考えてみましょう。そして、自分が相手を都合よく利用しようとしていないか、ちょっとだけ内省を。
いっしょにやりたい人には、「巻き込む」という一方的な形でなく、普通に話を持ちかけ、説明し、どんな協力をしてほしいのか、なにを一緒にやりたいのか、正直に伝えましょう。
そして、なにかの加減で周囲からの評価が変化しても、晴れの日も雨の日も風の日もどんなときでも、その場を必要とする人のために、胸をはり、やるべきことをやるのです。
\Question/
あなたは、なにかの活動に巻き込んだり、巻き込まれたりした経験がありますか? そのときどう感じましたか?
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/11180680/picture_pc_c1bab24d468266f18f8590c706eca333.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/3569856/picture_pc_c38e5376468107e2540543ef2584f187.jpg?width=1200)
長田英史(おさだてるちか)|プロフィールNPO法人れんげ舎代表理事。「場づくりクラス」講師。まちだNPO法人連合会会長。
1972年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。和光大学経済学部経営学科卒業後、同大学人文学専攻科教育学専攻中退。教育学や心理学、運動論、身体論などを学ぶ。1990年、在学中にかかわった「子どもの居場所・あそび場づくり」の市民活動に学生ボランティアとして参加し、卒業後は就職せず、それを仕事にする。いわゆる中間支援組織ではなく、自らも現場で活動する「プレイヤー」として、「場づくり」の哲学とノウハウを共有し続けている。
☆メルマガ「場づくりのチカラ」を無料配信中。 http://bazukuri.jp/
いいなと思ったら応援しよう!
![長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIP](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109880495/profile_f6121cc63d893342f4ab77910a864796.jpg?width=600&crop=1:1,smart)