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選挙戦って言うけど選挙って“戦い”でいいの?
明日は参議院選挙の投票日。連日、選挙戦がくり広げられました──みたいに言うことってありますよね。選挙って「戦い」っていうイメージが確かにあるけど、本当に「戦い」にしてしまっていいのでしょうか。最初から間違っているような気がします。
やたら戦争用語を使いたがる…?
別に戦いじゃないんだけど、物事を「戦い」に例えるっていうことってありますよね。例えば、大晦日の「紅白歌合戦」はぜんぜん戦いではないけれど、一応設定は「合戦」ということになっています。スポーツなんかもそうですね。
選挙も「戦い」に例えられます。選挙戦とか、選挙参謀とか、一騎打ちとか、言いますよね。選対の人なんかと話していると、街宣車を戦車と言ったり、遊撃部隊とか◯◯作戦とか、やたらと戦争用語を使う人がいます。陣営によるし、人によるのでしょうが、ちょっと嬉しそうに使っているフシもあります。
なんか、ガキっぽくないですか?
選挙の「せん」は、「選択」のせんであって、「戦闘」のせんではありません。有権者に求められるのは、いつだって冷静な選択であるはず。意識の高揚感や盛り上がりに頼る選挙運動は、それに逆行しています。
選択のため比較する材料を提示する
議会制民主主義の日本で、国民が政治に関与する方法は、
自分と類似した考えを持った候補者に投票する
自分が立候補する
の2通りあります。当然「1」の人が多いわけですが、その場合、候補者を選ぶ必要があります。どうやって候補者を選ぶかというと、比べて選ぶしかないですよね。冷静に比較することこそ大切なのです。
「最後の訴えに参りました!」
最終日ともなれば、「最後の訴えに参りました!」みたいに叫んでいる運動員や候補者が目立ちます。がんばってきて最終日なんだからそう言いたい気持ちは分かるけど、それは自分たちの内部の話です。
有権者の立場からすれば、そんなことは取るに足らないこと。戦闘モードで情緒的って、選挙や民主主義の本質から外れているように思えます。
「選んでもらおう」という視点をさらに引き上げて、「比較してもらおう」というところまで高めていく。「戦闘」を卒業して、「選択」の機会にしたい比較する取り組みなんだということを、はっきりさせるべきではないでしょうか。
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