身近な戦争、身の周りの暴力
国どうしの戦争や政治家の銃撃など、ショッキングなニュースが続いています。レベル感は違っても、どちらも暴力です。戦争なんていうとあまりに大きすぎて、自分とのつながりを見出しにくいようですが、身近なところにも戦争のエネルギーや暴力って、存在していると思うのです。
暴力と暴力的なふるまい
実際に人を銃撃したり殴り倒したり(あるいはされたり)しなくても、「暴力的なふるまい」って身近にあると思うんです。苛立ったり、怒りを抱えたときに、僕は自分の中に「暴力性」を認めます。
理不尽な目に合えば、怒りが湧いてきます。やられたら、やり返したくなります。そういう自分って好きではないけれど、自分の一部だと感じています。
もちろん、暴力を肯定するわけではありません。でも、生身の人間である以上、暴力性を内側に宿すことがあるのは、仕方のないことのように思えます。問題は、それとどう向き合うかです。
身の周りの暴力性をスルーしない
人と人が拳で殴り合うような暴力でなくとも、視線ひとつで暴力ってふるえますよね。だからこそ、身の周りにある暴力性の発露を、見て見ぬふりをしないようにしたいと思います。
いじめということが成立するために、加害者と被害者だけでなく、傍観者が一定の役割を担ってしまうことがあります。
それを思うと、すごく困っている人の横で、その人のことが視野に入っているのに、その人などまるでいないかのようにふるまうような、そんな行動様式も暴力的だと言えるかもしれません。僕自身、たくさんそういうことをして生きてきました。だからこそ、身の周りの暴力に対して、もっと繊細に反応して生きていきたいと思います。
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